日常の終わる境界をはっきりと感じながら目を覚ました。今日の夕刻。どんな形であれ決着がつく。
体を起こしても、どこか達観したような気分はもとに戻らなかった。
日常が終わるかもしれない堺際が近づいているのに、驚くほどいつも通りの日常が流れていく。きっと、あたしが居なくなっても、この日常はずっと続いていくのだろう。世界ってうまくできているなと思う。
また死ぬかもしれないと分かっているのに、不思議と怖さはなかった。むしろ不気味なほど凪いでいた。
胸を突き抜けた銀色を忘れた事は一度も無い。頬を濡らす液体の熱さだとか、手足が徐々に冷たくなっていく感覚だとか、黒く塗りつぶされていく視界だって、覚えている。また同じ目に遭うかもしれないと思っても、不思議と手は震えなかった。土方さんと初めて飲んだ時は怖くて仕方がなかったものが、いつの間にか怖くなくなっていた。
悟ったのか、諦めたのか、それとも麻痺したのか。考えようとして止めた。
それが何であるかは、今日戦えばきっと分かるだろう。
ただ、戦うには少し心残りがあった。目を閉じて夢と現の間で微睡んでいると、まぶたの裏に浮かぶのはこちらに笑いかける三人。後ろには大勢の隊士達。温かな場所。昔手放してしまったもの。形を変えて手元に戻ってきたもの。
感傷を振り払って現実に立ち返った。
*
朝稽古。沖田さんと土方さんと近藤さんにその他隊長達にやたら絡まれる。斉藤隊長は頼むからいきなり打ち込むの止めて欲しい。
稽古終わり、駄弁りながらの身支度中。占い師でもある結野アナのブラック星座占いで、自分の星座が最下位の上、
「特に牡羊座で四人固まってテレビを見ながら白スカーフを結んでいる黒髪ポニーテールの女の人――今日死にまーす」
ハートマークが突きそうなほど可愛らしい声で恐ろしい宣告を下された。
朝の地上波で聞くとは思わなかった物騒なワードにスカーフを結ぶ手が固まる。
あたしは牡羊座だ。部屋のテレビの前には近藤さん土方さん沖田さんとあたしで……四人いる。髪型はいつものポニテ。三人の顔を見渡すと、全員が一様に顔を強張らせてあたしを凝視していた。視線から逃れるように結野アナの着物の柄に目を落とした。
「幸運を切り開くラッキーアイテムは救急セット。これでとめどなく流れる血を止めてください」
「ただの対症療法じゃねーかァ!!!」
あ、それなら討ち入りの時に背負ってる医療キット持ってけばいいな。一応縫合セットも入れておくか。
「それでは今日も一日頑張ってくださ〜い」
「頑張れるかァァァァ!!!!」
テレビに向かってがなる声。そして、背後からの一閃がその声の主をテレビごと真っ二つにしかける。ブラウン管のテレビだけが電源ボタンもなしに画面が暗くなり、そして綺麗に左右に別れた。すんでのところで躱した土方さんは引きつった顔でブラウン管の断面を見て、それから見事な一閃を放った沖田さんの顔を睨んだ。
「あーあーこれ税金なのに」
「総悟てんめっなにしやがんだ!」
「くっだらねー番組垂れ流すテレビの電源を消しただけでさァ」
「嘘つけ!ついでに俺の命の電源も切ろうとしただろ!」
「ついでじゃありませんぜ。本命でさァ」
「命だけに?」
「やかましいわ!あっ待ちやがれ!」
ドタドタと二人が走り去っていく。トムとジェリーのようだなんて思ってしまったけども、こいつらそんな可愛いもんじゃないな。
「いやいや、ただの占いに総悟もトシも大げさだよなあ……」
ハハハと無理くり笑う近藤さんを安心させないとな。このままじゃ屯所が騒ぎになりかねない。
「じゃあとりあえず医療バッグ持ってきます。みんな使い方覚えていますかね?」
「先生までやめて!お願い!」
「でも結野アナの占いめっちゃ当たりますからね。この前オペやった患者さんなんか、アンラッキーアイテムがバイクって言われて、マジでバイクに轢き殺されかけてましたからね」
「マジで!?」
「マジです」
近藤さんがこの世の終わりのような顔をしている。マズいかも。今日も仕事ではあるけれど、昨日でさえ落ち着かなかったのに、今日できるかって話だ。
「じゃ、お昼まで外行ってるんで」
「えええ!?」
「見廻りいってきま〜す」
近藤さんの呼び止める声を聞かなかった事にして、部屋を出た。地下の射撃室に立ち寄って、ホルスターに一丁仕込んでしまったのは気の迷いだ。
「――でウチに来たと」
「はい」
「仕事サボって決闘だなんて、いいご身分ですね税金泥棒は。オタクの副長ともどもどうなってんの」
「税金払う必要あるんですか坂田さん」
「消費税くらい払ってるわ!!」
土産置いて帰れ!とテーブルにつばを撒きちらしながら言われた。せっかく低糖質ケーキ買ってきたのに。怒鳴り声が響く万事屋には今は坂田さんだけだ。新八くんは買い物、神楽ちゃんは散歩に出かけたらしい。働けよ。
「帰るのはいいんですけど、お登勢さん下でガチギレ寸前なのでいい加減家賃払ったほうがいいですよ」
「マジか。立て替えといて」
「いいですよ」
「マジで!?」
「私に付き合っていただけるのなら」
人の顔というものはこうも目まぐるしく変わるものなのかってくらい落差が激しかった。6万を出した瞬間いつになく光り輝いた目は、交換条件を提示すると一気に死んだ。そんなに嫌か。
「ところで、なにこのケーキ」
「ロカボケーキです」
「どうりで妙な味がすると思ったわ。別のケーキ寄越せよ」
「今の坂田さんじゃそれでもギリギリアウトなんですよ。それ以上の糖分を摂取させるわけ無いでしょうが」
黙り込むのは卑怯だとあたしは思う。どこぞのドSみたくタバスコを仕込んでいないのは最低限の礼節だと思うのですが。
「で、なに?嫌がらせしに6万の金払ったの」
「まあちょっとした身辺整理を。実は牡羊座なんですが、今日結野アナのブラック星座占いで死ぬって言われちゃいまして」
「あー……スカーフがどうこう言ってたな。香典ならねーぞ」
「香典はいらないし、なんなら残った財産の半分は坂田さんに譲るって遺言書作ってもいいので、もう一つ依頼をば。私が死んだら、真選組の事、ちょっとでいいから気にかけてあげてほしいんです」
ぴたりとフォークが止まった。気怠げな顔が訝しそうにゆがむ。真選組の状況を冷静に考えると、今のところは安全だけど、この先何が起こるかは全く分からない。なんせ、幕末だ。こういう動乱の時代には何だって起きる。
「ま、個人的な懸念がありまして。副長健在の内はこれが顕在化する事はないでしょうが、天人がわんさといる世の中じゃ何があるかは分かりませんから。いざという時のためにセーフティネットを張っておくにこした事はないでしょ?」
懸念もとい伊東さんはどうにもきな臭い。何を企んでいるのか今ひとつ読めない。けれど、彼の態度は明確に近藤さんよりも上に立とうとしていた。一つの体に二つの頭は要らない。これが杞憂であればいいけれど、伊東さんに対する近藤さんの姿勢、土方さんと伊東さんの関係、そして伊東さんの下に付いている複数の隊士の存在が、土方さんと伊東さんが衝突する瞬間の訪れを予感させる。
伊東さんが頭になれば、その瞬間から、真選組は名前はそのままに、別の組織に変貌するだろう。それは真選組の終わりだ。それだけは避けたい。
自分は守れなかったから、彼らには何が何でも守ってほしかった。真選組は彼らの夢だ。そして、彼らがそれを守り抜くのが、あたしの夢だ。
「どうせなら、最後の最後まで大切なものを守り抜いてほしいじゃないですか」
ずっと前、近藤さんから彼らの組織の名前の由来を聞いた。真の道を選び進む。あらゆる価値観が一気に流れ込み人々が惑うこの時代でも、どうかそれが貫けますように。
「健気だねェ。死ぬの怖くねえの」
「死んだら地獄でしばきまわすとか絶対生きて帰ってこいよとか言われてるんで、それは少し怖いけれど、物事には序列がありますから」
「死んだら全部シメーだよ」
「いいえ。
真選組の夢は終わらない」
「……よし、行くか」
彼はロカボケーキの最後のひとかけらを口に押し込んで立ち上がった。
一人で全部食ったよこの人。低糖質だけどワンホール食べたら意味ないでしょ。
つーかどこ行く気だ。
*
「ほう、決闘」
かぶき町にほど近いとある公園でカブキワンコなるきぐるみが風船を配り歩いていた。そのきぐるみから聞き覚えのある声。池田屋で聞いた声だ。連続爆破事件の首謀者。攘夷党の中心人物、桂小太郎。あたしをここへ連れてきた張本人はいけしゃあしゃあと「まあ騙されたと思って」なんて言ってのける。
まあ顔は見えないし、声聞いただけじゃ分かんなかった事にすれば、まあ申し訳も立つか。
「して、相手の名前は」
「和田一輝」
能書きを垂れようとしたところで待ったがかかった。桂、もといカブキワンコは顔に手を当てて、首を傾げ、ふーむと唸った。傍目からは、可愛らしいマスコットキャラクターが首を傾げている、そんな微笑ましい絵面に見えるのだろうが、残念な事に中身は過激テロリスト桂だ。あのうざったい長髪がこんな仕草をしていると思うだけでなんかイラッとする。
「その名前、俺の同志だった男と同じ名だ。もっとも、奴とは袂を分かち、今は高杉のところに身を寄せていると伝え聞いたが」
「偶然では?」
「では聞くが、その男、右目に刀傷がなかったか。加えて、右掌にも」
「どっちも私が斬った傷ですね」
「やはり同一人物か」
「ただ、高杉一派の和田某と私の仇が同一人物だとして、高杉は今、京に潜伏している。うちの監察が掴んでいるから確かな情報のはず。だというのになぜ」
「別動隊、あるいは離反か。あの男の事だ。おそらく後者だろう。一度寝返ったものは何度でも寝返る」
「おいヅ……ワンコ、俺ァこいつに決闘の心得でも教えてやれっつったの」
ワンコは「必要なかろう」と言い捨てた。まあ攘夷浪士があたしに味方する道理はないし、大して期待していない。それよりも、真選組の大義とも重なっている事の方が重要だった。
あれはどう好意的に考えても挑発だったのだし、もとより彼の方を斬り捨てるつもりではいた。けれど、心のどこかで迷っている自分も居た。片方しか取れないのなら、どちらを取るのかなんて明白だと思うのに、踏み越えられない一線が心の中にあるのを感じていた。
「選ばなければ、どちらも見捨てるのと同じだ。貴様がその男とどのような因縁があるのかは知らぬが、後悔しない道を選ぶといい」
いやに気遣わしげな言葉だ。なぜか自分ではなく、自分を通した別の人に伝えようとしたような。ちらりと坂田さんの死んだ魚の目を見ると、濁った瞳の底に何かが見えた気がした。その何かが引き金で土方さんや岩尾先生を思い浮かべてやっと気がついた。
この人も、大事なものを失ったのだ、と。そして、それは大切なもの同士を両天秤にかけた結果だったのだ。それがどれほど辛かったのかを考えて、胸が張り裂けそうだった。
けれど、同じ思いをした人が今もここに根付いている。それが知れだけでもよかった。
「ありがとうございます。着ぐるみで誰だかよくわかりませんが、素敵なお方」
「フッ、視界が狭くて誰だか分からんが、せいぜい頑張る事だな」
この人に話を聞きにきてここまでついてきたのはただの気まぐれだったけど、得たものは大きかった。
*
13時手前に屯所に戻ってきて、お昼にわく食堂を素通りして廊下を歩いていると、土方さんに出くわした。ちょうど食堂に向かうところだったらしい。
「ただいま見廻りから戻りました」
「……色々言いたい事はあるが、まあいい。勝負前だ、消化にいいもん食っとけ」
てっきり仕事すっぽかしてどこ行ってたんだって怒られると思ってたけど、意外と優しくて驚いた。気を遣われてるんだな。
「ご迷惑おかけしてすみません」
「些細なもんだ」
風で紫煙が流れる。普段の赤マヨよりもずっと甘い。唇から覗く紙は真っ白だ。
「
希矢素絶ですね」
「たまにはな。いるか?」
「食事前はちょっと」
彼はフンと鼻を鳴らした。鼻から白い煙が噴き出して、火山のようだった。どうしてか鼻から出すのできないんだよな。
ぼんやりと考え込んでいると、土方さんが券売機に景気よく万札を入れた。食堂から人がはけつつある今だからこそできる暴挙だ。
「好きなの選べ」
「え」
「今日のランチは唐揚げだと」
「じゃあそれで」
反射的に答えると、唐揚げ定食だなと長い指がボタンを押下した。うん?話の流れ的にそれあたしのお昼ごはんな気がするけれど、なんで?
「土方さん?」
「奢りじゃねェ。後で返せ」
「今返しますよ」
「いらねェ。後でだ、後で」
つまり、生きて返せって話だろうか。ここまで念押しされると、生きていてほしいという願いを超えて、呪いの領域に思えてくる。
なんて答えようか考えあぐねていると、じゃあ俺は一生借りるんで、とゆるい声と共にカツカレーの大盛りのボタンを押す別の指。
「てめーに貸してやるつもりは毛頭ねェ今すぐ返せ」
「山崎喜べ、土方さんが奢ってくれるってよ」
「副長ありがとうございます!」
「誰が奢るか!俺に集るんじゃねー!」
「まあまあ落ち着けってトシ、俺も唐揚げ定食だな」
「近藤さんまで!?」
「いやー今月ピンチで」
「そりゃアンタがあの怪力女のところへ殴られに通ってるからだろ!?」
土方さんは釣り銭ボタンを押して、ワイワイ手を伸ばしてくるその他多数をシャットアウトした。
近藤さんはもちろん慕われているけれど、土方さんだって負けず劣らずだ。誰に対しても厳しく、それでいて常に仲間の事を思っている姿勢が、男性にとっての父親や兄と映るのかもしれない。
「じゃあ私デザートも食べたいです。セブンの杏仁豆腐とかアリだと思います」
「集るのはナシだろ!」
なくしたと思ったものが、いつの間にか自分のそばにある事に泣きたくなる。涙を隠して、笑顔を向けた。
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