好き。

その一言が言えたらどんなに楽だったんだろう。そんな事を何回考えたことか。でも私たちはそれを言えるほど子供ではないし、我慢できるほど大人ではない。そんな板挟みの状態が続いていた。



「あ、君は……」

「幸、村くん…?」



ふわりと漂ったヒヤシンスの香り。振り返ると懐かしい姿がそこにあった。久しぶりに見た変わらない姿に思わずポカンと凝視してしまった。クスリと笑って幸村は私の右手を握った。


「本物だよ?ほら、君の手を握ってるだろ」


少しごつごつとした大きな手。現実なんだとじわりと後からやってきた。そのまま引っ張られて公園のベンチまで連れられた。街灯とベンチと少しの植物があるだけの小さな公園には私たちだけ。私を座らせて少し離れた自販機で缶コーヒーを2つ買ってきてくれた。


「ありがとう」

「どういたしまして」


幸村はコーヒーを一口飲んでから私に新しい生活はどうかと尋ねてきた。当たり障りもなく順調、とだけ伝える。それから中学の頃の懐かしい話をした。頭の中ではごった返し。


なんで、こんなに普通に接していられるんだろう。私はこんなにも胸が張り裂けそうなのに。幸村は優しいから、そして残酷だ。

私の気持ちに気付いてながらも、彼は私たちの関係を崩そうとはせず、あえて友情を貫いてきた。まるで並々と注がれたコップの中の水が零れて、辺りに溢れるのを恐れているようだった。神の子と呼ばれた幸村精市が、だ。ブン太や赤也に言ったらきっと目を剥いて驚くだろう。そのくらい幸村は恐れていた。もし水が零れてしまったら…。きっと、それは止まることなく溢れ続け、周りに影響を与えてしまう。


「―――――ねぇ、聞こえてるかい?」


「…えっ、あ…どうしたの?」

「これから、食事なんてどう?」



その手を取れたらどれだけいいのだろうか。


「ううん、今日は都合悪いから」


「そ、っか……じゃあまた今度――」

「今度もないと思うんだ」


告げた言葉は刃よりも鋭く幸村に突き刺さる。なにを、言ってるんだ…?幸村は困惑と動揺に包まれた。彼女が自分に好意を持っていた事は知っていた。そして、自分の中にあるこの気持ちの正体も。でもそれを1回でも打ち明けてしまうと、止まらなくなってしまう。ぎこちない動作で彼女の左手薬指の輝きを見た。まるでハイヒールで踏み付けられたように鋭く痛かった。






「……また、会えたらいいね」

そう言って去った彼女を引き留めることが出来たらどんなに楽なんだろう。






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東京夫人に提出、
すてきな企画にありがとうを。