朝の一件があって、わたしの中にひとつの仮説が生まれていた。

 イケメンには癒し効果がある、という仮説だ。通称イケメンマジック。謙也に言ったらアホらし、と馬鹿にされるかもしれないけど、すっかり軽くなった肩がなによりの証拠だった。
 幸いにも、この学校にはイケメンがわりと多い。幼馴染みである謙也もそのうちに入るみたいだけど、彼が触れてもまったくと言っていいほど良くならなかった。それどころか余計に重くなった気さえして腹立たしいので、謙也はイケメンから外すことにする。
 すぐにでもこの仮説を立証したかったけど、白石くんのおかげで軽くなった肩では意味がない。なのでふたたび重くなるまで待っていたというのに、その日は結局すっきりしたままだった。

 そして日付が変わった今日、いつものように家を出たとたんに肩が重くなる。何か乗っているのではないかと思ってしまうほどだ。もしかして謙也の生き霊かな。
 ため息を漏らしながら重い足取りで歩いていると、視界の端にもふもふした何かが映った。なんだろう、とそちらに顔を向ければ、見覚えのある姿があった。
 そのもふもふは通学路の途中にある小さな公園にいた。ブランコのそばにしゃがみこんで、そこでくつろぐ猫を撫でている。
 肩のせいで重い足は簡単に止まった。そのおかげで、猫と戯れるイケメンをじっと観察することができた。

「テニス部のイケメンはっけーん」

 いつか見学しに行ったときに見たことがある。やたら大きくてやたらもふもふした髪の黒い人。名前は知らない。知っているのはテニス部であることと、イケメンであることくらいだった。
 そういえば今日も朝練があったはず。朝っぱらから謙也が猛ダッシュで家を出ていったのを、部屋の窓から寝ぼけまなこで見たのを覚えている。
 何はともあれ、昨日浮かんだ仮説を立証するにはうってつけの人物だった。名前は知らないけど、謙也のチームメイトならきっと協力してくれるに違いない。
 根拠のない考えに一人で納得して、鉛のような足を動かす。公園に入って彼に近付いていっても、もふもふイケメンの視線は猫に釘付けだった。

「ちょっとそこのもふもふさん、お願いがあるんですけど」

 ごろごろと喉を鳴らす猫にこちらまで目を奪われそうになりながら、もふもふに声を掛ける。我ながら不審者のような言い方だ。

「ん? 何ね?」

 しかしイケメンは気にした風もなく、顔を上げてわたしを見た。イケメンは優しい、というわたしの仮説が密かに証明された。

「あのね、肩のここらへんをトントンしてもらいたいの」

 しゃがんだままのイケメンに、自分の肩を指差す。
 こんなわけのわからない要求が通るのか、実を言うと少しだけ不安だった。しかしイケメンは頭のもふもふを揺らしながら立ち上がって(巨人かこいつ)、わたしの指先に目を向ける。

「ここ?」

 イケメンが手を伸ばし、わたしの指があった場所に触れる。そこは昨日、白石くんが触れた場所でもあった。

「そうそう! ……あれ?」
「今度は何ね」
「全然良くならない……」

 昨日白石くんに触れられたときは、がちがちになった肩が嘘のように軽くなっていた。しかしこのイケメンが何度肩を撫でても、ちっとも軽くならない。謙也と違って悪くなることはないが、良くなることもなかった。

「良くならんって、何のこつ?」

 状況を飲み込めないイケメンが戸惑いの声を上げる。しかし、仮説が証明されなかったわたしの耳には届いていなかった。

「この人イケメンじゃないのか……?」
「えっ」

 考えてみれば、このもふもふは確かにイケメンだけど、白石くんとは系統が違う。こっちは目つきが鋭く、よく見ればピアスもしていて、少し危険な香りが漂っている。
 癒し効果があるのは正統派イケメンだけなのだろうか。この失敗を受けて、また新たな仮説が飛び出す。

「違うのか……他を当たるか……」

 わたしは一人納得して、イケメンを見ることもなく公園をあとにする。仮説を立証するため、もふもふなど気に留められなかった。

「な、何ね、あん子……」

 取り残されたイケメンはぼやくが、それに答えたのは足元の猫だけだった。



written by なつや