夢か現か幻か | ナノ
Gladiolus part.1
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人間の嗅覚は、犬やその他の動物に比べるべくもなく劣っている。しかし幕府の犬、警察官にとって、嗅覚とは中々に侮れないものだ。ここで言う嗅覚とは、いわゆるゴーストが囁くとかその類の、第六感的なものも含んでいる。あたしの鼻が嗅ぎ取るのは、事件の始まりの臭いだ。

事件の始まりは、うだるように暑い夏の日だった。

うん?時系列がだいぶ違う?前の話は冬だった?気にしないでほしい。この世界の季節とは、ジャンプが巡った回数だけやってくる、そういうものなのだから。流石にそろそろ整合性を取るのが面倒になってきたとかそういうのじゃない。銀魂の分岐のページ見てみて。時空がねじれてるとは最初っから書いてある。

……一体何を考えていたんだろうあたしは。まあいいか。

事件の始まりの臭いを最初に嗅いだのは、数少ない休日、屯所の人気の少ない廊下で、偶然沖田さんとすれ違った時だった。鼻をつく刺激臭。それだけなら沖田さんがよく嫌がらせに使うタバスコの臭いで済んだのだけど、臭うのは沖田さん自身からだ。

「あれ、沖田さん」
「すみれさん、今日はそんな菜箸みたいな葉巻吸いたいんですか」
「まあ、たまには。沖田さんは、タバスコ引っ掛けました?」
「流石副長の雌犬。嗅覚が鋭いこって」
「詰まったお鼻じゃ警察官は務まりませんからね。それにしてもすごいですね、隊服に大穴まで開けちゃって。……まるで誰かに刺されたけれどタバスコの瓶で助かったみたい」

所感をそのまま口にすると、沖田さんはあからさまに固まった。ここまで露骨な反応を見せる沖田さんは早々お目にかかれない。人気のない場所を選んで通っていた事といい、どうやら、刺されたのを隠蔽したかったらしい。珍しいを通り越して異様だ。

沖田さんは自分に敵対する人間には1ミクロンも容赦しない。相手がなんであろうと、その生命を断つまでは絶対に手を緩めない男だ。その彼が、刺した人間を殺して処理するでもなく、連れてくるのでさえなく、野放しにしている?怪しい。これは何かがある。

「何かあったのなら、相談に乗りましょうか?」
「アンタが懸念するような事なんざ、何もありゃしませんぜ」
「……本当に?」
「アンタ、いらねェとこまで土方に似てきやしたね」

露骨な疑りに、沖田さんは心底忌々しげに目を逸らした。駄目だなぁ。こういう態度になっちゃったら、話を聞き出すのは難しくなる。しくじった。前にもこんな失敗をした。勇み足すぎるんだあたしは。ため息をついて、追求を一旦打ち切る。

「……何にせよ、無理だけはしないでくださいね。怪我人治すのは、浪士を殺すのより大変なんですから」
「肝に銘じときまさァ。……ああ、あと」
「はい?」
「この件は土方さんには内密にしてくだせェ」
「……分かりました」

廊下の壁にもたれかかって、沖田さんの背中を見送った。背中が曲がり角の向こうへ消えたので、手近な縁側に向けて歩きつつマッチの箱を手で弄び、考え事をはじめる。

さて、真選組隊士が刺されるとすれば理由はそう多くない。浪士の恨みか、事件に巻き込まれた被害者の恨み、そのいずれかだ。しかし、設立から四年も経った組織だ。斬った浪士の屍は積み上げれば天保山くらいにはなるだろうし、巻き込まれて死傷した被害者もそれなりだ。さて、誰某の恨みなのやら。

沖田さんの後をつけるか?いや、そんな事すれば多分、あたしの頭の上にバズーカの雨が降る。流石に命の危険は冒したくない。しかし、自分の嗅覚は、沖田さんの異変を見て見ぬ振りするのはよくないと感じていた。

土方さんに密告、は多分比喩抜きで殺されるな。去り際にキッチリ釘刺されたし。

これは、待てば海路の日和あり、かな。いや、相手は刃物を持ち出して沖田さんの懐に飛び込むという、実力行使に及んでいる。既に相手の準備は整っているとみなすべきだ。危険な状態かもしれない。でも密告したら殺される。理不尽。

沖田さんの土手っ腹に穴を開けるところだった下手人を想像する。恐らく、武器は懐に入るような短刀、もしくは携行していても目立たない脇差だ。沖田さんはあれでいて警戒心が強い。だから打刀を持った浪士が沖田さんの懐に飛び込むのは不可能に近い。同じ理由で、いかにも浪士然とした男ではないだろう。

ここから導き出されるのは、一見非武装に近い市民の脇差による犯行。もしかしたら、女子供なのかも。

たとい女子供でも、沖田さんは自分の命を狙う人間を捨て置く事はまずありえない。餌として泳がせているのか?それとも、下手人に対しなにか負い目があったのか。

負い目、負い目か。犯人は何かしらの事件の関係者の可能性がある。浪士ではないんだろう。浪士相手だとすれば彼が負い目を感じる理由はない。巻き込まれて死傷した被害者の遺族か何かか。

そこで推論は行き詰まった。そもそもどこの誰に刺されたのかも分からないんじゃあ、この推論だって妄想と大差ない。真選組の戦闘に巻き込まれて死傷する人間なんて何人いるのかって話だ。

こういう時は一旦別の事で思考を切り替えるに限る。

庭に置いた桶に並々と氷水を流し入れ、縁側に座布団を敷いて座り、灰皿の上で吸口を作る。父親は吸口を大きめに作っていたけれど、自分はそんなに大口開けて咥えられない。だからV字ですこし控えめに開ける。そしてマッチで火をつけて、本とコーヒーにお菓子を傍らにのんびりとする。

土と木の香りがする辛めの煙を口の中で味わい、飽きたら吐き出してまた新しい煙を吸う。これをゆったりと繰り返して過ごす。報酬系がこれでもかと活性化される、2時間以上の至福のひと時。間違っても仕事中にはできない、休日の特権だ。

ふと、この煙が、天にまで届いて、父親や弟への合図になったり、するのだろうか。自分が吐いた紫煙を見る度に同じ事を考えて、そして、否定する。空に連続した場所に天国はない、と。いや、天国の青が咲いている内は、あれを梯子にして降りてきてくれるといいのだけど。……かの有名な復讐者の名前を冠する葉巻を咥えて考えるにしては、ロマンチストに過ぎたかな。

天国、死人。考える事は先程の沖田さんだ。刺された事を隠しているのは、負い目だけでなく、終わった事件を蒸し返されたくないからか?確か、3年前はそんな事件はなかった。だとすると、だいぶ絞れるな。

ある程度的を絞っても、怪しいと思った事件はそれなりにある。浪士の間諜だとかで、偽証はままある事なのだ。だけど、曲がりなりにも一番隊隊長が関わる偽証というものはあまりない。あれでいて、あの人が一番、ここぞという時に局中法度を守ろうとする傾向があるのだ。

「……六角事件」

そうだ。検死に赴いた岩尾先生共々首を傾げた事件。火急の案件であったため、一番隊五人のみの出動であったにも関わらず、創界党の浪士三十三人を殺害せしめ、対してこちら側は二人も生き残った事件だ。

だが、その事件には、不可解な点があった。

芳香が素晴らしい煙を口に迎え入れて、粘膜からニコチンを吸収しながら、過去の事件の概要を思い出す。妙だと感じたから、当時の捜査記録を見なくても思い出せるのだ。

創界党は旅籠六角屋に潜伏しており、一番隊が襲撃したのもそこだったのだが、当地で戦闘に巻き込まれて亡くなった一般人がいたのだ。六角屋の主人、六角宗春だ。沖田隊長らの言を信じるのならば、彼は攘夷浪士の凶刃によるもの、らしいのだが、無数の刀傷を見てきた岩尾先生、そしてその見習いだったあたしは首をひねった。

太刀筋には人によってほんの少し癖がある。流派の違いもさる事ながら、本人の体格によっても。いくら同じ流派で剣を学んでいても、習熟度や体格が違えば、重心や力のかかり方というものはわずかに違ってくる。

もちろん分かるのは日頃から太刀筋を見ている隊士のものに限る。だが、六角宗春の体に深々と刻まれていた刀傷は、うちの隊士のもののような気がした。隊士は隊士でも、沖田さんとは微妙に違ったようにも思えた。

あの時の生き残りの片割れ、神山さんの様子を思い出す。どこか、憔悴しているようにも見えた彼は、何度か六角家の主人の亡骸に目を向けていたように思う。あの時は、てっきり、護りきれなかったという自責からだと思っていたけれど、もしかしたら、違うのかもしれない。

煙を口の中で転がしつつ、考え事をする。割と優雅な一日のように思える。なにせ葉巻の中で一番長いグラン・コロナだ。壁や天井のヤニで怒られるかもしれないけれど。

「おう、こんなところで優雅に葉巻たァ、元お嬢様は違うな」
「土方さんも一口、どうです?」
「……うめえ」

土方さんは差し出した葉巻を一吸いしてぽつりと、素直にその味を褒め称えた。そりゃあプレミアムシガーの中でもいい値段するもの、美味しいでしょうよ。

「でも、俺はやっぱこっちだわ」

土方さんは、いつものマヨライターで煙草に火をつけて、深々と煙を吸い込んだ。肺に悪そうな吸い方だ。こっちはこっちで口腔への害が半端ないんだけども。まあ、この江戸では人工声帯すらあるのだし、なんとかなるだろう。

「なにか御用ですか?」
「ああ、ちょっと来い。それ吸ったままでいいから」

それは丁度よかった。葉巻は火を消してもまたつけて吸えるけれど、それでも中断させられるのはちょっと萎えるから。ただ、葉巻用の灰皿の上に菜箸みたいな長さの葉巻乗っけてるのは、ちょっと異様かもしれないけれど。

扇風機の風が空気をかき回してかろうじて涼しい?といえる副長の書斎。そこで土方さんとあたしは二人、向かい合って座っていた。もちろん上座側は土方さんの場所だ。互いに喫煙しながら、用件を話し合う。

「はあ、六角事件、ですか」
「ああ。総悟が影でコソコソやってるらしい。すみれ、何か知らんか」
「……あたしがチクらなくたってバレてんじゃん、あの馬鹿」
「どうした?」
「いえ何も」

いかんいかん。ニコチンの摂り過ぎでちょっとだけ口が軽くなっているようだ。誤魔化すように煙を口の中に含んで、吐いて、縁側で考えていた事を纏めた。

「おそらく、六角屋の主人、六角宗春の死について、でしょう」
「ああ、報告書もそこの部分が怪しかった」
「おそらく、あれは浪士の凶刃なんかじゃありません。真選組の隊士です」
「馬鹿な。お前だって総悟の腕は知っているだろ。アレが民間人と浪士を間違って斬ったりするタマかよ」
「あたしが言ってるのはもう片方の隊士ですよ」
「……神山か。しかし、なぜ分かる?」
「あくまで個人的な印象ですが、なんとなく隊士の太刀筋によるものに見えました。でも沖田さんのものじゃなかったと思います」

あまり科学的とはいえない見解だけど、土方さんは一つ唸って黙り込んだ。

「じゃあなんだ、もし仮にお前の受けた印象が正しかったとして、総悟がてめえの保身のために、こんな偽証をしでかしたとでも」
「土方さんなら、それこそおかしいって分かるでしょう。付き合い長いんだから」
「…………」
「六角宗春には、娘がいるそうですね。現在どうしているのか知りませんが」
「確か、1年前に六角屋は潰れたはずだ。それと同じ時期に、六角屋の妻も死んでいる」
「なるほど、復讐する動機はありますね」
「仇討ちの的を神山から自分に逸らしたってか?」
「まァ、あの人なら、小娘が一人刺しに来たところで、死にはしないでしょうが」

自分で言っててなんだけど、今ひとつしっくりこないな。……本人は聞いてほしくなさそうだったけれど、ここは突撃するしかない。そこで、はたと気付いた。

「そういえば、沖田さんはどこに?」
「そういや、知らねえな」

こういう時に思い出すのは、目の前の人が黙って転海屋を討ち取ろうとしたあの時の事。あれに近い現象が起きている。とっさにそう思った。

暗殺を実行したという事は、相手は戦っても問題ない状態であると考えていいだろう。……嫌な予感がした。黄色みを帯びているだけの空が、13年前と同じように真っ赤に見えた。悪い予感に従って、まだ吸える葉巻に息を吹き込んで煙を抜いて、ニコチンの過剰摂取でふわつく足元をもつれさせながら書斎を飛び出した。
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