小説 | ナノ



※現代パロ

 車の窓から覗く街並みは、朝の陽射しのせいかどこか眩しくて、こうして眺めているだけで活気に満ちた空気に包まれるような妙な感覚に襲われる。
 歩道を忙しなく歩くサラリーマン。スマホの操作に夢中のOL。おしゃべりをしながら通学路を歩く学生。ゴミ出しをする主婦や店先で開店の準備をしている人々。いつもと変わらない光景を視界に収めながらナマエは欠伸を噛み締めた。

(……ねむい……)

 夜更かしをしたわけではないし、寝付きが悪かったわけでもない。
 昨夜は日付が変わる前にベッドに入り、一度も起きることなく今朝まで充分な睡眠を得た。それは体の疲れが取れていることが、きっちり証明してくれている。だが、低血圧な上に、朝が弱いナマエにとって、この時間だけはどうしても苦手だった。瞼も重いし、体も重いしで、なかなかに不便なのだ。
 ナマエは眠気の抜けない目でちらりと隣を見やった。
 端整な横顔が視界に留まる。
 年は三十代後半くらいだろう。
 百九十近い長身と、それに見合う逞しい体躯。そして、美丈夫で、どこか紳士的な容貌は、職場でも近所でも異性たちに絶大な人気を誇っているらしい。
 仕立ての良いダークグレーのスーツを着こなす男性――エルヴィン・スミス――は、前方を見ながら運転をしている。
 エルヴィンはナマエの叔父だ。母の実弟で、両親を早くに亡くしたナマエの親代わりをしてくれている。厳しい人だけど、とても優しくて、頼りになる人だ。
 ナマエが両親を亡くしたのは今から三年程前。原因は交通事故、両親は即死で、酷い有り様だったようだ。
 当時中学生だったナマエは、その現実を受け入れることが出来ずにいた。別に泣いたり、喚いたり、駄々っ子のように周りを掻き乱すようなことはしなかったが、あまりの理不尽さと両親の早すぎる死にやるせなさを感じていた。
 両親は普通の夫婦だった。決して仲の良い夫婦とは言えなかったけれど、不仲でもなかった。ナマエに愛情を注いでくれたし、家族と呼べる仲だった。どこか距離感のある家族ではあったが、それでもナマエは両親が好きだったし、成人したら親孝行したいとも思っていた。
 だが、突き付けられた現実は惨いもので、夢だったら良かったのにと思うほどの有り様で。親戚から向けられる同情や両親のいない孤独感にナマエは心も体も疲弊しきっていた。
 そんなナマエを引き取ってくれたのが母の弟であり、ナマエの叔父であるエルヴィンだった。
 エルヴィンは独身者であったが、来年には高校生になるナマエを快く迎え入れてくれた。父のようでもあり、兄のようでもあったエルヴィンはナマエに家族をくれた。
 エルヴィンとの生活は気持ちが良かった。必要以上にナマエの中には入ってこようとせず、負担のかからない程度に見守っていてくれる。そんな優しくて温かい存在だった。
 ナマエは直ぐにエルヴィンを好きになった。父と子の関係にはなれないけれど、それでも、家族になろうと言ってくれたエルヴィンに応えたいと思った。ナマエはエルヴィンと家族になりたいと心から思うようになっていた。

「眠いのかい?」

 思考していたことがエルヴィンの問いかけにより儚く霧散する。ナマエは数回まばたきを繰り返すと、小さく笑って見せた。

「…うん。やっぱり……朝は…苦手」

 エルヴィンの苦笑する音がナマエの耳に届く。

「あの…叔父さん」
「なんだい?」
「いつも送ってくれてありがとう」

 沈黙が流れる。ナマエは首を傾げた。

「叔父さん?」
「あ、ああ。いや、ナマエは気にしなくていいよ。出勤する通りに高校があるんだ、送るくらい苦とは思っていない…。むしろ、そんな眠たげな君を電車に乗せるほうが心配だな」
「…でも、大変でしょ? 会社に行くのって、もっと遅くてもいいんだよね?」

 エルヴィンは運転しながら小さく笑った。

「私が好きでしているんだ。気にしなくても大丈夫だよ」
「叔父さんはそれでもいいかもしれないけど…わたしは気になるよ。叔父さんが大丈夫でも迷惑掛けてるなら……ちゃんと言って欲しい」
「迷惑じゃないさ。無理をしているわけでも、ナマエに気を遣ってるわけでもない」
「そう、なんだ」
「ああ」

 ナマエはエルヴィンに向けていた視線を膝元に落とした。手持ちぶさたな両手をきゅっと握り締める。

「でも、御礼は言いたい。いつでも言っておきたい」
「ナマエ?」
「だって当たり前になっちゃったら……寂しいし、」
「…………」
「それに……、ありがとうって嫌な言葉じゃないでしょ? 言われたら嬉しいし、叔父さんにはちゃんと…感謝してること伝えたいもん」
「そうか。ナマエは優しい子だな」
「……別に…、」

 優しくなんてないよ、と言おうとしたところで車が停まった。「着いたよ」という声にハッとして、窓の外に目を向けると、見慣れた校門が視界に入った。

「気をつけて行っておいで」

 掛けられた言葉にコクリと頷くと、膝の上に置いていたスクールバッグの中からお菓子を取り出した。
 ナマエのスクールバッグの中にはお菓子でいっぱいだ。常に絶やすことなく何かしらのお菓子が入っており、甘いものが大好きなナマエはいつもお菓子を常備している。
 取り出したお菓子は、可愛らしいビニールの包み紙に包まれているレモン味のキャンディだ。ナマエはそのキャンディをエルヴィンに押し付けるように手渡した。

「ナマエ?」
「あげる」
「私に?」
「叔父さん以外にいないでしょ」
「ああ。そうだね。ありがとう」
「別に…」

 ナマエは気恥ずかしさを隠すようにして車から下りた。顔が熱いと思いつつ、車のドアを閉めようと手を動かす。けれども、閉める寸前で何かを思い留まるかのように動きを止めて、「叔父さんも気をつけて…。その……お仕事がんばってね」そう言った。
 エルヴィンが何かを発しようと口を開く。それを視界の端に捉えたナマエは、エルヴィンの言葉を待たずにドアを閉めた。そして、恥ずかしさを顔に張り付けたまま、校門までの短い距離を駆け出す。

(叔父さん、食べてくれるといいな…)

 校門に着いたナマエは、そっと後ろを振り返った。しかし、エルヴィンの車は既に無く、ナマエと同じ制服を纏った生徒たちが登校してきている。その光景を少し残念に思い、けれども、エルヴィンがいないことに少し安堵した。
 ナマエはスクールバッグを肩に掛ける。止まっていた足を動かしながら乗降口に向かった。
 途端、柔らかい風が頬を撫でた。ナマエは目を細めると、過ぎ去った見えない風を目で追いつつ、今日もいい天気だなあと蒼い空を仰いだ。




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