夢か現か幻か | ナノ
Hydrangea macrophylla part.2
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沖田さんと話をしてから数日。日常はつつがなく回り続けていた。いや、少し変わった事がある。顔を合わせる度に何かを話そうとしていた土方さんの第二人格――トッシー――は、この前までと打って変わってあたしを避けるようになったのだ。土方さんかなと思って声をかけようとすると、彼は顔をこわばらせて全力で逃げ出してしまう。追いかけようにも土方さんの体だ。追いつけなかった。逃げ足がべらぼうに速い。

沖田さんに言われてやっと、自分の愚かさに気がついたけれど、もう手遅れだったのかもしれない。私情を交えるなんて情けない。

これは、無理に追いかけない方がいいのかな……。避けるって事は嫌がってる証左なんだろうし。つきまとうのは余計に駄目な気がする。謝るのは……落ち着いてからの方がいいのかな。

でも、これ多分だけど謝罪が有耶無耶になりそうなパターンな気が。謝罪を受けてどうするかはあちら次第とはいえ、謝罪なしはちょっと自分的には納得いかない。いや、自己満足なんだけれども。誠意を示すなら、相手の都合を考えるべきでは?

そのような事を目の前の人、沖田さんに説明したら、心底嫌そうな顔をされた。

ちなみに現在地は地下電気街ネオアキバのオタク的なカフェだ。ここの近くで会ったので、手近にあったここでご飯がてらと思ったのだけど、正直失敗した気がする。値段はさておいて、同伴者が出禁寸前の言動を繰り返しているので非常に肩身が狭い。いや、ここSMカフェじゃないから。

「と、いう事で、あたしどうしたらいいのかね」
「……とりあえずアンタが馬鹿だって事しか分からなかった」
「本当の事だけど面と向かって言うなし」
「俺に聞くよりも、野郎に聞いた方が早いだろ」
「土方さん状態でも顔合わせた瞬間にトッシーに切り替わるみたいで、逃げられちゃって会えてないから頼っているの。このままじゃ仕事にならないし……」
「あらら、そりゃ重症だ」
「あたしのせいだって分かっているんだけど、距離を置くべきか無理にでも接触を図るべきか、少し悩んでいて」
「話は分かった。でも――」

沖田さんはあたしの後ろを見て、硬直した。どうしてか、殺気立っているようにも感じる。その尋常ならざる視線につられて、同じ方向に視線を向けた。「あ」と間抜けな声が出てしまったのはどうしてだろう。想い人の姿をしているだけの別人なのに、胸が強く締め付けられたのは、どうしてだろう。

見つかってほしくなかったような表情の土方さんもといトッシーと、彼と腕を組む女性が店にいた。明らかにおかしな空気になっているあたし達を他所に、女性の方は知り合いかと、トッシーに尋ねていた。トッシーは彼女の疑問に答えられず、オタつくばかりだ。……なんだろう。あたし、この女の人、嫌いだな。養父母、そしてミツバ殿の婚約者、彼らと同じ気配を感じる。相手を利用する事しか考えていない人間の目。

「あ、えっと、その、桜ノ宮氏、これは」
「すみれさん、場所変えましょうぜ」
「へっ、えっ?」
「ホラ早く」
「分かりました。……会って早々にごめんなさい。失礼しますね」

相手を見極めるためにも同席でもいいんじゃないかと思っていたのだけど、沖田さんがあたしを引っ張る力があまりにも強かったものだから、彼に従うことにした。店を出る間際に支払いして、そしてずんずんとやかましい町並みを追い越していく。

「沖田さん、どうしたんですか?」

答えはない。ただ、斜め後ろから覗き見た沖田さんの顔は、怖かった。いつも飄々としているこの人が、珍しく本気で頭にきているらしい。彼がここまで怒るのは近藤さんか今は亡き彼の姉上絡み、そのくらいなものだ。理由が読めない。彼にとっては土方さんの財布が食い尽くされようがどうでもいいだろう。むしろ土方さんの身に降り掛かった女難を喜ぶまである。

あー、そうか。彼は土方さんが誰かに懸想しているのが駄目なのかな。ミツバ殿の件で、ミツバ殿を振っておいて、その癖他の人になびいた。それが許せないのかも。

そんな考えに至ったのは、かぶき町近くの公園にたどり着いた頃だった。何を感じ取ったのか、沖田さんはピタリと足を止めた。近藤さんとか原田隊長と比べると大分華奢な、しかしあたしよりはかなり広い背中に鼻をぶつけた。ぐいぐいと腕を引かれて、大きな噴水近くのベンチに座らされる。

「沖田さん?」
「アンタが想像してる理由とは違うぜ」
「そうなんですか?」
「別に、姉上に操立てろなんざ思っちゃいねーや。そんな事されても鬱陶しいだけでィ」
「……」
「第一、あの人は俺の姉上でィ。勝手に人の姉上を他人に背負わすな」
「……ごめん」

やっぱり、沖田さんの心はよく分からない。いっときは沖田さんの体にいたのに、どうしてか理解ができない。沖田さんの方は、あたしの心をある程度理解しているのに。この違いは一体どこから来てるんだろう。とりわけ沖田さんが人の感情に敏いのか。それとも、あたしがひときわ鈍いのか。……考えるまでもない。多分、両方だ。

「すみれさんにゃ永遠に分かんねェだろーなァ」
「否定したいけれど否定できない」
「じゃあもっと人間を勉強しろィ」
「人間難しいーよく分かんないー。トッシーも変だよ。アレ、デートでしょ?なのに何だって見つかりたくなかったみたいな顔してたのさ」
「見つかりたくなかったんだろ」
「沖田さんに?」
「野郎が俺の名前呼んでたか?」
「いえ?」
「じゃあ、俺じゃねーよ」

彼が呼んでいたのは、あたしの名前だった。なんというか、ドラマで見たような浮気の弁解に近い場面だったような気もする。

「……あたしに見つかりたくなかった?どうして?」
「さ、与えるもんは与えたぜ。後は自分で考えな」
「混迷の海に投げ出されたような気分なんだけど」
「せいぜいその高性能な脳みそ使って考えやがれー」

沖田さんはすっくと立ち上がると、ひらひらと手を振って歩き去ってしまった。もう機嫌直ったのかな?

手がかりは与えられたのなら、後は考えるのみ、か。考えるのは自分の得意分野だ。だけど、考える事が人間の気持ちならば、話が変わってくる。どうも、自分は人間の感情に疎いらしい。

自分と他人の感性が一致すれば、かろうじて相互理解が保たれる。問題は、自他の感性が乖離している場合だ。感性が食い違うと、一気に相手の感情が理解できなくなる。今がそれだ。あんな場面、別に焦る事ないのに。あたしがトッシーの立場なら、全く焦る事なく、デート中だと彼に説明できるだろう。しかし、現実は、トッシーはなぜか焦り、あたしはそれを理解できない。

「ねえ、ちょっと」
「……私の事でしょうか」
「ええ、そうよ」

ベンチの前には、トッシーと仲良く歩いていた女性が立っている。逆光で彼女の顔はよく見えない。アニメキャラをモチーフにしたと思しき洋服が浮いているように見える。

「彼の知り合いって聞いたから」
「ええ、まあ」
「ふーん、あなたが……」

彼女はそう言って、あたしの頭の天辺からつま先まで舐めるように見た。そこはかとない悪意が籠もった視線。こういう目を向けられるのは慣れている。自分はそういう人間だと分かっている。取り立てて不愉快にはならないけれど、声をかけてきたのはどういう意図だ?

「なんのご用件でしょうか」
「別に?」
「そうですか。それでは」
「いえ、やっぱり、用件を思い出したわ」

付き合いなさい。彼女は高飛車にそう言った。

付き合えと言われたのになぜかあたしがお茶を奢らされたけれど、移動した喫茶店で聞かされた話を以下にまとめる。

トッシーは金持ちのボンボンのようで、金回りがよく、重宝している事。あんなヘタレオタク、普段なら真っ平御免だけど、顔と金銭面はいいので付き合ってあげている事。だけど、つまらないし本気になられても困るので、そろそろ捨てようと思っている事。

そんな話を聞かされた身としては、顔面に一発くれてやりたいのを我慢するのが精一杯なわけで。女性で非戦闘員相手にはそんな事間違ってもしませんけれども。

「はあ、それを何故私に?」
「なんか、本命いる気配があって、そこであなたと出会った時の、あの慌て様でしょ?絶対あなたが本命だと思ったのよ」

思わぬ言葉に、怒りすら忘れそうになった。この文脈の本命とは、紛れもなく恋愛絡みの本命だ。そして、彼女が指す「あなた」とは間違いなくあたしの事だろう。あたしが、トッシーの想い人だとでも?

「本命?私が?」
「なに?あなた、気がついてなかったの?あんなに分かりやすかったのに?……哀れね」

確かに、自分が本命だと仮定すれば、土方さんの回りくどいやり方にも、あの態度にも納得がいく。後者の出来事を自分になぞらえるのなら……駄目だ、当てはまる固有名詞が出てこない。とにかく、男性と仲睦まじげに歩いていたところを土方さんに発見されれば、あたしもあんな感じの反応をするだろう。

「そういう事だったんですね。教えてくださってありがとうございます」
「なーんか、敵に塩を送っちゃったみたいになってるわね」
「本命ではないのなら、別にいいのでは?」
「本命じゃなくたって、横からかっさらわれるのは癪なの。お分かり?」
「でしたら、なぜ、わざわざ?」
「あの男、わたしに言われたらホイホイ金を払う癖に、妙によそよそしいっていうか。わたしはね、せっかくなら、目をつけた男は全部モノにしないと気がすまないの。なのに、アイツの財布はわたしのものになっても、心はモノにならない。それだけでも業腹ものなのに、こんな唐変木がね……。腹が立つったら」

彼女の話に謝ればいいのか、人をモノ扱いするなと怒ればいいのか、いまいちよく分からない。かすかな違和感は、複雑な情緒の前に流された。

「まあいいわ。じゃあね。お茶、ごちそうさま」

彼女は去り際に、少し申し訳無さそうに「1週間後、デートに付き合った後、振る予定だから」と小声で残して、去っていった。いい人なんだか、悪い人なんだか、測りかねる人だった。ある種の美学に基づいて動いている感触はあるけれど、その美学は自分とは相容れなさそうだ。

1週間後、かあ。なんと言って休暇をもぎ取るか、冷めた紅茶をすすりながら考えた。
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