真選組屯所はにわかに慌ただしくなっていた。いつものような急な出動要請ではない。突然松平公と共に天下の将軍様が現れたのでもない。
真選組副長・土方十四郎及び、その部下の衛生隊長・桜ノ宮すみれ。この二人が両方とも音信不通という由々しき事態に騒いでいるのだ。これがどこぞの一番隊隊長ならば、またサボりかで済まされていたかもしれないが、この二人は事前の連絡もなく消える人間ではない。それ故の屯所内の動揺だった。
「トシがいねェと細かい仕事がなあ……」
「大方、土方さんがすみれさん連れて、どっかいかがわしいホテルでにゃんにゃんしてるんじゃないですか」
「俺はそんな破廉恥を認めませんよ!!スケベは
二十歳からです!!!」
「近藤さん、土方の野郎はとっくにアラサーだし、すみれさんだって二十歳ですぜ」
「いーや認めません!俺が先にお妙さんの股を割るんだもん!」
「それより先に、近藤さんの頭がカチ割られるんじゃないですかねィ」
一番隊隊長・沖田総悟はいつも通りの飄々とした外面を保っているが、問題はこの屯所の男達を束ねるトップ、近藤であった。情にもろい彼はいかにも心配だという顔で、仕事が手につかないようだった。
そんな彼の書斎に入室の可否を問う声が響いた。近藤はその声が土方の部下、山崎退である事を認識し、入室を認めた。うやうやしく頭を下げた山崎は、手にしたA4サイズの紙を見ながら、近藤に報告する。
「局長、副長とすみれ先生の目撃証言を洗いましたが、今日一日、夕刻ぐらいまでは屯所の中で目撃されています」
「そうか」
「じゃあ、やっぱり屯所の外じゃないですかねィ」
「いえ、それが、屯所の外にも、目撃証言がないんです。周辺の防犯カメラや通行人にも確認しましたが、それらしい人影は見てないそうです」
「裏の林はどうだったか?」
「そちらの下足痕も探しましたが、副長のも、すみれ先生のも見当たりませんでした」
「という事は」
「副長とすみれ先生は屯所の中のどこかにいるって事です」
二人が消えたのはほぼ同時だ。彼らの失踪が無関係とは思えなかった。山崎は意を決したように、口を開く。
「その、局長、実は口止めされていたんですが」
「なんだ?」
「その、副長、一服盛られたみたいなんです。いなくなる直前に」
「何ィ!?トシが毒を盛られたのか!?」
「俺が持ってきた茶を飲んでしばらく仕事の話をしていたら、副長、急に吐いて……」
「ザキ!なんでそれを早く言わなかった!?」
「スミマセン!騒ぎになったら下手人に逃げられるって副長に厳命されてました!」
土方は山崎には言わなかったが、茶を持ってきたのが山崎である以上、まっさきに彼が疑われるのは必定である。そうでなくても、隊士同士が疑心暗鬼になってしまうだろう。疑心暗鬼はチームワークを乱し、チームワークの乱れは有事の際の協働に支障をきたす。そしてその支障は最終的に余分な死人を生むだろう。密かに仲間思いの土方は、それも考慮して監察のごく一部のみに事件を押し留めたのだ。
「副長が吐いた物と、湯呑に残っていた茶、それらを詳細は伏せてすみれ先生に鑑定してもらっていたんですが……」
「今度はそのすみれさんがいなくなっちまったって事か……」
「その、局長、お願いがあるんですが」
「なんだザキ?」
「医務室の鍵を開けてもらえませんか。既に鑑定自体は終わっていてもおかしくありません」
「…………」
医務室の鍵は普段は桜ノ宮の管理下にある。しかし、近藤は真選組の最高責任者であるため、マスターキーを所持していた。彼女が行方不明という状況でもそれを用いなかった理由は、ひとえに彼女の領域を侵すまいとする近藤の優しさである。
「たとえ鑑定の結果がなくとも、何かしらの手がかりはあるはずです」
「よし、医務室の鍵を開ける」
「局長!」
「俺もついていきますぜ。万が一あの馬鹿娘がぐーすかぴーすか眠ってたらベッドから蹴落としてやりまさァ」
「総悟、女の子には優しくな」
「あらァ女の子たァいいやせん。華奢なメスゴリラです」
沖田の基準では、成人男性一人を担ぎ上げてそれなりの速度で走り抜けられるような人間を、女の子とは認められない。沖田の中で桜ノ宮は、志村妙や神楽のようなメスゴリラに分類されている。第一、桜ノ宮は『女の子』と呼称されるような年齢ではない。見た目と振る舞いが幼い故に忘れられがちだが、あれで沖田よりも二つ年上である。
医務室前に着き、山崎が開けたての悪い引き戸をノックするが、応えはない。山崎の目配せに一つ頷いた近藤は、手にしていたマスターキーを回し、開けにくい戸をこじ開けた。
「やっぱりすみれ先生、いませんね……」
「鑑定結果はどうだ?」
「多分、睡眠薬?ですかねェ……一体誰がこんな真似を」
「今度ばかりは俺じゃありませんぜ。俺なら下剤仕込みます」
「総悟、程々にな」
「近藤さん、これ」
「お、どうした?」
医務室の机の中、普段彼女が書き物をしている事務机の鍵のかかった引き出しの中に、一筆書きがあった。『お話がありますので、五番蔵においで下さい』と書かれたその紙を、三人はそっと覗き込んだ。
「山崎、倉庫は見たか?」
「いえ、そこまでは……」
「少なくとも、すみれさんはそこにいるんでしょうねィ。差出人不明の手紙にのこのこ出ていって」
「よし、倉庫の鍵を探して、開けに行くか」
元通りに医務室を施錠した一行は、倉庫の鍵を探したが、見つからなかった。それも、綺麗に五番蔵のみである。合鍵もない。
「近藤さん、こらァ……」
「隊士を疑えっていうのか?」
「いや、あの一筆書きの字は、明らかに女のそれでした。女は女でも先生のではありませんでしたが」
「心当たりが一人だけいますねェ」
「いや、でも、女中さん達も俺達の仲間なんだし……」
「休日の隊士に仕事を押し付けて遊んでる仲間がいますかって話でさァ」
「局長、これ人伝に聞いた話なんですけど、御代志さんが先生に仕事を押し付けたの、あれが初めてじゃないんですよ」
「でもなあ……」
「疑いたくねーのなら、こうしやしょう。土方さんとすみれさんが蔵でセックスしてるって、屯所中に触れて回ってきます」
「それ沖田さんがやりたいだけでしょうが!少なくとも先生が蔵にいるってのは、ほぼ確定なんですから、そっち見に行きましょうよ。窓から呼びかけくらいできるでしょ」
「それもそうか。先生の話を聞いてからでも遅くはないな」
屯所の玄関から、敷地の外れにぽつんと建っているその蔵までは、ちょっとした散歩くらいの距離はある。数分歩いてたどり着いたその蔵は、固く入り口を閉ざしていた。
「普段は鍵なんて閉めないんだけどなあ」
「しかもこの鍵、天人の技術で作られた最新式で、ガス溶断も王水も受け付けないし、シリンダーに磁気情報が書き込まれてますから、ピッキングで破るのは無理ですよ。扉も壁も耐火耐爆仕様のため同様です」
「鍵を見つけるしかないのか……」
「まあ、それは釣りすりゃあ一発でしょ」
彼らは蔵の裏に回った。そして、山崎が持ち出したロープを一つだけある窓の側、蔵の壁に刺さったL字型の釘、折れ釘に引っ掛ける。彼は単身、上司の安否確認に乗り出した。なんという幸運か、山崎がロープの中程まで登ったところで、山崎の直属の上司が窓の鉄格子の向こう側に姿を表した。
「土方さん!無事でしたか」
「散々な目に遭ってるがな」
「やっぱり副長もここにいたんですね。すみれ先生も、ここにいるんですか」
「ああ。俺達は出られそうか」
「それが、鍵が紛失してるんですよ。ここのだけ」
「そうか。じゃあ――」
土方と山崎は、今後の方針を話し合い、ひとしきり終えたところで、土方は姿を消した。しばらくぶりに地に足をつけた山崎は、倉庫の裏で高らかに宣言する。
「釣りの時間ですよ」
*
普段は刀の柄を握ったり、煙草をつまんだりする節くれだった指が、いいところをダイレクトに捉えている。硬い体をほぐされる衝撃で、子猫のような悲鳴が上がった。赤みを帯びた光源のおかげで、赤らんだ自分の顔は隠れているのが救いだった。顔は隠せても、火照った吐息と、男に媚びを売るように上ずった声は隠せないけれど。
「もっと声出せ」
「あっ……だって、恥ずかし、ん」
「この蔵にゃ俺達以外誰もいねェよ」
でも、と反駁しようとした喉は、はしたない声しか出せなかった。土方さんは、ビクリとのたうつあたしの体を、喉の奥で笑いながら押さえ込んだ。土方さんがあれこれ手を尽くした結果、いつもなら振り払えそうな力なのに、ただ甘んじて彼を受け入れる事しかできない。
この関係、なんだろう。どこかで知ってる。なんだっけ。テレビでよく見かけたような。それか、今体にまたがっている人が浪士に襲いかかってる時みたいな。
「おい、すみれ」
「あ、あっ!!」
「この状況で上の空か。いい度胸だな」
「うぅ、そ、それ、それやめて――――っ〜〜!」
ぐり、と弱い部分を突かれてはたまらなかった。声にならない悲鳴が喉からほとばしった。陸に上がった魚のように、手足をばたつかせても、土方さんは意地悪く笑うだけ。感極まった涙が、眦を伝った。
――ああ。この関係を知っている。狼に噛みつかれた小動物。真選組に斬られる浪士。これは、捕食だ。土方さんに食べられる小娘。それが自分だ。
みっともなくゴザに頬を擦り付けて、ため息をつく。土方さんはそんなあたしを見て、何を思ったか、今までにないほど強く、触られているうちに気付かれた弱い場所の一つを刺激した。引きつった悲鳴を聞いても、この人は笑っている。
「余所事を考えるなっつったろ」
「だからって、あぁ、ひどい」
「当たり前だろ。俺ァ鬼の副長だ」
また彼の手があたしの背中を滑り――
重々しい音を立てて、蔵戸が開き、ついで裏白戸が開かれた。
シナプスの結びつきがイカれた今のあたしでも分かる怒気をたぎらせて蔵戸前に佇む女性は、御代志さん、やっぱり予想通りの人だった。そして、彼女の背後。見慣れた人影を複数視認して、それで限界。土方さんの容赦ないツボ押しに諸々を消耗したあたしは、ゆっくりと目を閉じる。
ゴザを敷いただけの土蔵の床で、あたしは眠りに落ちた。
*
後日、真選組屯所の局長の書斎にて。男四人と女一人が語り合う。
件の女中の狙いはやはり土方であった事。彼を手中に収めるために、睡眠薬を盛り、身動きできない状況で既成事実を作る魂胆であった事。そして、そのためには桜ノ宮が邪魔だったため、倉庫に放り込んだ事。閉じ込められた桜ノ宮を嘲笑うべく仕掛けていた盗聴器が直ったと思ったら、桜ノ宮の喘ぎ声と土方の声がしたので慌てふためいて蔵の鍵を開けてしまった事。
あらかた事情を共有し、近藤は腕を組んで頷いた。
「残念だったけれど、御代志さんには実家に帰ってもらったよ。今回の騒ぎを不問にする代わりに、二度とトシやすみれちゃん、それと吉野さんには近づかないように、との約束も取り付けた」
真選組トップの手を煩わせてしまった事に桜ノ宮は身動ぎした。それを横目で眺める土方も、どこかバツの悪そうな顔だった。しかし、彼は自分の気持ちを切り替えるように深く吸い込んだ紫煙を吐き出して、作戦を締めくくる言葉を口にする。
「太公望作戦はこれにて完了とする。大成功だったな」
「まあ約1名、喘ぎ声を他人に晒した人間がいますが」
「忘れてくださいお願いします」
「あらァマッサージだ。やましい事なんざ何一つねえ」
桜ノ宮はいたたまれないと言いたげに、ただでさえ細い肩をすぼめて、沖田の視線に被弾する面積を小さくしようと試みていた。それを見かけた土方が援護射撃を行ったが、沖田はものともせず追撃を加える。
「それにしちゃあ随分ねちっこくやってたじゃないですかィ。あの元女中が気が付いて飛んでくるまで、ずっとあっちこっちほぐしてたでしょ」
「そりゃあ、いつ釣れるか俺には分からなかったからな。焦って竿を引けば釣れるもんも釣れやしねェだろ」
「とか言いながら、実はすみれさんの中もほぐしてたりは――」
「してません!!!」
中々お目にかかれない桜ノ宮の剣幕に、男性陣は全員固まった。その様を見た桜ノ宮は気まずそうに咳払いをした。
「皆さん、今回はご迷惑をおかけしました」
「いや、いいよ。俺達も気づくのが遅くなってすまんかったなあ。寒かっただろう倉庫の中は」
「いえ、蔵の中にいっぱい物があったのでそんなには」
「あれが弾薬庫じゃなくてよかったぜ」
「多分凍死してましたね」
「すみれさんを温めて土方だけ凍え死にすりゃよかったのに」
口の減らない沖田にも、もう慣れっこなのか、土方はすまし顔だ。
「さて、溜まった仕事片付けるぞ。近藤さん、悪いがしばらくは覚悟しててくれ」
「お妙さん……」
近藤さんの意中の人に会いに行ったところで、どうせ過剰防衛気味の攻撃を受けてボロボロにされるだけなのにな。桜ノ宮は土方から受け取るであろう書類の山から意識を逸らすべく、そんな現実逃避じみた事を考えた。
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