万事屋の旦那が攘夷戦争の英雄・白夜叉であったと露呈した頃。真選組の手柄としてワッパをかけられた旦那がそう簡単に釈放されるはずがなく、土方さんやら沖田さんやらに散々、今は攘夷活動を行っていないんだなと絞られていた。
一方あたしはと言うと、万事屋の自主的な偵察を行っていた。
面倒な事になるので旦那の行方については口外するなと土方さんに厳命されていたから、彼らに接触する事はしなかった。嘘を突き通せる精神はしていない。
旦那が居なくなって数日は、残された彼らは至って平常だった。普段通りに出勤し、散歩に行き、仕事をこなし、買い物してご飯を食べて眠る。……以上。見ているこっちが申し訳無さを覚えるくらいにはいつも通りだった。
だって旦那が居なくてもなんとかなってるんだもの。なんなら、稼いだ金を博打や糖分につぎ込む旦那がいない分、変なプラモに金をぶっこめるくらいには裕福なんだもの。自業自得とはいえ旦那がちょっとだけ気の毒だ。
でも、繁忙期には大人の手がないのはかなり不便なようで、残された二人はその変なプラモにドンドン改造を施していた。
最初は旦那に近づけていたプラモは、いつしか彼らの理想のリーダー像に近づけられていた。そして、理想のリーダー型サンドバッグは、本物のリーダーになってしまった。そして本物のリーダーは街の顔役になっていった。
これだけなら、まあ、旦那が戻ってきても、ちょっと肩身が狭くなる程度で大丈夫だろうと思っていた。どうせからくりだし、所詮は代行だ。むしろ、彼がいるならあの子達も安心だと思って偵察をやめたくらいだった。
あたしの読みが甘すぎた事を悟るのは、いつも行ってた飲み屋のおっちゃんの頭の中から、万事屋の坂田銀時という男がツケと一緒に綺麗サッパリ消えてしまっていると気付いたときだった。
慌ててありとあらゆる人脈に坂田銀時の存在を確認したが、遅かった。真選組の屯所の中でさえも、誰も彼の事を覚えている人がいなかった。
これは「あちゃー」では済まない。何もかも甘すぎた。旦那になんて謝ろう。
しかし幸か不幸か、勾留の意義すらも忘却された旦那は、あれだけ尋問されていたのが嘘のように釈放されてしまう運びとなった。
旦那なんて関係ないのだから、見捨ててもいいのだけど、それはおかしいだろう。
世界が歪められていて、自分はそれを知っている。それを正す方法もあるかもしれない。実力もそこそこには。
そして、歪みによってかき消された人に、私達は何度も救われた。
ならば、行動するべきなのではないだろうか。
まずは――。
*
丸腰かつ私服で煙草をふかしつつ、路地裏を歩いていると、物陰から木刀が突き出された。木刀を佩く風変わりな男には一人心当たりがあるが、この男は違う。黒基調の着流しに、木刀の銘は金閣寺。……この男が、坂田銀時に成り代わった機械だ。
「よう、お嬢さん」
「…………」
「だんまりたァ、可愛くねーな」
さて、諸悪の根源と予定通り出くわしたのはいいが、これを破壊できるだろうか。万事屋のリーダー代行という事は、戦闘力も坂田銀時とほぼ同等であると考えられる。そしてその坂田銀時は土方さんですらも敵わなかった剣の使い手。未だに土方さんと本気でやり合っても瀬戸際で勝てない人間にどうこうできる相手ではない。
だが、仮説を立証するためには、この接触は必要なものだ。
「これが、この小説のヒロインねェ……」
「お前相手ではないのになぜ見定められなければならないのですか?」
「そりゃあ原作の主人公として、だ」
「あくまで代理のくせに何を言っているのですか。やっぱりポンコツは分を弁えませんね」
「なに?」
「整備不良で聴覚センサーにゴミでも詰まりましたか?お前は欠陥品だと言ったのです」
あたしが本音を言うと空気が一段と重たくなった。確かに、あえて『そういう』物言いをしたけれど、まさか乗ってくるとは。まあ、沸点が分かりやすいのは助かる。言葉で他人を殴るのは割と得意なものでして。
あの器なら言葉でぶん殴ると間違いなく実力行使に出てくる。しかし、奴はまともに戦って勝てる相手じゃない。
頭の中で路地裏の構造を思い浮かべて、退路を確認する。問題ない。旦那レベルの実力でも逃げ切れるはずだ。こう見えて逃げるのは得意なので。
「お前みてーなヒロイン失格人間をこれ以上のさぼらしておく訳にゃいかねェ」
敵意に満ちた言葉の後、奴は自分の獲物に手をかけた。
敵対行為の兆候あり。局中法度、私ノ闘争ヲ不可。局中法度、士道ニ背キ間敷事。この場合の解釈は敵前逃亡は切腹。論理に明らかな矛盾。……優先順位の再設定。戦闘からの離脱、自己の生命の安全を優先。大通りに避難すべき。
奴が木刀を抜いたその刹那、近くのゴミ箱を蹴飛ばして、奴に背を向けて全力で走った。
さて、みんなが旦那を忘れているのは、洗脳によるものだと見た。洗脳方法は不明だけど、自分にそれが効かなかった理由はもっと分からない。一つ思い当たる要素はあるが、この際それはどうでもいい。
自分が洗脳されなかったのは他人で再現できない領域だろうからさておいて、洗脳にどう対処するかが問題だ。洗脳する方法は、何らかの薬物の散布、催眠術、電磁波……色々考えられる。しかし、催眠術はこの界隈の人間一人一人に丁寧にやって回るのは非効率的だ。
ああいう機械は少ないリソースで最大限の効果を上げるようにプログラミングされている。ならば、不特定多数の人間にやるには向かない方法は取らないだろう。とすれば、アレを中心に電磁波の類ないしは薬剤が放出されている事になる。
証拠を集めるためにアレを挑発してみたけれど、乗ってくれるのか。つーか乗ってこられると、あたしは当面、職なしになるのか……。セーフハウスは確保済み、当座の生活資金は下ろしてあるものの、どうなる事やら。
大通りに出る前に、ちらりと後ろを振り返る。金髪ストレートの男は、その髪の毛に見合わず、ひん曲がった笑みを浮かべていた。
屯所に戻る前に、土方さんに連れられてよく行った、定食屋に立ち寄る。彼はここのオヤジが出してくれる土方スペシャルをいたく気に入っていた。何度も彼と一緒に足を運んでいたから、あたしも一緒に顔を覚えられていたのだ。
屯所に戻れるかどうかの試金石だ。これでおばちゃんがあたしの事を覚えていなければ……晴れてめでたくもなく、あたしは無職の女になる。しかし、これでどういう方法でアレが人間を洗脳しているかは明らかになる。痛みに耐える価値はある。息を呑んで、震える指を扉にかけた。
「いらっしゃい……あら、初めてのお客さんだね」
この体験は二度目だ。だから、よく知っている人にはじめましての対応をされても、顔色が変わらなかったと思う。
でも、あたしの目は、店の一箇所に吸い寄せられた。
無造作な黒い髪の毛。太くがっしりした首。性別がよく分かる肩。私服の黒い着流し。傍らに立てかけられた妖刀。それらはどれもこれも見慣れたものだった。
土方さんだ。
「ちょっと土方さん、あの子すっごく可愛いじゃない」
「あ?……ガキじゃねェか」
惚れた人に、忘れ去られている。それを理解して、息が止まりそうだった。
忘れられた事は初めてじゃない。あの時は真選組がなくなってて、みんなあたしの事も、土方さんの事も知らなかった。あたしは、他の誰に忘れ去られても、立っていられた。どちらかというと、土方さんがいないと知ったときの方が、辛かったくらいだ。
でも、何を引き換えにしてもいいと思った人に忘れられると、心が痛い。全身がバラバラになったみたいだ。ふうっと何かが遠くなるのを感じる。糸の切れたマリオネットのように、身体から力が抜けそうになった。
「おい、大丈夫か?」
「えと、持病の貧血で……」
「貧血が持病になりそうな、か弱い女にゃ見えねェが」
風のように駆け寄ってあたしの身体を支えた鬼の副長の直感は鋭い。笑ってごまかした。
「つーかお前どこかで……」
「ナンパですか」
「誰が餓鬼なんざナンパするか!」
「これでもハタチですよ?」
「は?」
「私、20です」
「分かりやすい嘘つくんじゃねーよ!どっからどー見たって17とか、そん、なんだ、ろ……」
「土方さん?」
「なあ、お前、前にも俺とこんなやり取りしなかったか……?」
土方さんは否定したそうにナンパ文句のような事を言ってくる。でも残念な事に、確かに3年前、これとよく似た会話をしている。出会ったばかりの頃、土方さんはあたしの事を10代前半だと思っていた。
どうやらあのガラクタの洗脳は完全ではないようで、何かしらのきっかけで洗脳がほころんでしまうらしい。これは大きな収穫だ。あたしの事を思い出させる事ができるのなら、旦那の事を忘れているみんなにも旦那を思い出してもらう事ができるかも。
「やっぱりナンパですか?」
「違ェつってんだろ」
まるで、もう異性は懲りたと言わんばかりの態度。そんな態度で思い出されるのは、彼の永遠の人。朝焼けの病室で、光の中で美しいままに朽ちた花。あの人と自分の人生が交わったのはほんの一瞬だったけれど、それでもあの人の儚くもどこか強さがあった生き方は、鮮烈に残っている。きっと土方さんの心には、もっと美しいままに住んでいるのだろう。
ため息とともに定食屋のカウンターの丸イスに腰掛けた。出会ってしまったものは仕方がない。話している内に記憶が戻る事もあるかもしれないし。
「なんで隣に座る」
「私、ここに来たばかりで、友達いないんですよ」
「お前ならできるさ。何人でも」
明らかな気休めかつ社交辞令の言葉を投げかけられてもめげない。あたしのちょっと前に入ってきた土方さん共々注文をして、静かに食器を拭いているおばちゃんを眺めながら、適当に切り出す。
「あ、そうだ。私、桜ノ宮すみれです。最近江戸に来ました」
「……土方十四郎だ」
「へえ、どう書くんですか?」
なにもない顔をして大切な人に嘘を吐いている。それが心苦しい。いくら正当化しても、自己を許せるわけじゃない。土方さんは、あたしの心中を知ってか知らずか、土方さんはカウンターの上に指を滑らせた。
「簡単だぞ。『土』に方角の『方』、漢数字の十四で『十四』、で最後におおざとの方の『郎』で『土方十四郎』だ」
「ヒジカタってそう書くんですね。分からなかったです」
「よく言われるな……なァ、俺とお前、どっかで会わなかったか」
「私、簡単に忘れ去られるような顔と物言いはしてませんよ」
感情移入の対象としてはかなり性格が悪くて人を選ぶ自覚はあるし、そもそも美形っていう設定はジャンルによっては嫌われる設定だ。それでもそういう設定にされたからには、それを生かさない手は無い。
30センチ近く身長差のある土方さんを見上げると自然と上目遣いになるのでそのようにすると、彼は目をあらぬ方向に滑らせた。照れている時の反応だ。にっこり笑えば、少し訝しげな顔つきになった。あっちゃあ作り笑顔感出しすぎたか。そういえばちょっとぐらい崩れてた方が本物に見えるって沖田さんが言ってたっけな。
「確かに、こんな女忘れねェわ」
「でしょう」
「じゃあ、アレか。……前世か」
この人の顔から、そんなスピリチュアルな単語が出てくるとは思わなくて、思わず噴き出してしまった。我慢できなくて、ついつい笑ってしまう。
「なんだよ。笑うこたァねーだろう」
「いや、前世でどんな因果を背負ったら、あたしと二度も出会う事になるんだろうなって」
「……今も背負ってる最中かもな」
土方さんが視線を投げた先にある傍らの刀、その鍔には、よく見ると小さく暗褐色が飛んでいる。ちょっと見づらい位置にあるけれど、その赤は紛れもなく酸化した血液だ。……休みだというのに人を斬ってきたらしい。大方浪士に絡まれて、やむなく一戦交わしたのだろう。後処理は手空きの隊士に任せて自分は休日を続行か。本来ならば彼本人が後始末すべきなんだろうけれど、休みが少ないこの人だ。ゆっくり休日を満喫してもらうべきだろう。
「生きてる限り積もるものですよ。因果は」
「……そうだな」
彼が苦々しく答えると同時に、それぞれのご飯が目の前に届けられた。
「いただきます」と一言置いて自分のサバ定食をつつきながら、どうやって職を探そうかと思案した。隣のマヨネーズ丼は気にしない事にする。
「驚かねェのか」
「個人の自由ですから。美味しいですか」
「ああ。やっぱり白米にはマヨネーズだな」
「適度に油分と塩分があるとご飯が進みますよね」
人間って本能的に油分と塩分、そして炭水化物を求めるようにできてるし。しかし人間は理性ある生き物なので、せめて野菜くらいは摂ってほしい。野菜が高くて買えない貧乏大学生ならいざ知らず、土方さんは地位ある人なんだから。
昔は衛生隊長だったが今は悲しい事に他人なので、口出しする権利なんて持たないのだが。
「ところで、今日は休日ですか?」
「ああ」
「いつも休日は何をしてらっしゃるんですか?」
「……縁側でごろ寝したり、外に出て映画見たり、サウナ入ったり、マッサージ機に座って昼寝したり、素振りしたり、そんなもんだな。つーか男の休日なんて知って楽しいか」
「ええとても。女性とは違う過ごし方をしていたり、休みに対する考え方が違ったりして、とても興味深いです」
土方さんは露骨に引いたような声音で「そうかよ」と一言返しただけだった。ちょっとがっつきすぎたかも。男というものは追われると逃げたくなる生き物なのだと、御庭番衆の眼鏡のくノ一が言っていたのを思い出した。分かってるのになんで旦那を追いかけていたのだろうか彼女は。
定食を平らげて、マヨ丼をかきこむ土方さんをカウンターに肘をついて見守る。リスのようにふくらんだ頬が可愛らしい。
「そういうお前は何してるんだよ」
「え」
「お前ばっかり質問すんのは、ズリぃだろうが」
「私は……ゲームセンターでピンボールしたり、部屋で勉強をしたり、あとはお酒飲んだり、ですかねぇ」
「俺も人の事言えたクチじゃねェが、アンタ趣味が少ないんじゃないか?」
「う……」
「お前くらいの歳にしかできない趣味ってのもあんだろ」
「ふふ、土方さんは若い女の子しかフリフリのお洋服着ちゃいけないって思う人ですか?お洋服なんて自分のためのものなのに?」
「そういう輩に限って似合ってねェって言われると泣き出すか怒り出すんだよ。他人の評価が気になんなら、似合う服を着るもんだっつー話だろ?」
あたしの記憶を失ったって、土方さんの本質はさして変わらないらしい。自分がいなくても、世界は平常通りに回る証左のようで、少し胸が苦しい。
「ごちそうさまでした」と以前と同じように重なる声が、どうしても遠く思えた。
prev100
Designed by Slooope.