今日も家を出てから重くなっていく体にイライラしつつも放課後まで生き延び、なんとか家まで帰って来ることが出来た。
学校から無事生還を果たし、家で犬とじゃれていたらお母さんに散歩に行ってくるように言われた。散歩の単語を聞いた瞬間私にべったりだった犬はぴょんと立ち上がり嬉しそうに尻尾を揺らす。お母さんからリードを手渡されながら目の前ではしゃぎまわる犬に溜息を漏らすと、お母さんは「そういう約束で飼うのを許したんですからね!」と怒り出した。声が尻すぼみになりながら「わかってるよ…」と返してリードを首輪に繋ぐ。別に散歩に行きたくないわけじゃない。外に出たくないだけ。そんなことを言えばまた怒り出すのが目に見えているので言わないけれど。
家を出ると途端に肩が重くなるのだ、外に出たいわけがない。だんだんと鉛でも引きずっているかのように足も重くなって、身体を動かすのがつらくなる。昔から外出するとすぐ疲れてしまうことはあったけど、体力がないせいだと思っていた。少し疲れやすいくらいだからとあまり気に留めていなかったのがいけなかったのか、ここ最近は疲れやすいどころの話ではなくなっている。外に出た瞬間、それまで元気に動けていたのに、まるでお地蔵様にでもなったように動けなくなるのだ。
それでも目の前でつぶらな瞳をこちらに向けながら、今か今かと出発を楽しみにしている犬を前に 散歩行くのなし!なんて選択はできそうもない。その前にお母さんから大目玉を喰らいそうだ。
ちゃんと餌やりも散歩も私がするという約束でこの子を飼うのを許してくれたんだから。この子を家族として迎え入れてもうすぐ1か月になる。謙也と一緒にいる時に拾った子だから名前はスピードスターにあやかってホシにした。命名は謙也だったりする。最初は流星にしよか!とか言っていたから、とてもシンプルな、なんならポチってベタな名前とそう違いないけど、これでもまだマシな名前になった思う。謙也に任せなければよかったとちょっぴり後悔した時もあるけど、自分の尻尾を追いかけてクルクル回っているホシを見ているとこの名前もいいかななんて思えてくる。よし、憂鬱な気持ちを吹き飛ばすように立ち上がってホシに声をかける。「行くよ、ホシ!」私の声にホシは一つワンと吠えた。


家を出て、散歩コースの通学路の途中にある小さな公園を通りかかった時、それまで私の1歩先をおとなしく歩いていたホシが公園に向かって走り出した。うわわ、なんて慌てた声を上げながら強い力に引っ張られながら、重い足を引きずりながら必死についていく。
その日も、もふもふはそこに居た。昨日と違ってブランコに腰を下ろしたもふもふの傍に猫はいなかった。子供用の遊具なだけあってあのもふもふ巨人にはブランコが少し窮屈そうだった。朝見るのと夕方に公園で見かけるのとではだいぶ印象が違って見えた…なんていうか、栗鼠と虎が合体した哀愁漂う姿にも見える。自分で言っててなんだそれと思わないこともなかった。
その哀愁漂うもふもふに向かって私の制止もむなしく思い切りホシが飛びつく。それを驚きながらも抱き留めたもふもふは顔を舐められながら無邪気に笑っていた。うーん、やっぱりイケメンだよなあ。哀愁漂うリストラされた風の男なんて表現して悪かったと心の中だけで反省しておいた。

「この前のもじゃもじゃ!」
「あ、昨日の…もふもふの次はもじゃもじゃか」
「こんな所で何してるの?」

ブランコを支える鉄には6歳までっていうステッカーが貼ってあるのだけど、このもふもふは知っているのだろうか。いつか変質者として通報されないか心配だ。

「ちょっと休憩しとった」
「もじゃもじゃってテニス部でしょ?今日も確か部活あるよね」
「…千歳」
「ん?千歳飴…?」


テニス部は今日も部活があったはず。だって謙也が部活に遅れるって騒ぎながら教室を飛び出してったし。なのにどうしてこのもふもふは昨日同様、公園にいるんだろうか。朝練も放課後の部活にも参加しない、ピアスもしてるし、やっぱりこのイケメンは不良?と訊こうとした私の声を遮ってもじゃもじゃは、千歳とだけ言葉を吐き出した。このタイミングで千歳飴?あいにく私のポケットには飴じゃなくてうんち袋くらいしか入っていない。

「千歳千里。俺の名前ばい」

足元でキャンキャン嬉しそうに吠えるホシの頭を撫でながらもじゃもじゃ…千歳千里は「かわいかね」と目を細めて呟いた。
「かわいかやろ?」と返せば「九州の方言解ると?」と返される。解んないよノリだよノリ。

「名前は?」
「ホシ」
「ふぅん、かわいか名前やね」
「……?」

目の前の千歳千里はホシの顎を一度撫でて立ち上がり私に目線を合わせた。やっぱ立つとこの人でかいな…。

「ホシちゃん、今日も体重そうやね?」
「ホシちゃん?」

ホシちゃん、もう一度私を見ながら言った千歳は、笑顔を見せながら肩に手を置いた。そして昨日のようにポンポンと優しくそこを撫でる。肩を撫でると体が軽くなる為彼に助けを求めたと察してくれたのか、肩を撫でてくれたようだけれど昨日と同様に身体が軽くなることはなかったし、むしろこの巨人に両肩を叩かれたせいで地面に埋まるかと思った、もちろんそんなことにはならなかったけれど。やっぱこのイケメンでは意味がないというのが再び実証されただけだった。やはりイケメンの系統によるものなのか、自分の好みの問題なのか…そもそも白石くんが撫でてくれたのもあの日だけだし、もしかしたら状況にも寄ってくるのだろうか。重くなってきた頭で考えてみたけど、白石くんや目の前の千歳以外のイケメンがいる場でないと検証できないので、答えは出ないままだった。謙也はもう論外だったし、やっぱり私の好みに由来するのだろうか…?

「ホシは男の子だよ?」
「君、男やったと?」
「私はみょうじなまえ」
「なんね、ホシちゃんは犬の名前か」

紛らわしか、そう言って私の肩から手を離す千歳。紛らわしいだと?それはそっちだろう。目の前の千歳千里はホシの頭を撫でながら名前を聞いてきたのだ。犬の名前を聞かれたと思うだろう、普通。あとホシはオスだからね、ホシ君だからね。

「この犬、どげんしたと?」
「どげんしたって何が?」
「ん、最近飼い始めた?」
「そうだけど…何で知ってるの?」
「…なんとなく?」

おいおいちょっと、ここまでのやり取り全部に疑問符が付いてますけど。ここらで感嘆符の一つでも織り交ぜたいところだ。
ホシに笑顔を見せながらひょいと持ち上げた千歳は、こぎゃん強かとずっと一緒に居ったら身体が持たんばいと言う。
…強い?何が?…どういう意味か解らず首を傾げた私に千歳ははぐらかすように笑った。よく解らない人だ。

夕日で隠れた千歳の目が鋭く細められたことを知っているのは、射貫くような目を向けられた犬だけだった。


written by 社