夢か現か幻か | ナノ
Vow
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剣戟に見惚れればいいのか、いつまでやってんだと冷たい目をすればいいのか。結局どちらも選び兼ねて、苦笑する以外の方策が浮かばない。

聞くに堪えない罵倒を投げ合いながら刃をぶつけ合う二人。うーん、警官ってこれで良いんだっけ。ほとんどチンピラと大差ないよこれ。組対の人とかも自由業の方と並ぶとどっちがどっちだかって感じだけど、この人らもそういう感じなんだろうか。チンピラにはチンピラをぶつける、毒をもって毒を制す戦法が世の中のセオリーなのかな。

この世界どうなってるんだろうって話はもういいんだ。それよりも自分が今どうすべきか考えないと。曇り空だし時計はないしで時間の感覚が分からないけど、岩尾先生へ連絡してからそれなりに経ってるんじゃないかな。

ということで二人の仲裁のための選択肢そのイチ。二人の間に割って入って止める。これなら確実に止まるだろうけど、空気を切り裂く剣が止まってくれるとは限らない。下手したら、いやほぼ確実になます切りだ。今後しばらくの間は刀傷はごめんだし、警察官による刃傷沙汰は土方さんたちが困るだろう。却下。

選択肢そのニ。二人に声を掛ける。少なくとも生身で突っ込むよりは安全性が高い。でも、これはそもそも頭に血が上ってる彼らに聞こえるか怪しいし、ワード選択を間違えてこっちに矛先が向いても困る。できれば却下。

選択肢そのサン。二人に石か何かをぶつける。噴水の水でもぶっかける。……ダメだな論外論外。そんな真似しようものなら、冗談抜きで殺される。想像したらまた気分が悪くなってきたので却下。

あれ、どうしたら良いんだろうこれ。

いい加減二人をなんとか止めて戻らないと岩尾先生も怒るんじゃないかなと考える自分と、止めに入って無事でいられる自信が微塵もないと怖気づく自分がせめぎ合う。二人とも真剣を手にしている。流石に全力ではないだろうけど、竹刀や木刀とはわけが違う。両方とも達人ってレベルだし、かじってた程度の腕で突っ込んだら確実に死ぬ。

そろそろお腹すいてきたし、誰でもいいから、この争い止めてくれないかなあ。

そんな他力本願極まりない思考の罰なのか。

空気を読まない胃袋が、時報の代わりにがなりたてた。それが結構大きな音で、公園中に響いたんじゃないかと思ったくらい。顔が火のように熱くなる。曲がりなりにも女なのに、お腹が鳴るって……!

腹の虫の大きな鳴き声は、もちろん二人にも聞こえたようで、絶え間なく続いていた打ち合いがピタリと止まった。視線が集中する。あたしは二人の顔が見れなくて下を向いた。

「腹減りましたねィ」
「そうだな」
「飯食いに行きやすか」
「そうだな」
「もちろん土方さんの奢りで」
「ふざけんな、自分で払え」

お腹の音に一切触れない優しさはとてもありがたい。と同時に、その優しさが刃となって胸に突き刺さる。聞かなかったことにしてくれている手前何も言えない。

「桜ノ宮、何が食いたい」
「い、いえ、私は土方さんの食べたいもので大丈夫ですから」
「そいつぁいけねーや。土方さんの好みはマヨネーズだぜィ。俺らの飯がマヨ単体になっちまう」
「そうだった……」

盛り付けや皿の装飾も全部無視して山のように盛られたマヨネーズを思い出す。他人が食べている分には気にしないけれど、自分がアレを食べるのは絶対に嫌だな。マヨネーズは嫌いじゃないけど、あの量を一度に食したいとは思わない。

「マヨネーズは何にでも合うように出来てんだ!」
「限度があるというか、普通の人があんなの毎日食べたら比喩抜きで死んじゃいます」
「そんな穏当な言い方じゃあ土方さんは理解できねーぜ。はっきり言ってやれィ。てめーの気持ち悪いマヨ趣味に付き合わせるなって」

それは同感だけど、キャラ的にあんまり強く言えない。行きすぎてるきらいはあるにせよ、趣味を気持ち悪いって言うのはどうかと思うし。それに気持ち悪いとか言われたら、確実に怒るでしょ土方さん。

「気持ち悪いとは何だゴラァ!」

そらみたことか。まぁ、沖田さんも、土方さんが怒るのわかっててあの言葉選びしたんだろうな。楽しそうで何よりです。

呑気なあたしや沖田さんと違って土方さんは怒り心頭だ。やんのかてめーら!?とまるで一昔前のヤンキーのようにメンチを切っている。バラガキって言われていた名残なのかな。沖田さんは普通の人が竦み上がりそうな一睨みを見事に受け流している。沖田さんはきっと大物だ。……あれ?あたしは気持ち悪いとか言ってないよね。なんで巻き添え食ってるの。

やめようマヨの話をすると十中八九こじれる。適当に自分が食べたいものを言っていこう。

「あ、私和食がいいです!今朝も洋食だったので」

沖田さんが何か言った気がするけど馬耳東風。図太いとかそんなこと聞こえない聞こえなーい。

「同感だ。じゃあ近くの定食屋、の前に手首診てもらうほうが先だな」

左手首を指さされた。健全な方と見比べると高さが2割増しくらいになっている。動かすとちょっと痛い。しかし折れてる感じはしない。

「すいやせん。まさか裾踏んですっ転ぶほど鈍臭ェとは思わなかったもんで」
「大方てめーがなんか妙な事口走ってコイツをビビらせたんだろーが!」

すごい、土方さん。沖田さんの習性をキッチリ理解している。昔からずっとこんな風に喧嘩してきたんだろうか。

「アリを観察するでもなく座り込んでる女がいたら、声くらい掛けまさァ」
「いや、黙って私の前に立ってましたよね」
「その後声掛けたろ」
「牝奴隷ってね」

沖田さんはそっぽを向いて口笛を吹いていた。妙に上手いのが気に食わない。

「やっぱりてめーのせいじゃねェか!」
「うるせェなー。保護者気取りかよ死ね土方ァ」
「喧嘩売ってんのかゴラァ!」
「まあまあまあ、私もぼんやりしていましたから」

このまま二人に喋らせてるとまた喧嘩が始まりそうだ。武力が持ち出されないうちに割って入ろう。というか土方さんかなり沸点低いな。お腹空いているのかな。あたしの時は多少は遠慮してくれていたのかも?なんだかんだ女子供には優しそうな人だし。

「それに、折れているような感じではないので手当ては後でも」
「いや、ちゃんと固定してもらえ。ブラブラさせてると治りが遅くなるぞ」
「じゃあさっさと手当てしてもらって、飯にしやしょう。俺ァ成長期なもんで、とにかく腹が減ってしかたねーや」

沖田さんのおおよその年齢を聞いてふと思い出した。土方さんが沖田死ねとか総悟とか大きな声で言ってたせいで、あたしの方は彼の名前を知っているけれど、沖田さんの方はあたしの名前を知らない。ちゃんと自己紹介した方がいいのかも。

「あ、申し遅れました。私、桜ノ宮すみれと申します」
「ご丁寧にどーも。俺ァ沖田総悟です。つっても土方コノヤローが散々俺の名前連呼してたせいで、名乗るまでもないかもしれやせんが」
「そこはそれ、形式上でもきちんと交換することは大事なことですから」
「律儀なこって」
「ありがとうございます」

どことなく呆れを含んだ響きだけど、言葉自体は褒め言葉なのでありがたく受け取っておく。

「アンタいくつでィ」
「……?17ですけれど」
「年上ですかィ。どうりで見た目の割には老けたこと言うなと思ってやした」

これは貶されているととっていいのかな。仮にも女の端くれに向かって老けたって言ってるんだからきっと貶し言葉なのかな?……まあいいか。小さいことで怒ってもしょうがない。話をあっちに向けよう。精神衛生のために。

「そういえば、沖田さんはおいくつなんですか?」
「15でィ」

――あたしの2つ下。あの子と同い年なんだ。

年齢を聞いた瞬間、とっさにそう思ってしまって、それを引き金に『箱』の中身が覗いた。楽しげに笑う男の子。眠れないとぐずる彼に絵本を読み聞かせた夜。おねしょしたと泣きながら謝っていた朝。卵を割ろうとしてキッチンをぐちゃぐちゃにした昼。そして、夕陽の優しい光の中で繋いだ手。

間違いなく幸せだったと言える記憶。それらをいっぺんに開放して呆然とする。

「アンタ、顔色が」
「おい、しっかりしろ!」

がくがくと揺さぶられて、頭がシェイクされた。思い浮かべた印象がすべてかき消える。

「目ェ開けろ。前見ろ」

いつの間にか固く瞑っていた目を開く。土方さんの瞳孔が開いた目に、怯えきったあたしが映り込んでいた。

いけない。些細なきっかけで、こんなところで、取り乱しちゃ、いけない。心の中でカウントしながら深呼吸をして顔を上げる。少しはマシな顔色になった自分がいた。

「……アンタ」
「…………2つ下の弟がいたんです。生きていれば貴方と同い年でした。ただそれだけです」

あくまで事務的に事実だけを一息で伝える。さっきとは別の意味で顔が上げられない。自分が聞いたのに、あんな反応をして、気分を悪くさせてしまった。

「ごめんなさい。貴方には関係のない話なのに、勝手に変な反応をして。ごめんなさい」
「……全くですぜ。だーれがアンタのブサイクな弟ですかィ。目ン玉かっぴらいて、よォく見てくだせェ。目鼻口があることしか共通点ねーでしょう」

誤解に基づく励ましをされたときと同じように顔を掴まれて、視線を固定される。似てないだろって言われても、彼の顔を見たのはもう10年は前だ。あまりにおぼろげで似ているとも似ていないとも言えないし、顔の印象だって、できれば封じていたい。思い出したら、本当にどこにもいけなくなってしまう。

いや、彼はそういうことを言いたいんじゃないのだ。分かってる。

顔の造形の差はもう分からなくても、沖田さんの発言の意図は分かる。目の前の人とかつていた人が別人だと、そう教えようとしてくれているのだ。

ここにきてやっと理解できた。この人は分かりにくいけど優しいんだ。なら、あたしは、その優しさにきちんと応えないと。

「……そう、ですね。そーちゃんは沖田さんみたいに性根が捻じ曲がってなかった」

今度はあたしじゃなくて土方さんと沖田さんが固まった。性根が云々の話に反応したのだろうか。今更そんなことで動揺する人たちには見えないけれど。

「あー、とりあえず、そうだな。総悟、ここで一旦解散だ。お前は今から非番だ。屯所に戻って制服脱いでこい。俺達は岩尾先生のところで待ってる。昼飯はこれで食え」
「さっきまでは帰れって言ってたのに、どういう風の吹き回しですかィ?あと金はいりやせん。アンタに貸し作るのも施されるのも真っ平御免でさァ」

土方さんは鼻を鳴らして、突き返されたお金を財布にしまった。部下とも友人とも言い難い、不思議な関係だ。ライバル……?とも微妙に違うような。あたしが知るどのような関係にも当てはまらないけれど、そこには絆があるように感じられた。二人をよく知らない自分にも感じ取れるほどに深い。

行くぞ、と手を引かれて歩き出す。ちらりと振り返って会釈をすると、彼はよくわからない目でこちらを見つめていた。

……あたし、嫌われてるかも。なんとなく、なんとなくだけどそう思った。

*

しばらく無言で歩いていた。下駄が土に擦れる音と、草履が地面を蹴る音だけが辺りに響いている。喧騒は遠い。

改めて取り乱した自分を思い出すと、お腹の音以上に堪えた。施設にいた頃と何一つ変わらない自分が恥ずかしいし、あれから一歩も進めていないことが悔しい。

広いと思われた緑地も意外とあっさり終着が見えた。木立に入り込んだ時と同じ光景がある。それが踏み入ることの許されない聖域のように感じられた。

気後れして足を止めると、土方さんもしぜん歩を止めた。彼は腰に携えた白刃のように真っ直ぐな視線を前に据えたまま、口を開く。

「てめーがどういう経緯で親兄弟を失ったのかは知らねェ。てめーから言わない限りこっちからは何も聞かねェ。……てめーがどうやってその状況から、ただ一人生き延びたのかもな」

ざわりと心臓を撫でられたような感触がして、景色が反転する。ここが公園じゃなくて、ガレージに続く階段で、そこから暗がりを見下ろしているように見えた。握った右手の中に柄の硬さと柄巻きの絹の滑らかな感触がある。認識のエラーに驚いて、思わず強く強く手を握ると、応えるように土方さんの手に握り返されて、それにひどく安心した。……目の前にはさっきと変わらない公園の賑わいがある。

「一度背負った罪は雪げねェよ。なぜなら、俺たちにゃ一度出たマイナスをプラスに戻すなんざ芸当はできねェからだ。死人は還らねーからだ。んなこたァお前が一番よく分かってるだろ」

ああ、この人は察しているのだ。あたしが、なにをして、あそこから生き延びたのかを。その上でこの人は手を繋いでいてくれている。この、血だらけの汚い恥ずべき手を、握っていてくれている。この手を取ってくれた人はこれで4人だ。院長先生とシスター、そして『彼女』。今の土方さん。

今にして思えば、それぞれの手は自分に大切なことを教えてくれた。自分を律すること、自分がどうあっても赦されない身であること。……『彼女』のときは、なんだろうな。

あたしの手を握る力が強くなって、意識が引き戻される。

「だがなあ、すみれ。そんな身でも、いや、そんな身だからこそ出来る事があるだろ」

雲の切れ間から光が射している。弱い光でも目を焼かれそうで、空いている左手で顔を覆う。

出来る事。……わからない。自分の前には、あんなにも光で満ちているのに、足元は見えない。一体、何のために生きているのだろう。

「……まだ分からねェか。いや、今はまだ、分からなくてもいい。ただ、歩くのだけは止めるな。道がなかろうと茨だろうと前見て突き進め」

どこか、懐かしむような、それでいて痛みを堪えるような悔恨の混じったそれ。岩尾先生のところで見た表情とそっくり同じ。その表情を見て、あたしはやっと理解した。この人は、ただ取り返しのつかないものを失ったんじゃない。

この人も、手の中の大切なものを護れなかった人だった。この人がそれでも前を向いているのは、どんな場所にあっても歩くことをやめなかったからだ。この人が決して孤独じゃないのは、歩き続けた末に道が誰かと重なったから。

涙が溢れてくる。あの日からずっと、脚を止めて暗がりしか見つめてこなかった自分には、この人の姿はひどく眩しかった。自分も、この人のように、強く、風を切って歩ける人になりたい。

「私、あたし、強く、強くなりたいです」

いつか、いつかきっと、この人の背中に追いつけるように。

「自分にも過去にも潰れないように。真っ直ぐ進めるように、強く」

多分、永遠に過去を振り切る事は出来ないだろう。きっと、あの日の夢を見る日々は続くのだろう。それしか家族を振り返る術がないからだ。

「家族、弟のことも、ちゃんと、向き合えるくらい、強くなります」

あたしは、雪げない罪と共に生きなきゃいけない、許されない人間だ。そんな身体でも。

「あたしは、桜ノ宮すみれは、誰よりも、強くなります」

いつか、いつか、この人の護りたいものを護る支えになれるように。過去を背負い、自分を律して、強く、生きられるように。

土方さんはじっと静かにあたしの言葉を聞いていた。くつくつと喉を鳴らして笑い出す。

「誰よりも強くなるって、俺よりもか?……随分大きく出たじゃねーか。上等だ。やってみろよ」

生意気言うなと、そう言いたげな口振りなのに、どうしてかひどく嬉しそうにも感じられる。

「いざやってみて、曲がっちまったらぶん殴ってでも止めてやる。だから、まずは一歩、足を踏み出してみろ」
「はい……!」

涙をぬぐい、前を向いて、手を離して、一歩踏み出す。平穏との隔たりは、もう感じられなくなった。太陽は雲に隠れてしまったけれど、自分の光はすぐ隣にある。足元の暗がりにも僅かながら光が射した。つま先が見える程度の朧げな灯りでも、突っ走るには十分だ。

ビル群を見据える。もう気圧されない。もう、違和感を感じない。自分の居場所はここだ。あたしは、ここから、歩き始める。

誓いをここに。

――あたしは、この江戸で、この人のそばで、強くなる。真っ直ぐに自分の道を突き進めるように。

――自分なりの、真の道を目指して。
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