小説 | ナノ




 いつもなら月明かりの入る窓なのに、今日は真っ暗だ。自分の部屋ではないそこに足を踏み入れ、先にランプを付ける。ベッドのシーツを整えて、ポケットの中にある懐中時計や彼から貰ったリングを取り出してサイドテーブルの端に置いた。これからの時間を考えると逃げ出したくなる。恐怖で、というよりかは絶対に羞恥に塗れることが分かっているからだ。両手で顔を覆って、腹の底から大きく息を吐いた。せめて今日が新月で、月明かりが無い分だけマシだと思うしか無い。退路を絶たれたら、こんなやるせない気持ちになるんだろうか。
 覚悟しておくように、なんて言葉で背筋が冷えたのは初めてだった。嫌だ嫌だと逃げまわって回避してきたけれど、それを許してくれるような相手ではないのはわかっていた。確かに明日は二人して非番だけど、だからって何もこんな早々に仕事を終わらせるなんて。各班の班長が不思議そうな顔をしていたけど、普段から何かと忙しい団長だって休みも必要だろう、なんて納得してくれていた。ただ、幹部の皆は大体察しているに違いない。
「今日はこれで終わりにしよう」
「早いな」
「たまには休息を取りたいからね」
「そうか」
 そう言ってミケはちらりとナマエを見た。
「まあ、二人とも明日は非番だしな。ゆっくり休むといい」
 全てを見透かされているような気がして視線を逸らしたが、とどめを刺されて彼女は頬を染めた。エルヴィンはただ笑っていただけだ。ミケだけでなくハンジやリヴァイも似たような反応で、ナマエは穴があったら入りたいくらい恥ずかしくなった。明後日以降どうやって顔を合わせたらいいんだろう、と悩んでいたら背後でドアの開く音がした。
「ナマエ。待たせたね」
「…………いえ」
 待ってないです、なんて言葉は飲み込んだ。振り返ると、エルヴィンは濡れた髪を拭きながら上半身裸で現れた。何度見ても彼の逞しい身体には目を奪われる。衣服を身に付けているのといないのとでは、こんなにも違うのかと改めて感じて、これからの時間を嫌でも想像してしまう。
「どうしたんだい、ナマエ」
「なんでも、ないです……」
「顔が赤いよ」
 分かっていて近づき、エルヴィンはナマエの頬を撫でる。
「離してください」
「どうして?」
「……シャワー浴びれないじゃないですか」
「私はそのままでも構わないよ」
「や、それはちょっとどうかと……」
 書類仕事だけでなく、訓練や演習もあったから汗も掻いているし、さっぱりしたい。何より、彼の目の前で着替えさせられるのは御免だ。
「それは残念だ」
 身体を離してホッとしたのも束の間、脱衣所に置いているよ、という言葉で忘れかけていたことを思い出して、逃げるように彼の傍を離れた。先にシャワーを浴び、服を脱ぐ時にわざと見なかった黒いベルベットの袋を手に取る。少し前に彼が貴族から貰ったもので、中には上質のレースで作られた、下着というにはあまりにも頼りないものがある。エルヴィンが中身を確かめた時に居合わせたが、改めて目の前で見てみると下着ではなく、ただのレース生地を下着の形にしただけのようなものだ。足を通すのも破れてしまうのではないかと躊躇ってしまう。いつもなら気にしないような下着を慎重に身に付け、鏡に写る自分の姿を見てみるが、生地の面積は少なくて、本当に隠したい部分しか隠れていない。肌触りは流石高級品といったところだが、レースに光沢のある糸をいくつか使用してあるようで、その部分だけ妙に浮いて見える。
「きっと一生、貴族の感覚はわからないだろうなぁ」
 これが良い、なんて贈るセンスは、自分には身につかないだろう。兵士には必要ないセンスだろうから、特にどうとは思わないけれど。しかし、いくらなんでもこのままの格好でエルヴィンの前に出るのは恥ずかしすぎる。それが例え彼の要望であり、指定であったとしても。約束を破るとなると後が怖いと分かっていても、何が何だかわからないまま翻弄されることと今のこの羞恥心を天秤に掛けた時に傾くのはどちらか分かりきっていた。意識がはっきりしている方が記憶にも残りやすいし、思い返しやすい。
「……ナマエ」
 期待はずれとも失望とも取れる彼の声が耳に届き、ナマエはびく、と反応した。
「予想以上に小さいんです」
 近づくエルヴィンにせめてもの抗議をするが、彼は意に介さず、彼女が巻いていたバスタオルを剥いだ。晒された下着姿に対する反応は怖くて見ることができずに、ナマエは顔を背けた。彼の視線は痛いほど感じるが、無言の時間が長すぎてどうにかなってしまうかもしれない、と思った時だった。
「君が月のようだな」
「……はい?」
「ああ、太っているというわけでは決してないよ」
 ナマエの反応を違う意味で捉えたエルヴィンがすぐさま否定する。彼女の聞きたいことはそこではなく、彼の言いたいことがわからなかった。
「おいで」
 手を引かれ、ベッドに導かれる。先に腰掛けたエルヴィンがナマエの身体を支えてゆっくりと横たえる。サイドテーブルに置かれたランプが狭い範囲を照らして、見上げたナマエからは彼の姿が色濃く見える。下ろした髪が彼の顔に影を作り、いつもと違って憂うような表情に変わっていく気がした。
「感謝しないとな」
「え?」
「随分と飲まされて翌日は散々だったが、参加して損はなかったよ」
 この下着を貰った懇親会のことを指しているのだろう。そうですか、と答えると、エルヴィンは眉尻を下げてふっと笑った。綺麗だ、と目を細めて彼は顔を近づける。
「よく似合っている。これなら暗闇でも簡単に見つけられるな」
「こんな格好で出歩く趣味はありませんよ」
「当たり前だ。ナマエのこんな姿を私以外に晒すことは許さない」
 覚えておきなさい、とエルヴィンは嘘とは取れない真剣な双眸で彼女を見つめた。どっちが先に話を出したんですか、と言いたくなるのを堪えていると、彼の指先が太腿の付け根をなぞる。ざわ、と波打つような感覚が身体中に広がり、意図せずに片足が跳ねた。ショーツの端から指を差し入れて脱がそうとするエルヴィンの指先の動きを読み、次に触れられるであろう場所が疼いて、よくここまで躾られたものだ、と自分のことながら感心してしまう。
「ナマエ」
「……ん」
 そっと優しく触れた唇は、珍しく穏やかで責め立てる雰囲気はどこにもない。緩やかなキスを何度も向きを変えて繰り返し、離れた時に見たナマエの唇は唾液に濡れて色鮮やかな柘榴のようだった。エルヴィンは自分の我儘を聞いてもらった代わりに、今日は思う存分優しく抱こうと思っていた心が音を立てて折れていくのを他人事のように思い、彼女に謝罪する。
「どうあっても君を手離せそうにないよ」
「……私から離れることはありませんから」
 エルヴィン、と囁かれる自分の名前を彼女の声で聞くなら飽きることはないだろうな、と少し外れたことを思いながら、ナマエの髪を撫でてキスを再開した。



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