夢か現か幻か | ナノ
Chamomile
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髭を剃りながらここ1週間の出来事を思い返す。

そう、1週間だ。桜ノ宮の因縁が引き起こしたゴタゴタから1週間余りが経った。一時期切断の話が持ち上がるほど容態が悪化したがそれも乗り越え、奴の脚はなんとか繋がったまま、徐々に再生しているという。

もうしばらくは入院らしいが、この3年ずっと走り詰めだったんだ。丁度いい休憩になるだろう。腐っても紅一点が花見に不参加となって、屯所の連中はあからさまに落ち込んでいたが、アイツが居たらお前ら全員酔い潰されるんだからいいだろ。

少しずつ快方に向かう姉貴とは裏腹に、弟の容態は芳しくない。姉が外出できるくらいに回復するまでなんとか保たせようと医者も可能な限り努力しているようだが、異常な速度の細胞の老化による死をほんの少し先送りする程度しかできないらしい。もって今日中だとセンター長は紫煙とともに吐き出した。

そんなわけで、一時外出の許可を得て、今日、姉弟が二人(とオマケの総悟)で外出するらしい。総悟にしては珍しく神妙な顔で、そう報告してきた。そういえば、奴にも姉貴がいる。俺もよく見知った女だ。あの女については色々思う事がないではないが、今はその話ではない。

顔に水をぶっかけて、ズレた思考を修正する。二度も弟を喪う姉を、奴なりに気遣っているのだろう。すみれは奴の事を憎からず思ってるようだし、案外お似合いかもしれない。総悟はやってる事は馬鹿だが、腕は他の誰の追随も許さねェ。奴のもとなら、あの不運な女も安全なはずだ。頭の中で二人が寄り添うように歩くのを想像して、鏡の中の俺は眉間にシワを寄せていた。一体何だっていうんだ。確かに総悟は性格に難がある。でも二人の相性は悪くないだろ。

今日の総悟に近藤さんの分の有休をあてがう事にして、俺は簡単に朝飯を食べ、見廻りに出た。

煙草を咥えて、徒歩で街に不逞浪士がいないか洗う。今日は比較的穏やかな方だが、いつもなら火事と喧嘩は江戸の華とばかりにどこかしらで喧嘩が起こる。そういった厄介事が降り掛かってこないのは歓迎だが、連中は大丈夫だろうか。なんらかのアクシデントに巻き込まれれば、奴等の脚では逃げられない。なにせ姉貴の方は松葉杖が手放せない。弟に至っては衰弱が酷く、車椅子を自分で操作する事さえ危うい状態だ。

何のために総悟をつけたと思っている、過剰な心配だ、と諌める自分の声を無視して、足を速めた。

適当に連中の行きそうな場所を総当りで探して、三人組の後ろ姿を見つけた。車椅子を押す見慣れた軽い頭。松葉杖のくせに駆け足をする馬鹿の背中。弟の方は総悟の背中に阻まれ見えないが、まだ生きてはいるのだろう。

奴等の後をつけるように、同じ方向を歩いているのは偶然だ。断じて尾行してるわけじゃねェ。

連中は少しだけ定番の場所を見て回った後、喫茶店で何かを手に話し合って、総悟運転のレンタカーに乗って江戸湾の方向へ向かった。

丁度いいところにいた、いやストーカーしていた山崎運転近藤さん助手席のパトカーに乗り込んで、ついていく。一同は江戸湾海上を通る道路、天人かぶれの幕府が命名したところのアクアラインを通り、対岸へと走っていく。

距離が遠く、顔は伺えねェ。だが、時折見える桜ノ宮の表情はいつになく明るかった。だがそれは無理やりひねり出した明るさだ。見る奴が見ればすぐに分かる空元気は、見ていて痛々しい。アイツ、演技下手だからな。

「なあ、トシ。俺達に、できる事は無かったんだろうか」
「あの野郎は、アイツの弟が弱っているのを知っていた。でも俺達は何も知らねェ。あそこで何が行われていたのかも、なんで弱っているのかも。……俺達には、ハナっから選択肢なんざ用意されてなかったんだよ。あいつはその中でよく選択した」
「でも、これじゃ、すみれ先生が報われねェ。頑張ってたのに、あんまりだ。そう思わんかトシ」

思うさ。目の前で散々苦しんだ末にやっと拾えた弟をすぐに失うなんざ酷だ。あんまりだと思わないわけがねェ。だが、俺がそれを言っちゃシメーだろうが。泣きながら強くなると言ってみせた女を知ってる俺が。

「それでも、アイツは進むしかねェ。生きている間は、俺達と歩いている間は、足は止められねェ。アイツが止まったらば、俺はアイツを斬らなきゃならねェ」

アイツは、強くなると誓った。泣きべそかきながら、迷いながら、着実に歩を重ねている。アイツの人生は、寄せては返す波のように定期的に試練が訪れる。今度のもそうだ。今度のは超えられるかは、俺にも分からん。

ただ、この先もアイツにアイツの理想へ向かう気力があるのなら、俺は尻を引っ叩いてやる。

「まあ、なんだ。後追いしそうなら俺達で止めりゃいい。――こういうのは、時間が解決する。そうだろ」

俺が唯一言える事は、近藤さんが使命で立ち上がる人間ならば、桜ノ宮は期待に応えようとして立ち上がる人間だという事だ。

「まずは、信じるしかあるめーよ」

一番近くにいる俺達が信じずに、誰がアイツを立ち上がらせてやるんだ。

*

沖田さんに創真が座っている車椅子を押してもらい、江戸の街を練り歩く。見上げていると首が痛くなるような高さの塔の足元に立った。ありがたい事に、前提となる知識は奇特な研究者が仕込んでくれていたようで、基礎の基礎から説明という事にはならなかった。

「これがターミナル。これで宇宙船を転送して、惑星間航行を行うんだって」
「へえ」
「すみれさんのいた場所だと、空港が一番近いですかねィ」
「そうですね。税関もあるし」
「うんうん。じゃああれは?」

創真はビル街の外れにぽつねんと建っている城を指差した。一応仕えるべき主の居城だ。この国で唯一となったお殿様のおわす城。

「あれが江戸城。私達の時代だと、跡地が皇居になってたけど」
「ふーん、話には聞いていたけど、これが」
「うん」
「へえ。帝が江戸に」
「そうですよ……って、私の記憶覗いたのなら知ってるものだと」
「アンタの個人的な歴史のほうがインパクトでかかった」
「あ、そう」

まあ、他人から見れば、割と散々な人生だもんな。自分に似合いの人生だと思うのだけど。親族の顔を思い出して不愉快になってきたから、良かった点を思い出そう。まず、人には恵まれた。どんな窮地であっても誰かしらが手を伸べてくれるくらいには恵まれていた。次は、次は……。うん、人に恵まれるだけ十分だ。恋愛は……諦めよう。

「で、あれが――」

悲しい記憶を振り払って、別の名所を指差した。

それから、車椅子の弟と沖田さん、そして松葉杖のあたしで、あちこち出歩いた。警邏のルート上にある気になるお店に入ったりもしたし、名物を見に行ったりもした。

自分が知っている一通りの観光名所を案内し終えて、喫茶店で休憩を取る流れになった。その場のノリとテンションで乗り切っていたところで、いざ落ち着いて向き合うとなると、いよいよ何を話せばいいのかわからない。

「姉さん、ちょっと聞いてもいいかな」
「うん?」
「そういえば、姉さん、仕事してるんだよね。職場にはどんな人がいるの?」
「え」

言われて真選組の面子を思い出す。自分も含めてマトモな人間がいない。というか仕事先に限らず、自分の周辺、基本妙な人しかいない。紹介していいものか、と悩んだけれど、取り繕ってもぼろが出るだろうし、隠せば不要な心配を招く。

嘘はなくそれでいて印象が悪くならないように、慎重に、言葉を紡ぐ。

「まずそこの沖田さんは、」
「次期副長でさァ」
「違うでしょ。沖田さんは真選組の一番隊隊長。切り込み隊長でいつも先陣をきってる」
「姉さんより強い?」
「そりゃもう」
「比較にもならねェや」
「ふーん、他にもいるの」

定期入れに挟んである集合写真を取り出して、この人が局長の近藤さんで、この人が副長の土方さん、この人が二番隊の――と、一人ひとり指差して名前と簡単に人柄を伝えていく。創真はその度にどこか嬉しそうに頷いていた。

「あ、ケーキ来た」
「ほー、こりゃすげーや。すみれさんがこんな店知ってた事に驚きでィ」
「万事屋の旦那が」
「なるほど。旦那に負けるサーチ力って女としてどうなんでィ」
「しかもお布施する事になっちゃったし」
「旦那にお布施するくらいなら、物乞いにくれてやった方がマシだろ」
「土方さんも似たような事言ってた」
「野郎と同じ事を言わせんでくれよマジで」

創真の咳き込むような笑い声が聞こえて、慌てて彼の背中をさする。やんわりと首を振られて、細った背中から手を離した。

「楽しそうだな」
「うん。色々あったけれど、すごく、楽しいよ。本当なんだから」
「大丈夫、分かってるよ」

記憶にあるよりもずっと穏やかに笑う姿が悲しい。青紫になって浮腫んできた手足を見る度に、胸が張り裂けそうになる。

匙でケーキを小さくすくって小さくすぼんだ口元に運ぶ。けれど、ほんの3口で、いらない、と言われてしまった。

*

ワイワイ賑やかに洋上の道路を走り、対岸に渡った。ターミナルと海が一望できる密かな絶景スポット。そこで、車椅子の創真と二人きりになった。二人ベンチに腰掛ける。昔は地面に脚が届かなかったのに、いつの間にか二人とも大きくなっていた。

赤い空は世界を超えても同じような色を出してきた。あまりいい思い出のない色だ。

「いい人だね」
「うん?」
「沖田さん。わざわざここまで付き合ってくれるなんて」

後でなに要求されるか……いや違うか。あの人にしては珍しく下心なく、自分を慮って付添を申し出てくれたのだ。沖田さん自身は弟だから、もしかしたら、創真の気持ちが分かるのかもしれなかった。

「でも姉さんは沖田さんの事お友達くらいにしか思ってないのかな」

話が読めない。彼は残り少ない命で何を話すつもりなのか。

「どちらかというと、土方さんの方が好きだったりして。父さんと同じ喫煙者だし、刀持ってるし」
「え、ここで恋バナ?」
「江戸時代ならもう結婚してる歳じゃないか」

それを言われると、何も反論できない。開国して多様な価値観が流れ込んできて、その影響で晩婚化が進んでいるけれど、やっぱり早い人は早い。自分は浮いた話が一切舞い込んでこないのですっかり忘れていたけれど、このくらいの歳で子供を産んだという女中さんは多い。

「まあ、どっちに転んでも、父さんなら『娘はやらんぞ!』って言うんだろうね」
「……父さん、見た?」

首を振られた。そっか、と短く返事する事しかできない。どうせ居ないとは思ったけれど。

どんどん冷たくなる手を握る。自分のほうが姉のはずなのに、創真の方が一足先に老人の姿にされてしまっている。それがひどく悲しい。

「創真、ごめんね。私が、くだらない事に固執して、喧嘩したせいで、」
「いいよ、そんなの。僕も姉さんも、子供だったんだ。仕方ないよ」

更に弱くなる力を補うように、強く握りしめる。

「まったく、姉さんは昔の事にこだわり過ぎなんだから」

小さくなる声をひとつも聞き漏らさないように、口元に耳を近づける。呼吸は不規則かつ、弱い。それに、少しずつ遅くなっている。

「僕は、姉さんが、生きていてくれて、嬉しかった」

ふう、と長く細く息を吐いて、それっきり。

ペンライトで瞳孔を見る。新米医師のようにブルブルと震える明かりを、脇を締めてしっかり固定する。瞳孔散大。対光反射消失。狙いが定まらない聴診器を胸や頸動脈に当てる。呼吸音、心音、共に確認できず。生命の証はどこにもない。

定まらない手で、そっと懐中時計を開く。

「17時45分、死亡確認」

自分が言った言葉なのに、涙が溢れて、止まらない。苦しくて仕方がない。

あたしは、創真さえ生きていれば、それだけで嬉しかったのに。

返す事のできなかった言葉を胸の中にしまい込んだ。

*

坊主の経と木魚。立ち込める線香の匂い。外からは花を散らす雨の音。ジメジメと湿気た空気だった。

「あの人、大丈夫ですかねィ」

桜ノ宮すみれの弟、桜ノ宮創真の葬儀は、唯一の家族たる桜ノ宮を喪主として、厳粛に行われた。いつになく暗い面持ちの桜ノ宮を誰もが不安そうに見ていた。

「あのままぱっきり折れちまいそうでおっかねェや」

総悟はそんな事を言うが、俺はそうならないのではないかという期待があった。

確かに坊主の経を聞く背中は悄然としている。アイツってあんなに小さかったんだな。あれで、あんなデカブツと渡り合っていたのか。だが、あの女がそこで折れるようなタチじゃねェ、俺はそう思っている。

目を閉じれば、間近で見た一突きは未だ鮮明に蘇る。俺の喉笛を正確に捉えた一撃から更に研ぎ澄まされたそれは、叩き上げられた鉄さえも打ち破った。あの時は支えるなんざ大層な事をうそぶいたが、実際はほとんどアイツ自身の力だ。

俺は、誇らしいものが胸の中にあるのを感じている。親父が子供の成長を見て、目を細める感覚が近いか。

悩みながらも、守りたいものを選べた。アイツの成長を間近で見て、その俺が大丈夫だと思った。俺は自分自身の感覚と、アイツを信じる。

長い経と焼香が終わった。男衆が出棺させて、桜ノ宮は霊柩車に乗り込んだ。

いよいよ焼骨だ。

「大丈夫ですかねィ」

霊柩車に随伴したバスから下りるなり、総悟はそう呟いた。

「大丈夫だ。こういう場面じゃ、女の方が気丈だぜ。ほら」

焼却炉の扉の前で立っている桜ノ宮は、強くなると言ってのけた時と全く同じ目をしていた。そうだ。それでいい。

俺は一服しに喫煙所へ向かう。いつの間にか、霞がかった空が顔を出していた。
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