※死ネタ含み



その血生臭いにおいで、ようやく私の脳内は動く事を始めたようだった。ぴちゃり、とまるで子供の水遊びのような音が冷たい常闇の中響いた。それがお遊びだったらどれほど良かったのだろうか。否、この状況を作り出した人間が言うことではないか、笑止。


自分の手の平を目線の先まで持ってきてみた。ぼんやりとした輪郭の中、赤だけがその存在感を主張していた。ほら、わたしを嘗めてみなさい、と。べろり、とそれを舌先に触れさせる。鉄のような味が口に広がった。これを美味しいという吸血鬼を一体誰が生み出したのだろうか。悪趣味だわ。誰に見せるわけでもないが笑みが零れた。そして、目の前には死に近付く男がひとり。


ゆらり、と立ち上がろうともずたずたの身体にはそんな気力もなく、ただ激痛の中死を待つだけのつまらなくも興味深い状態に入っていた。しゃがみ込んで顔を覗きこむと憎そうに私を見つめるふたつの瞳。ああたまらない。どうしてこの人は私がして欲しいと思う顔をしてくれるのかしら?唇から流れる血液が顎を伝ってぽたり、ぴちゃりと地面に落ち逝く様は見物だった。


「いいざま、だよな…」

「そうね」

愚かにもここにはダメダメと呼ばれた時の彼は居なくて、何千ものマフィアを纏めるボンゴレボスしか居なかった。そのお偉いさまは私なんかと話をして最期の最期まで希望を棄てようとはしていない。自分の美しい自己犠牲のお陰でこの戦いを勝利に導く、そんな思惑があるのだろうか。それなら本当に残念すぎる。簡単に、上手くいくと思っているのだろうか?こんなに都合の良すぎる話があっていいのだろうか。
ひゅーひゅーともう虫の息の彼を労るわけでもなく、むしろ襟首引き上げて無理矢理上半身を持ち上げた。ゲボッ、と赤が更に吐き出た。青白い顔、一瞬思わず綺麗だと思ってしまった。


「俺はいいんだ…君はどうするんだい?」

「―――私?気にしてる暇なんてないよ」

「いつまで、独りなんだ?」


その言葉が頭の中で響いた。ひと、り…。ひとりひとりひとりひとり。思わずカッとなって右手を振り上げてしまった。別に彼が悪いわけじゃあない。言われた通り、私は独りだ。この状態が嫌いではない、でも虚しくなる時がある。ふとした時に温もりを探す、けれど恐れて逃げてばかり。私が悪いのだ。孤独になりたくて、孤独を恐れる。パシン、と頬を叩く音が響く。ただの、悪あがき。


「さようなら」

沢田綱吉は諦めたように双眸を閉じた。その時にようやく分かった。彼は、不様な生や死を望んでいるわけではなかった。…なんでこんなにも美しい諦め方があるのだろうか。彼は死にたいわけでも、生きたいわけでもなく、ただこの世界に漂っていた中で、偶然私という破壊に出逢ってしまっただけなのだ。それに抗うわけでも請うわけでもなく、ただそれを受け入れたのだ。嗚呼、羨ましい。私にもこんな潔さがあれば、こんな切なくも苦しく、快感を得るような暗殺という仕事に就かなかったのかもしれない。私はただ、与えられた仕事をこなしているだけ。今回もそのうちの1つだ。そう自分に言い聞かせながら愛銃をしっかり彼のこめかみに宛がい、私は小さく呟いた。聞こえてしまったのか彼のオレンジを含んだ焦げ茶色の瞳が見開かれた。一瞬昔のダメツナとダブった。


パンッ。


赤に彩られた世界。その中に私は佇んでいた。もうそこには興味はない。彼は死んだ。彼の居ないところに興味が沸くわけもない。――――だって、ここには彼の抜け殻しかない。「好きではありました」なーんて、嘘に決まってるじゃない。なに騙されてんのよばーか、ボンゴレ十代目。









(自分の寝所として取ってあった安い古ぼけたホテルまで戻ってきてから、ようやく私は大声で、泣いた。)
(わたし、すきだったよ)