家へ入り、靴を脱ぎながら「ただいま」と中に呼びかけると、いつもの「おかえり」に別の声が混ざっていることに気付く。ふと玄関を見ると、普段はそこにはない、だが見覚えのあるヒールの靴が並んでいた。

リビングに入ると、母さんともう一人の女性が向かい合って茶を啜っている。俺が中に入ってきたことに気付いた彼女は片手を軽く挙げ「よっ」と声をかけてくる。

「姉ちゃん来とったんか」
「たまには顔見せてやらんとな〜」

オカンが俺の分のお茶を湯呑に注いでくれたので、久々に顔を合わせた姉の隣に座る。普段東京で仕事をしている姉が、このタイミングで家にいる。ツイてる、そう自分の運に感謝しつつ煎餅を貪る姉の横顔を盗み見る。言うなら今しかないと膝の上で軽く握った拳に力を込めた。

「ちょうどええとこで会えたわ」

ずずずと茶を啜る姉とオカンに向き直り「相談したいことがあんねんけど」と、前置きをして、この前聞いたクラスメイトのみょうじさんの話を切り出す。以前から、たまに小さな霊を引っ付けていた女の子がちょうど1か月くらい前から、やたらたくさんの霊たちを身体に乗せるようになったこと、1か月前に拾ったという犬がもしかしたら原因かもしれないということ。そして、推測に過ぎないがその犬に憑いた霊が彼女の命を奪おうとしているのでは。オカンと姉ちゃんの顔つきが強張るのを感じながら最後まで説明すると、姉ちゃんは顎に手をやり何やら考え出した。オカンも同じようにうーんと小さく唸る。さすが、有名除霊師として活躍してるだけはある。頼りになりそうや。

「なあ、くーちゃん」
「その呼び方やめてーや」
「そのワンちゃんに何が憑いてるか見てみたん?」
「いや…見てへんけど」
「霊視できるやろ、探してみいや」

俺を指さしながら姉ちゃんは簡単にそう言うが、プロの除霊師でもない俺がそう簡単にできるものじゃない。俺の霊体をみょうじさんの家、いやホシの元まで飛ばしそのままその体に入り込めれば、どんな霊が憑いているのか近くにいなくても解るだろうが、それが出来るならとっくにしている。

「くーちゃんにはまだ無理やろ」
「オカンもくーちゃんって呼ぶんやめてや」
「あたしが代わりに視たってもええけど、それじゃくーちゃんの為にならんからな」

姉と母親二人してうーんと頭を抱えだす。頭を抱えたいのは俺の方やちゅーねん。それに俺は、素質はあってもオカンや姉ちゃんのようにプロの道に進みたいわけやないしな。極めれば極めるだけ自分へのリスクも高くなる、だから別にそこまで本格的にのめり込むつもりもない。

「相談なんやけどな、そのクラスメイトの子を助けたいんやけど、どないしたらええか解らんねん」
「ほーん、自分で助けたいなあ」

姉ちゃんがニヤついた顔で小指を立てて「コレか」なんて聞いてくる。断じてソレではない。

「ちゃうけど…オカンに頼んだら金取るやろ」
「そらこれで食べてますからな」
「クラスメイト…友達の幼馴染からお金取りたないねん」
「くーちゃんはほんま優しいなあ」
「その子のことホンマは好きなんちゃう?」

親子揃ってニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべている。

「何でもええやろ。それよりどないしたらええか教えてや」
「肩揉み1時間」
「皿洗い1週間」
「え?」
「くーちゃん、ウチらプロやで?タダで働かせるんか?」
「はあ?可愛い息子の頼みやんか」
「可愛いくても可愛くなくても、それとこれとは話が別や」
「ええん?くーちゃん、この件は慎重にやらな大変なことになるけど、悠長に構えてる時間もないで」

オカンがニヤニヤした顔つきを一瞬で引っ込め、背筋が凍りそうなくらい怖い表情を見せる。この目は、本気や。
肩揉み1時間も皿洗い1週間も、納得はいかないが引き受ける以外に選択肢はなさそうだ。かなり癪ではあるが仕方ない。

「…その要求呑んだる」
「なんや不満そうな顔やなあ折角の男前が台無しやで〜?」
「ええからはよ教えてえな」
「まず、霊視ができひんのやったら直接会いに行くしかないやろな」
「それからその霊が何でその犬に憑りついてんのか、その霊と会うてみんとな」
「無理矢理除霊したってもええけど、それは最終手段やで」

解ってると思うけど、と姉ちゃんが俺をまっすぐに見る。微かに喉が鳴った。

「無理矢理浄化した霊は二度と転生できん、その場で消滅してまうんやから」
「せやからどうしてここにおるんか、どうしたら成仏するんかしっかり見極めるんやで」

無理に除霊してそのみょうじさんの犬に何かあったら大変やしな、軽い口調で言うが母の目は全然笑っていない。
「これだけは言うとくで」その後に続く母の言葉に、俺は今度こそ息を呑む。そしてそれは、重く俺にのしかかってきた。




「一生その子に恨まれる覚悟はしときや」


written by 社