トッシーとお茶をした茶屋で、同じ顔をした別人と並んでお茶をする。
「よくやった。お前のおかげで奴の未練を聞き出せた」
「それはよかったです。それで、一体何だったんです?」
「オタクの頂点だ」
「は?」
「いや、これは手段だな。奴の未練は一つ。自分の生きた証だ」
人、というものは必ず没する。老衰で死ぬこともあれば、自分のように恨みを買って刺される事もある。どんな形で、いつ死ぬかは誰にも分からない。しかし、人には何かを遺す事で、自らの痕跡を残そうとする。方法は様々だ。途方も無い財を築き上げてそれを墓標とする者。世の中に大小様々な爪痕を遺そうとする者。学術上類稀なる発見をし、それとともに名を残す者。トッシーも人間の例に漏れず、何かしらで自分を残したいらしい。
「じゃあ、子供でも残せばいいんじゃないですか」
しかし、どれもこれも、自分のような凡人には難しい。誰もができる最も単純で明快な方法は唯一つ。子孫を遺す事だ。この方法は人間の殖えようとする本能にも合致していて、繁栄という面でも効率がいい。が、トッシーと土方さんは敢えて難しい方法で望むらしい。指摘すると、露骨に顔をしかめられた。
「ふざけんな。誰の子種だと思ってんだそれ」
「頑張ってください」
「そもそも誰が孕むんだよ」
順当に考えれば、自分だな。……この状況での妊娠は困るぞ。代理がいない状況で長期離脱は流石に、マズい。自分の後に続く女性公務員の立場を悪くしかねない。
「あたし、状況的に無理ですよ」
「だろ?」
「戦いつつ十分な技術を持った医者って中々……」
「育てるしかねーだろうな。後進を育てるのもお前の仕事だ」
自分が岩尾先生みたいに、か。想像だにしなかった事だ。自分のような人間に誰かを教え導く時が来るなんて。……まあ、当面先だな。
「ま、なんにせよ。俺はこの世に奴の生きた証を刻み込む」
「それがオタクの頂点ですと」
「ああ。だが、何をもって頂点とするか……」
「そもそもオタクは千差万別ですからね。特撮、ゲーム、漫画、アニメ、アイドル、邦画・洋画、ミリタリー、鉄道、自動車、卓ゲー、コスプレ、カメラ……。それらを兼ね合わせてるオタクも少なくないです」
「数が多いな」
「これでも比較的表面に出やすい一部だと思いますよ。アングラなものも含めればどうなるのかは私にも……」
「すべてのオタクの頂点に立つ」
「え」
中々スケールのでかい話に思わず間抜けな声が出た。すべてのオタクって、下手したら顔を合わせた途端、解釈の違いで殴り合いするオタクだっているんですけど!
「あらゆるメディアに精通する選ばれたオタクを集めて、俺達はアレに参加する」
「アレ?」
指さされた方を見ると、キャッチーなフレーズが踊るポスターが電柱に張ってあった。『寺門通公式ファンクラブ決定戦場のピアニスト!』という特徴的な語尾が踊っている。テレビの企画みたいだ。土方さんは立ち上がり、堂々とした足取りでポスターの前に立った。
「俺は、奴を成仏させ、完全に体を取り戻すまで、突き進む」
「何者にも俺の歩みは止まらせねェ」
……なぜ公式ファンクラブの座がオタクの頂点に繋がるのか、あたしにはよく分からないけれど、土方さんとトッシーがそれで納得するのならそれでいいか。
「お前には面倒かけたな。助かった」
「いいえ。ああ、でも一つだけ忘れていました」
「なんだ?」
「人の逢引中に口を出すのは野暮だと思いますよ。あれ、トッシーとあたしの、だったんですから」
「…………何の事だ」
すっとぼけて煙草を咥えようとする唇はほんの少しだけ震えている。土方さんが動揺している時の分かりやすいサインだ。
「土方さんがそう仰るのなら、そういう事にしておきますね」
「そういう事も何も、俺は口なんざ出してねーよ、なあ」
「はいはい。ところで、オタクの頂点に立つといっても、どうなさるんです?トッシーではオタクのまとめ上げは難しいかと思いますけれど」
「もちろん俺がやる」
「どこまで土方さんがやるんですか?」
「最後の最後までだ」
「……それだと土方さんの手柄になりません?」
「他にどうしろってんだ。ここ一番を奴に任せて失敗でもしてみろ、目も当てられんぞ」
「まあそうですけど、せっかく新八君の親衛隊を相手にするなら、数・練度・情熱で勝る彼らに打ち勝つカタルシス?が必要なんじゃないですか?例えば、夕日が照らす河川敷で殴り合いとか!」
「本当に打ち合ってんじゃねーか。一昔前のヤンキー漫画か?」
「でも土方さんこういうの好きでしょ?」
「まーな」と土方さんは曖昧に肯定した。けれど、あたしは知っている。土方さんが好きなのは彼の言う一昔前のヤンキー漫画だって事。
「最後の一手はトッシーの自由意志に任せる、か」
「はい。彼が全力でやった上での結果なら、彼、どんな結果でも納得がいくと思うんです」
「どっちでも上手くいくようにやるか」
土方さんの中で筋書きができたのか、一つ頷いて、歩き出した。飲み食いした分の勘定を終えて、屯所に向かって歩いていく。しばらく彼の後をついて歩いていると、彼は突然後頭部をかいた。そして忸怩たる思いを声ににじませて語る。
「しかし、アレだな。トッシー絡みじゃあ、お前にデカい借り作っちまってるな」
「そんなの別にいいですよ。拾ってもらったので十分です」
「何年前の話だよ。もうとっくに貸した分以上に返されてるわ」
そんな事ない。土方さんがあの時拾ったのはその時のあたしだけじゃない。その後に続くあたしの人生全部を拾ってくれたのと同義だ。だから、これは自分の命がある限りずっと続く恩なのだ。……と言っても、土方さんは納得してくれないんだろうけど。
「じゃあ、ちょっとだけ、ズルいお願いして、いいですか?」
「ああ?」
「あたしの事、置いていかないでくださいね」
覗き込んだ顔は、怪訝なものだった。しかし、それもほんの少しの間だけ。ふっと唇を釣り上げて、土方さんは不敵に笑ってみせた。
「安心しろ。戦場でお前より先にゃ死なねェよ」
「ええ、ぜひ、お願いします――」
もう、大切な誰かを見送るのは、嫌なんです。
言ってしまえば、この関係が変わってしまいそうで。喉に引っかかって出てこなかった言葉を唾液とともに飲み込んだ。
颯爽と風を切って街を歩いていく土方さんの背中を見て、不意に思い出した。原本がいた世界では、新選組は多少の創作を交えながらも、最後の侍としてその姿、その意思を後世に遺した。そして、今の自分は原本の願いを引き継いだ、よく似た贋作だった。
ああ、忘れていた。意思というものも、人が残せるものだった。これがあるから、人間は、次の世代をより高みに引き上げることができる。目を閉じると、既に顔さえもおぼろげな父親の姿が浮かんだ。
意思が人の遺し、誰かに引き継ぐものだとしたら、あたしは誰にどんなものを遺すのだろうか。
もし、何かを誰かに伝えられるとしたら。
あたしは目の前をゆくこの人の姿を、誰かに伝えたいな。不器用で、ひどくがらっぱちな人。でも、誰よりも優しいこの人の姿を。
*
屯所の食堂で、ご飯を受け取るその時、聞き覚えのある声が、鮎が乗っかったA定食を渡してくれた。
「あ、吉野さん」
「今日からここで働くわ。家事なんて全然できないけれど、自立するなら家事は必須スキルだものね」
「頑張ってください。応援しています」
「ええ、いつか美味しいご飯を作れるようになるからよろしくね」
人が一歩一歩着実に進んでいる姿を見ると、応援したくなる。そう遠くない未来に、この人のご飯を食べられるのを想像した。
prev84
Designed by Slooope.