夢か現か幻か | ナノ
Echo -side B-
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「――へェ、どこの三文小説でィ」

証拠品を提示しつつ一通り話し終えた後、総悟はちょっと考え込み、一言で切って捨てた。そうであればどれだけ良かったか。ありえねェ話だってのに否定できる材料がない。これがどれほどの苦悩を生むのかお前にゃ分かんねえだろうよクソ。これなら笑いだされる方がよっぽどマシだ。

「だよな。お前ならそう言うと思ったわ」
「ただ、天人なんてもんがわんさと居る時代ですからねィ。何が起きてもおかしくねーや」
「同感だ。ったく面倒なもん拾っちまった」
「で、近藤さんにも内緒にする理由がよくわからないんですが」
「近藤さん、隠し事できねェだろ」
「まあ確かに。でもささっとお上に渡しちまえばいいじゃないですかィ。そんな厄ネタ」

厄ネタ呼ばわりされ桜ノ宮が少し不機嫌な顔になった。ところどころが壊れた女だが、流石に厄ネタ呼ばわりが癪に障る程度の感性はあったらしい。つーか誰も味方いないんだけど。なんでみんな処分賛成派なの?ジーさんあんだけ心配してたよな。総悟もなんだかんだ助言投げたりしてたよな。

苦しいと思いつつ言い訳を重ねる。

「もし宇宙海賊やら、攘夷浪士関係だったなら、ちょうどいい餌になるだろ、コイツ」
「で、本音はどうなんだトシ」
「それに上に引き渡してもモルモットの扱いしかされねェだろコイツ」
「それで俺達が死なずに済むなら無問題モーマンタイですぜィ」
「…………」

これってアレか。寺子屋で飼ってた豚さんを食べるか否かの寺子屋裁判か。ほぼ9割有罪になるだろこれ。つーか桜ノ宮当事者だろ!なんか言え、なんか!このままじゃお前出荷されるぞ!

視線で訴えるもアイツはどこか気後れしたような視線を返しただけだった。まだ悩んでやがるのかコイツ。コイツの罪悪感に基づく自己否定的な考え方はちょっとやそっとじゃどうにもならねェものだったらしい。……いや、たった一人で生き残った方法を考えると、そうもなるか。だが、未来は自分の口で切り開いてもらわねェとどうにもならねー。

ジーさんの冷たい視線を無視して煙草に火をつける。ニコチンがささくれ立った心を撫でた。

「おまわりが迷子の手ェ離せるかよ」

桜ノ宮は唇を噛んで下を向いていた。他人に親切にされた時、罪責を背負う時、コイツはいつもそういう顔をする。そんな事されるほどの価値はない、そう言いたげに顔を伏せる。俺はコイツのそんな反応が嫌いだった。ガキのくせに妙な意地張りやがって。

今はこんなツラばかりだが、いつの日か。コイツなら、全てを背負って、笑うべき時に笑えるはずだ。ベソかきながら強くなると言ったコイツなら。今俺にできる事っつったら、自分の本音をさらけ出すようにケツをひっぱたいてやるくらいか。

今更手を離せねーところまで来ちまってるんだ。行き着くところまで、何度でも、ケツ蹴り上げてやるさ。

「お前もなんとか言え!死にたくねェとか、まだやりたい事があるとか、なんか言えんだろ!?」

泣き虫な小娘は、今にも泣き出しそうな顔で俺を見て、俯いた。こりゃダメか。そう思いため息がわりに煙草の煙を吐けば野郎二人がしかめっ面をした。多様性なる言葉が叫ばれて久しいが、巷に新たな価値観が加わる毎に、相いれねェ他者を排除せんとする風潮は強くなっている。俺達人間にゃ、多様性なんざまだまだ早い概念だったかね。まったく、喫煙者には肩身の狭い世の中になったもんだ。

新しく煙草に火を付けた頃、桜ノ宮は面を上げた。その目にはどこか決然とした光が宿っている。ファミレスで弟の事を思い出して泣いた後、顔を上げた時と同じ目だ。どうやら、腹を括ったらしい。そういう時のコイツは、確実に一歩踏み出す。

「土方さんやその周囲の方の身を危険に晒してまで、この私に生きる価値なんてない、そう思います……人を、殺めてしまった私には」

――あれ、見当違いの方向に足踏み出したか?

嫌な予感がして声をかける。アイツは静かに首を振った。最後まで話させてほしいらしい。こういうところは妙に頑固で困る。ただ、総悟は黙っていられなかったようだ。徐に立ち上がり、刀を抜こうとする。とっさに腕を押さえなければ抜刀していたに違いなかった。

「生きてる価値がねェって言うんなら、俺が首切ってやらァ。安心しろィ。アンタを殺した奴みてーな半端はしねェ。死んだとも分かんねぇくらいバッサリあの世に送ってやりまさァ」
「それは……素敵ですね」
「やめろよ総悟。儂の家を血だらけにするな」
「虫けら一匹殺ったくらいで、自分にゃ価値がねェだの抜かす馬鹿げた女にも同じこと言ってくだせェ」

総悟の怒りは最もだろう。ジーさんは知らねェが、俺や総悟は少なくない人数を殺ってきている。やれ幕府だ、やれ俺達の大将だ、色々大義名分はあれど、それを引っ剥がして最後に現れるものは、単なる人斬りの称号だ。それは俺達も、そこのアホも、何一つ変わりゃしねェ。アホの言葉は、俺や総悟や近藤さん、他の隊士達も同列に貶しているとも取れる。だが、コイツ、本当にそれだけなのか?この女が本当に黙っている事は別にあるような、そんな気がしてならねェ。……いや、公園でああ言った手前、必要以上に踏み込むべきじゃねーな。

「みなさんが何をしているのかはよく知りませんが、私の世界での話です。私の世界での日本、大部分の警察官はおろか、軍人でさえただの一人も殺したことがないような、そのくらい平和な世の中ですからね?……裏稼業は知りませんけども」
「こっちの世界で生きてるんだからこっちに順応してくだせェ」
「10年抱え込んだ価値観が2日程度で変わるものですか」
「なるほど。アンタは平和ボケした価値観じゃバリバリ浮いてたと」
「そうですね」
「性格歪んじまってかわいそうに」
「沖田さんには言われたくない」
「こんなに捻くれちまってかわいそうに」
「沖田さんにだけは言われたくない」

人を殺すなという最も単純で明快な道徳が行き渡った世界。殺人が生きる術でなくなってから久しい世界。そこで起こった必要に迫られた殺人イレギュラー。大衆の価値観から浮いたガキが何を思ったのか。それが「生きる価値がない」という言葉に集約されているんだろう。遣る瀬無さにフィルターを歯噛みする。

この江戸でも当然、人を殺すなという法はある。だがまだ戦時中の記憶が根強いせいか、血なまぐさい出来事は幕府の内外を問わず起きている。廃刀令のご時世にも関わらず、刃傷沙汰なんざ日常茶飯事だ。そんな世の中でも、人殺しに向けられる目は決して優しくねェ。幕府の名のもとに浪士共を斬る俺達に向けられるものですらも、だ。……幼いガキが10年もそんな目を向けられ続けてきたとすれば。不意に、武州の兄姉達を思い出す。足元に転がる乾いた目玉。細く煙を吐く。昇る紫煙とともに、過去の残像はぼやけた。

「話、戻しますね。そんな身に何ができるのかは分かりません。何が正しいのかも分かりません。それでも、私は、強くなりたい。沖田さんいわく捻じ曲がった性根でも、まっすぐ歩けるようになりたいのです」

優しげに見える瞳に確固たる意思が宿っている。それまではそこにあったのは失意と諦観だった。長らく浸かってきた諦観から完全に抜け出すにゃ至っちゃいねェ。だが、それでも、一歩前に進んだことが伺えた。俺から言わせりゃまだまだだが、それでもコイツには重大な一歩に違いない。

「だから、機会をください。私をここに居させてください。お願いします」

小さな頭が床についた。桜ノ宮は三つ指をついて土下座していた。

その姿を見て、考える。コイツも応えたのなら、俺も応えよう、と。

コイツは「一歩踏み出せ」という俺の言葉に応えた。だったら、俺は「機会をくれ」というコイツの言葉に応える。そんだけだ。

「俺ァお前らが何と言おうとコイツのことは秘匿する。総悟、ジーさん、俺が今まで言ったことは全部忘れてくれ」

ジーさんと総悟がコイツを置いとけないと言うのなら、俺が匿うしかねェだろう。

桜ノ宮の手を引いて立ち上がる。少し不安げな目が俺を捉えた。丸っこい頭を撫でてやれば、猫のようにすっと目が細まる。娘を持ったらこんな感じか、と考えて、今朝の爺とコイツのやり取りを思い出した。ないな。コイツが、こんなクソガキが娘はない。俺の娘ならもっとこう……。コイツはせいぜい手のかかる妹だな。とんだ駄妹を持ったもんだ。

「妙な話を聞かせて悪かった。やっぱコイツは俺が」
「お前に複雑な年頃の女の子預けられるかよ。なんかあったらこの子の両親に申し訳が立たんだろうが」
「桜ノ宮さん、気を付けなせェ。そいつ昔奉公先の娘を――」
「俺ァそんなことしてねーよ!誰の話だ!!」
「あの皆さん……?」

戸惑ったような声が上がる。俺も同じ気分だ。なんだコイツら。心配したり処分しようとしたり。どっちかにしろ。もうじきホテル引き払うかどうかの瀬戸際なんだからよ。苛立ちがそのまま声に乗る。

「何がしたいんだお前ら」
「土方さんをおちょくること」
「流れだな」
「そんな理由!?マジで部屋探しに出るところだったじゃねーか!」
「土方さん、こんな女囲うんですか」
「囲うってなんだよ」

そりゃあの後がロクでもない文字列が続きそうな野郎の頭をぶん殴る。がっとカエルが潰れたような声が聞こえたが知ったこっちゃねー。女の方は今ひとつ事情を理解していないのか、妙なものを見るような目をしているのが幸いと言えば幸いだった。

「いやてっきり土方さんがロリコンに目覚めたのかと」
「んなわけねーだろ」
「顔はガキだがいい乳してますから、いざヤッたらそこそこいい思いできるんじゃないですか」
「ロリコン前提で話をするのやめない?」
「もう手遅れでさァ。土方さんがロリコンだって隊士共の間で噂になってますぜ」

酔って手を繋いだだけでこの始末。不名誉だ。こちとら同衾こそしたが、手ェ出してねーってのに。どいつもこいつも邪なことしか考えねェ。そんな噂話する暇があんなら素振りでも書類作成でもしてろってんだ。戻ったら隊の引き締めにかからねェと。

「どいつもこいつも……」

煙を吐き出すと、ジーさんは無言で居間の窓と扉をすべて開け放った。寒さが付け入ってくる。桜ノ宮がぶるりと体を震わせた。小さい背に上着をかけてやると、礼を言うなり袖の匂いを嗅ぎ、「煙草の匂いがする」と不平なんだか感想なんだか曖昧な言葉を返してきやがった。

「文句あるなら返せ」
「わーいあったかーいありがとうございますー」
「棒読み!」

むかっ腹が立ったので上着を引っ剥がそうと攻防を繰り広げる。クソ、コイツ、案外力強ェ……。

傍から見れば俺達はじゃれ合ってるようにしか見えないんだろう。ジジイも総悟も笑い始めた。

「ま、後は野となれ山となれでさァ」
「総悟の言う通りだ。だからトシもすみれちゃんも気負いすぎんなよ。お前ら二人とも、堅物だからなァ」

桜ノ宮はしばらく固まった後、勢いよく頭を下げた。

「あっ、ありがとうございます!……折り入ってご相談があるのですが――」

やっとここのジーさんを頼った本来の理由にこぎつけたらしい。それとも、やっと決心がついたのか。桜ノ宮はゆっくりと、自分の意思を言葉に変えていった。

医術開業試験を受験したいこと。その資格を得るために独力で勉学に励みたいこと。時間があるときでいいので、実技面の習得の支援がほしいこと。

そして、最後に。

「私は、人を殺めています。自分が生き延びるために。そんな私がお医者さんになれるかは今も」
「なるって決めたんだろ。どんな理由であっても、一度決めたなら突き進め。そうすりゃ儂はもちろん、周りの連中だって自然と支えてくれらァ」
「そういうもの、なんですか」
「そうだ。魚心あれば水心ってな。人間の社会ってのはそいつ一人で成り立ってる訳じゃねェ。沢山の人間が寄り集まって、互いが影響しあってる。つまりな、すみれちゃんがこうするって決めて一生懸命動いたなら、ちょっとは助けてやろうって奴が出てくるもんだ。なあトシ?」
「うるせ。俺は警官として迷子の道案内してるだけだ」

迷子は迷子でも世界を跨いでいる上に、手前の人生にも惑っているひどい迷子だが、まあケツ蹴っ飛ばしてる間にどこぞへ行き着くだろう。そこまで何年かかるか分かりゃしねェが、拾った人間の責任として、付き合ってやるか。コイツの外見のせいでロリコン呼ばわりされるのは癪だが。

「大丈夫だ。サボり魔に喧嘩屋、その他ゴロツキに毛が生えたような連中の医者には、オイタした経歴がある位が丁度いいだろう」

ジーさんはガハハと白い歯を見せて笑うが、殺人はオイタの範囲を超えていると思う。総悟も桜ノ宮も同じことを思っているのか、微妙な顔をしていた。アイツは少しばかり困惑していたようだが、やがて眉をハの字にして笑った。

「本当に、ありがとうございます」

……ヘッタクソな笑顔。

*

とりあえず桜ノ宮の居場所は出来た。しかし話し合うことは山ほどあった。まず勉強について。これは座学をやりつつ、実際の現場を見せ患者と接して学ばせるという。娘もこれで受かったし大丈夫だろうとジーさんはいう。根拠があるんだか、ないんだか。

次いで生活費は全額ジーさんが出す事になった。アイツは気にしてるような顔をしたものの、出世払い以外に出来ることがねェ事は理解しているのか、少し釈然としない面持ちで頭を下げた。

一通り話が終わる頃には外は薄暗くなっていた。直に夜が来る。

「よし、すみれちゃん!空き部屋を案内するから使ってくれ。終わったらトシ達と買い物に行ってこい。色々いるだろう」

ジーさんが立ち上がり客間を出て行く。俺たちもついていく。

その部屋は俺たちが一度も入ったことのない部屋だった。板張りの床。古い洋風の鏡台。脚に紋様が彫られた椅子と机。本棚には褪せた医学書が並んでいる。15年ほど前で時が止まったような部屋だった。換気はしているのだろうが、どこか埃臭ェ。

……これがジジイの娘の部屋か。そこここに残る娘の残り香に、アイツは不思議と馴染んでいる。やはり奴に似合うのは洋品なんだろう。

「見ての通り、洋室だが、お前さんにはこっちのが馴染み深いだろうと思ってな」
「いえそんな……!この部屋は」
「いいのさ。誰も使わねェ部屋なんざ部屋も可哀想だろう」

寂しげな目で言われてはもう何も言えねーようで、桜ノ宮は少し困った顔で礼を言った。窓を開けると見慣れた町並みが覗く。レースのカーテンが冬の風に揺れた。

「見ろ。部屋も喜んでらァ。親父が掃除に入った時はいっつも顰めっ面しやがるのによォ」
「そりゃ年頃の娘の部屋に掃除に入ってくる親父なんざ嫌だろうよ」
「まったく、ひでえ娘だよ。誰が本の虫干しまでしてやってると思ってんだか」
「そりゃ余計なお世話ってもんでさァ」
「トシ、手ェ出せ」

言われて手を出すと、ポンとカードを渡された。ブラックカード、などという一般市民にゃ伝説上の産物ではなく、何の変哲もねェ、ごく普通のクレジットカードだ。ジーさんは外に夢中のガキの目を逃れるように俺にささやきかけた。

「使え。若い娘にゃ色々入り用だろう」
「いらねェ。俺だってそんくらいの甲斐性はある」
「ちっげーよ。お前も案外鈍いな。お前が金出したらあの子が気ィ使うだろ」
「それは岩尾先生も同じじゃありやせんか」
「社会的地位の問題だ。副長サマといえど一介の公務員と、一端の開業医。あの気にしいの娘には結構でかい違いだろうよ」

確かに、ホテルでもそうだったが、飯を奢ると必ず微妙な顔をした。特に高級な品を奢る時なんかはそうだ。つーか、ファミレスでも、最初は白米だけ頼もうとしてたなアイツ……。マヨネーズやるっつったら親子丼を頼んだが。くっそ。人の向こう脛を蹴飛ばしやがって。

年寄りは話ばかり長いが、その言葉はなかなかどうして捨て置けねェ。俺はジーさんのカードをありがたく財布にしまった。

「わかったよ。ありがたく使わせてもらう。ただし、今月の請求額にひっくり返んじゃねーぞ」
「……できれば、リボ払いでお願いできない?」
「先生、リボは首が回らなくなるから止めたほうがいいですぜィ」

……やっぱり、一部は俺が出そう。
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