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祝勝の宴も終わり、王宮の大広間は夜更けの静けさに包みこまれつつあった。


そんななか、カザミはちょこんと席に居残っていた。



今は当然、血と汗にまみれた甲冑ではなく、しかるべき正装を身にまとっている。


戦場では怒れる龍のごとく働く隊長も、こうするとまだまだあどけなさの残る若者である。


もともと、顔立ちもやさしい。引き締まった鋼の肉体、手のひらの剣だこは隠しきれるものではないが、まるで文官のようだと揶揄されることもしばしばであった。



――いや。そのような気楽な日々も、もう終わりかもしれない。



「ほっんと、君がんばってくれたよねー。えらいえらい!かっこいいよ、カザミ隊長っ」


「……も、もうおやめください……」



小さく縮こまるカザミの前に、きさくな様子で杯を差し出したのは――やはり、若者。


しかしその服装のきらびやかさは、一介の武官であるカザミの比ではなかった。



「あれ?もう父に誉められすぎて飽きちゃったのかな?じゃ、私なんかに誉められてもうれしくないかあ」


「そっ――そのような!王子殿下……!」


「だったら、ほらほら飲んでこれ。せっかく注いだんだから、残したらもったいないじゃない」



青くなったり赤くなったりしながらも、なんとか酒杯を受け取る。


相手はにこやかに笑うと、空いた手に自分のぶんを持ち、くっと飲み干した。



そう、この若者こそ、あの勇猛なる王の嫡子。


すなわち、次代の王である。



カザミも、杯をあおいだ。味などしない。熱さだけが身体の内側から吹き上がる。



――あの戦場で。


カザミ隊は見事に敵の奇襲部隊を打ち破り、軍の窮地を救った。


こたびの勝利、この者の功こそ大である――。宴の場、皆の前で王から賞賛を受けた。



今までも戦があるたび、カザミは着実に功を重ねてきた。ゆえにこの若さのわりには、王の覚えもめでたいほうであった。


しかし今回の働きは、格別に目立ったらしい。王にも、家臣一同にも、もしかすれば他国一帯にも。なにせ、王の危機を免れさせてしまったのだから。



「君は、出世するね」


杯を重ねて、王子が笑う。顔が赤かった。もうだいぶ酔っている。


カザミをこの場に引き止めたのも、こうして一対一で飲んでいるのも、酔いからきた戯れか。たしかに、日頃からよくいたずらっぽい言動を見せる殿下であった。



「ちがうよ。ほんとうに、お礼が言いたかったんだ」



カザミはたじろいだ。その頭のなかをのぞきこんだかのように、きらりと王子の瞳が光る。



「父の――王の命をつないでくれて、ありがとう」


「……殿下」


「私はここに残っていたから、話に聞いただけなんだけどね。それでも、君の働きの大きさはわかる。いかに王が危うかったかはわかる。ありがとう」



――また、酒を。


さすがにもう止めたほうがいい。カザミはとっさに腰を浮かせたが、王子は素早く嚥下してしまった。



「……よかったよ、ほんとうに」



案の定、目眩でもしたかのように瞼を伏せる。



「王が死ななかった。だから、私は……王にならずに、済んだ」


「――」



カザミは、腰を浮かせた奇妙な格好のまま硬直した。



「ん?」



王子が片目をひらく。



「どうしたの?」


「……い、今、なんと」


「……ああ」



そこで初めておのれの酔いを自覚したのか、王子はなにやら照れたような笑い方をした。



「ごめんね、他意はないんだ。私はいずれ王になる――それは理解しているし、納得しているし、逃げるつもりもない。ただ」


「……ただ?」


「どこかでね、思うんだ。まだ、私には覚悟が足りないんじゃないかってね……」



――覚悟。


カザミの胸中を、その言葉が駆け巡る。


自然と、口をひらいていた。



「……なんなのでしょう。覚悟とは、一体なんなのでしょう」


「へえー、さっすがカザミ隊長。そんなやさしい顔をしてるのに、意外と軍議なんかでも遠慮なくずけずけ意見を言って、古参の将軍たちにジロッと睨まれたりしてるって聞くよ」


「……っ!も、申し訳ありません、自分から殿下に口をきくなど……!」


「いいよ、そうして今回も敵の伏兵の可能性を指摘したんだろ?君はさっきまでみたいに畏縮してるより、絶対今のほうがいい」



カザミに座るよううながす。酒精で充血しているせいか、くりくりと愛嬌のある王子の瞳には、なにか恐いほどの凄みが加わっている。



「覚悟ってのはさ、人それぞれでしょ。だから難しい」



気だるげに、両腕で頬杖をついた。



「父の場合は、あえて戦場の前線に立つこと。だけど、それは私の覚悟の形にはそぐわないと思う。私は、もっとちがう方法で戦いたいような気がしている」


「……ちがう方法?」


「だって、戦場ではきっと君のほうがうまく戦えるもの」



なんとなく、話を逸らされた。王子自身にもまだ、はっきりとした答えは見つかっていないのであろう。



「でも、意外だなあ」


「え……?」


「覚悟とはなにか、なんて――君の口から出た言葉とは思えない」



テーブルの下で、王子はぶらぶらと足を揺らしている。


幼げなその仕草とは対照的に、瞳はひたとカザミを見据え続けている。



「君にも、覚悟がないの?」


「……私は、王家に忠誠を誓っております」


「それは、嘘なの?」


「いいえ。いつでもこの命を捧げる所存です」


「……うーん。うまくは言えないけれど、そんなことはしなくてもいいと思うよ?」


「は?」


「でも、なんとなくわかった……。つまり今の君は、ただ兵士としての典型に沿って働いているだけ。どこか、自我がないんだ」



その言葉に、カザミは大きなショックを受けた。



――自我がない。


捧げたはずのこの忠誠は、自分の心の底からの忠誠では……ない?



「んー……」



王子は、ころりとテーブルの上に突っ伏した。



「――ねえ、カザミ隊長。私と友達にならない?」


「……は……?」


「まちがえた。私と、友達みたいな主と家臣になってみない?今すぐに、とは言わないからさ」



臥した腕に顎をのせ、王子はぼんやりとカザミの顔を見上げる。



「命なんていらないよ。だけど、私は君の、その清廉な心がほしい。私は、もっとありのままの君と言葉を交わしたい。私のことを裏切らないで。見捨てるなら、正面切って堂々と見捨てて。たぶん、それこそが真の忠誠というものだと……私は思う」


「で、殿下」



一国の王子が口にしてよいような台詞ではない。酔いすぎている。その判断がつかないほど愚かな王子ではなかったはずである。


――が、もはやカザミは聞いてしまった。



『私を裏切らないで』。



聞かなかったことにできるほど、器用な人間ではない。



王子は、ふわあと遠慮のない大あくびをした。眠いのか。



「それにしても、困っちゃうよ。私なんてまだ青二才の王子だから、君に素晴らしい恩賞を与えられるような権限なんて持ってないんだよねー」


「……!そのような」



さすがは酔っぱらいである。見事に話題が飛躍する。



「だけど、いいことを思いついたんだ」



いたずらを仕掛けるときの、子どものような瞳。


けれど向けられたのは、ターゲットを見るまなざしではない。


言外に、こんな文句が聞こえてくるようである。――ねえ、一緒にやろうよ。



「――私はもうすぐ妻を迎える。そして、いずれ子を成すだろう。最初の男の子が生まれたあかつきには、君のすぐれた知勇にあやかり、ぜひ君と同じ名を我が子に授けたいと思う。こんな恩賞は、どう?」


「っ!」



今度こそ、カザミはがたんと立ち上がった。



「なななな――なにを仰っているんです!?よいわけがないでしょう!私はしがない武官ですよ!」


「えー。じゃ、こっそり君に似せた名前にする」


「そ……っ!やめてください!?ほんとにやめてください!」


「カザマ……カズミ……ん?カズマ」


「殿下ーっ」


「うふふ。もう決めたもの。うふふふふ」



王子も、ゆらりと立ち上がった。



まだ血にも泥にも汚れていない、白い指先がカザミのもとへと伸ばされる。



「これで、君の忠誠は」



とん、と突かれる心臓。



「――我が王家のものだ」









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数年後。



緊迫した情勢のなか、若くして王座についた男は、とある覚悟をもって最初の政断を下すことになる。



その采配に、家中は揺れかけた。



しかし、ひとりの若き兵隊長の率先した賛成――その迷いなき姿、王を見る曇りなき瞳に導かれるようにして、皆の覚悟も決まった。






――覚悟とはなにか。



今から二十年もして、ふたたびその国の民に尋ねれば、きっと彼らは誇らしげにこう答えることであろう。



――我らが王と、かの将軍を見よ、と。









(終)


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