夢か現か幻か | ナノ
Nightcap
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廊下が軋む音を厭うようにゆっくりと歩く。先生は明日早いみたいだし、沖田さんも明日は仕事だ。こんな夜中に起こすわけにはいかない。土方さんは非番のようだけど、それでも申し訳ない気分になる。

居間の窓から外を見ると、雪が積もっていた。雲と雪が街の光を反射して、普段よりもずっと明るい。室内でも電気をつけなくてもいいくらいだ。土方さんはあたしの肩越しに窓の外を覗いた。

「武州じゃここまで明るくなかったな」

武州ってどのへんだっけ。日本史に疎い身の上にはちんぷんかんぷんだ。首を傾げているのがわかったのだろう、「吉祥寺より西だ」と彼は付け加えてくれた。ああ、あのへん。元いた場所だと、あの辺りはベッドタウンになっていたのだけれど、彼の口ぶりからすると違いそうだ。

「ちょっと待ってろ」

土方さんはまるで我が家の台所を漁るように先生の家の台所を漁って、見事な筆跡で鬼嫁と書かれたラベルが貼ってある酒瓶を取り出すと、二つのグラスに注ぎ始めた。一つは土方さんの分として、もう一つは誰のだろう。とぼけた考えはこちらに差し出されたグラスによって打ち消される。グラスには透明な液体がなみなみと注がれていた。これ、お酒だよね。

「ほら、飲めよ」
「飲んでいいんですか」
「総悟と先生には秘密にしてくれよ。バレたらコトだ」

秘密という可愛らしい響きの単語が土方さんから漏れたことに少し驚く。曲がりなりにも警察官が未成年に飲酒を勧めるなんていいのかなと思いながらも、意を決してグラスの底が見える勢いで中の日本酒を飲み干す。はじめての日本酒だけど、これは、不思議な味だ。アルコールの辛味が確かにあるのに、まろやかな味に包み込まれているみたいで飲みやすい。それに胃が熱くなるこの感覚は癖になりそう。ぐいぐい行けるお酒だ。

「おい、それいい酒なんだぞ。もっと大事に飲め」

なるほど。いいお酒っていうのはこういう味なんだな。おかわりを頼もうとそっとグラスを押すと、最初のよりも明らかに少ない量が注がれた。暗がりでも不満げにしていたのがわかったのだろう。彼は憎たらしい顔で「酒の飲み方も分からん小娘にやる酒はねェ」とのたまった。仕方がないので二度目はちびりちびりと飲んでいく。のどごしもなめらかで、いいお酒だ。

「ふわふわします」
「そこそこ度数高いからなそれ」
「お酒ってこんな美味しいんですね」
「飲みすぎるなよ」

つまみのチータラがこれまた美味しい。パクパク食べていると、「俺の分まで食うなアホ」と頬をつねられた。パワハラだーと文句を言えば、取り合うのもアホらしいと言わんばかりに鼻で笑われる。笑うようなことでもないのに、笑みがこぼれてきた。箸が転がってもおかしい。これが酔いというものなのかしら。

「で、眠れねェほどの悩みってなんだ」

しん、と居間が静まり返った。雪が音を吸うせいか、二人が黙り込むとほとんど無音になる。いつの間にやら空になっていた土方さんのグラスに、静かにお酒を注ぐ。自分の分も注ぐと、「程々にしろよ」と釘を差された。忠告通りに少しずつ舐めていく。

「お前が人殺しってところまで知ってるんだ。今更隠すようなものがあんのか」

強くなりたい。過去に正対できるくらい強く。その一心で、嫌われるという恐れを押しのけて、自分が人殺しだと吐いた。我が身のコトながら笑いだしたくなる。強くなると啖呵を切って、眠れないなんて。自分を嘲っても、気を抜けば手が震えだす。足元にポッカリと大きな穴が空いて、ずぶずぶと飲み込まれていく錯覚。それから逃れたくて酒をあおろうとして、伸びてきた手に止められた。

「やめとけ。何かに飲まされる酒はマズいぞ」

確かに。嗜好品でしかないものなのに強制されて飲むのも変な話だ。土方さんはグラスを置いたのを見届けて、刀を掲げた。

「コイツと同じだ。なにも一人で強くなるばっかりじゃねェ。お前に進む意志があるのなら、俺は何度でもケツ蹴っ飛ばしてやる」
「……どうして、そこまでしてくれるんですか?」
「言ったろ。おまわりが迷子の手ェ離せるかよって」

少し赤い顔。イマイチ決まってない。昼間、同じ卓で言ったセリフよりも頼もしさが半減している。それでも、少しだけ、軽くなった。この人になら、言ってもいいのかもしれない。そう思う。あたしは、やっぱり、恵まれている。恵まれすぎている。泣きたくなるくらいに。

「笑わないで聞いてくれますか」

それに、もしこれが夢だったとして、こんな気分で目が覚めるのなら悪くないなあ、なんて。土方さんはこれを狙ってお酒を勧めたのかもしれない。

「眠って、目が覚めたら、ここに来てからの事が全部夢で、私は刺された場所で倒れている。そんな気がするんです」
「邯鄲の枕、か」
「あるいは胡蝶の夢かも」
「てめーの目の前にいる俺も、この江戸も、みんなお前の夢の中の産物かもってか。随分壮大な夢だな」

多分に呆れを含んだ声だった。むしろ、他人を幻呼ばわりして怒られないだけマシかも。

確かに、自分の想像力で目の前にいる超絶マヨラーを生み出せるのかと問われたら、黙って首を振る。あれはない。まじでない。でも死ぬ前の人間ならありえなくはないのかもしれないと思えてしまうのも事実なんだ。

「まァ、お前がそう考えてる間は俺が何を言おうと意味ねェな」

そう、誰にもこれが現実かなんて証明できない。これが誰かの夢じゃないという証明は誰にもできない。土方さんが何を言ったとしても、あたしの願望と捉えられてしまう。何も言えず苦笑いをするしかない。

「ここが夢か現か、あるいは幻かなんざ、俺にもてめーにも分かりゃしねェよ」

彼は煙草に火をつける。薄暗い中で煙草の火が憂いを帯びた彼の顔を照らす。煙のベールが揺らめく先に、憂いを帯びながらも確固たる信念を持った目があった。公園で見た彼の刀を思い出す。物々しくも、まっすぐきらめく刃。やっぱりこの人は刀に似ている。あんな風になれたら。強くそう願う。

「だが、ここが夢でも幻でも、お前が感じ、考えたもんは無駄にならねェ」
「目覚めた後に死んでしまうのに?」
「ああ。目覚めて死ぬ間際に『悪くなかった』って思えるなら、上等だろ」

意識を失う間際に思いを馳せる。世界が欠けて、全部が手の中から滑り落ちて、一人ぼっちになっていく。きっと家族も通ってきた道だ。思い出すだけで手が震えてくる感覚だった。その中でも、彼は、残るものがあると言ってくれた。……それを理解しただけで、手の震えが止まった。彼の言葉が自分の願望でも構わない。今際の際に残るものがあるのなら、それで。我ながら単純なものだと思う。けれど、人間なんてそんなものかもしれない。死ぬ間際に、何か一つでも残ったものに思いを馳せることが出来たのなら、それでいい、そう思ってしまう生き物なんだろう。あの時のあたしはただ失われる残り時間を見ていただけだった。でも、あの人は、あの子は、最期に何を思い描いたのだろう。

「そういうもの、でしょうか」
「ああ、そういうもんだ」
「悩んでいたのが少し馬鹿らしくなってきました」
「インテリも考えもんだな」
「インテリじゃないです普通の高校生です」
「俺達の水準じゃインテリの部類だ」
「それこっちの教育水準が低いだけ」

頭をスパーンと叩かれた。かくん、と視線が下を向く。正論を言ったつもりがあまりよろしくなかったらしい。正しい発言が正しいとは限らない。桜ノ宮すみれ覚えた。

「考えなしに付いてきたくせに、妙に考え込んで足を止めるからな」
「世の中の人間がみんな考えなしだったら世界滅びますよ。あたしみたいにちょっと考えすぎる人間がいて丁度いいんです」
「吹っ切れたら吹っ切れたで腹立つなお前」

チータラを啄みながら、雑談を肴に鬼嫁を飲んでいく。互いのグラスが空く度に、相手に酌をしていると、大人を先取りしたようで少し誇らしい気分だ。少しだけ折り合いをつけられて身軽になった心に、悪さをしているという高揚感とアルコールの薬理が重なって、つい鼻歌を歌ってしまう。しれっと煙草を一本もらおうとして、手を叩かれた。

「小娘が煙草なんざ百年早ェ」
「ケチ」
「酔ってるな」
「そうですね。不思議な気分です。昨日の土方さんもこんな感じだったんですか?」
「さあな」

煙草の火のせいか、土方さんも顔が赤い気がする。目が据わっているのは気のせいじゃない。この人、あんまりお酒に強くないのかも。あたしが酌した回数よりも彼が酌したほうが多いはずなのに。

「土方さんも酔ってます?」
「まだイケるな」
「えー本当ですかぁー?」
「殴っていいか」
「嫌です」
「じゃあ殴るわ」

ごすっといい音を立てて頭に拳が落ちた。人の頭を打楽器か何かだと思ってないかこの人。

*

頭が座らない赤子のようにぐらんぐらんと頭を揺らす土方さんに水を飲ませて用を足させて、グラスを洗って拭いて元の場所に仕舞い、未成年者飲酒の証拠隠滅。合意のもと、減ったお酒は全て土方さんのせいということにして、潰れた土方さんに肩を貸しながら、軋む廊下を歩いていく。あたしよりも体が大きくて、その上そんなに飲んでないのに潰れちゃうなんて意外と弱いんだなこの人。人は見た目によらないというか。逆にあたしが強いのかな?

「もうじき客間ですから、ホラしっかりして」
「今度飲む時はぜってーお前には合わせねェ」
「何かに飲まされるお酒はマズいですからね」
「やめろ、言うな」
「ふふ、次は気をつけてくださいね」
「悪ィな。胸貸すつもりが肩貸されちまってる」
「大したことじゃありませんよ。悩み事の相談に乗っていただいたお礼です」

声に苦しさが混じらないように言ってるつもりだけど、この人、筋肉のせいか結構重たいし、煙草臭い。もはや体臭が煙草の匂いなのかと思うくらい。そんな事を考えながら意外と長い廊下をえっちらおっちら進んでいると、筋肉質な肉体がずるりと落ちかけた。仕方がないので背負う。下腿を引きずっているけれど、気にしない。女に負けじと飲んで飲みすぎる人が悪い。

「なあ」
「なんですか」
「下着屋行った時から思ってたが、お前、もうちょっと食えよ」

唇がひきつるのを感じる。神さま、これは報いなのですか。いたいけな男児を下着屋に連れて行った罰なのですか。自問するあたしをよそに、男はさらに続ける。

「乳のサイズと手足の太さが釣り合ってねェ」
「外に投げ捨ててやろうかこの酔っぱらい」
「お前そっちが地だろ」

まあ、ちょくちょく地金が露出していたから、そう突っ込まれるのも時間の問題だと踏んでいたけれど、このタイミングか。よりにもよって、そろそろ投げ捨ててやろうかと考え始めたこのタイミングか。

「やかましいわ。ほらお部屋に着きましたよ」

おーう、なんて普段なら聞けないだろう気の抜けた返事。もし次に彼と飲む機会があれば、絶対に飲ませすぎないようにしよう。この大きさだと介抱するのも一苦労だ。

「布団まで行けますか?」
「おう」

布団に横たわっている沖田さんを蹴飛ばしそうな足取りは、とても大丈夫そうには見えない。沖田さんを起こさないように、踏んづけないように慎重に部屋の奥の布団まで引きずっていく。布団の上にぽいと転がして、布団でくるむ。酔いのせいか土方さん本体の扱いが若干雑な気がしないでもないけれど気にしない。

「ほら、お布団です。それと机の上にペットボトルを置いておくので、のどが渇いたら飲んでくださいね」
「かたじけねェ」
「今度飲む時はご自身のペースでお願いします」
「ああ」

じゃあ、おやすみなさい――と言って離れようとしたけれど、できなかった。手首を掴まれている。

「手っ取り早く眠れる方法教えてやる」
「え、ちょ」

なんか身の危険を感じて逃げ出そうとしたものの、時すでに遅し。あっさりと土方さんの布団に引きずり込まれてしまった。すっぽりと土方さんの腕の中に収まってしまっている。体が熱くて硬い。呼気が酒臭い。

「土方さん?」
「寝ろ」

抱き枕でも抱えているようにぎゅうぎゅう抱きしめられる。いや、マジでそのつもりなのかもしれない。既に寝にかかってるし。

――ロリコンの容疑で逮捕。

昼間の沖田さんの言葉が頭をよぎる。冷や汗が吹き出る。なにせ同じ部屋に沖田さんがいるのだ。これで危機感を覚えないわけがない。見つかったらどうすんのお兄さん!酔ってるからってやっていいことと悪いことがある!

いやいや、この人はきっと親切心で言ってくれてるんだ。眠れないあたしを寝かしつけようとしてくれているんだ。効果があるかは別にして。うん、きっとそうだ。そうであってほしい。恩人がロリコンだなんて信じたくない。

「やわらけー」

夢心地で呟かれた感想があたしの援護を打ち砕く。アウトだ。完全アウトだ。明日の平和のために腕を引き剥がそうとするけれど、ますます強く抱え込まれて身動きが取れなくなった。よーしよし、じゃないんだよ。

しばらく起こさない程度に頑張って、結局無理だった。起こすのは良心が咎めるから、仕方がない。このまま眠ることにしよう。あんな食生活をしておきながら寸分も無駄な肉がない腕と染み付いた煙草の匂いに包まれて目を閉じた。

ふわりと体が浮いて、沈む感触。眠りの前兆だ。

アルコールのおかげか、それとも包み込む体温のおかげか、あんなに眠れなかったのに、あっさりと眠りに落ちていく。

こんなふうに、誰かと眠るのは、随分と――。

*

翌朝、「土方ロリコン死ねェェェェ」という沖田さんの怒号と土方さんの悲鳴に叩き起こされることを、夢も見ずに眠るあたしは知らない。
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