▼ 感情プログラミング
ぼくの目の前には今、赤毛に茶色い瞳の表情が乏しい女の子が座っていて、ぼくの作ったベーコンエッグを食べている。
彼女の名前はルノ。
山のむこうにあるおおきな研究所でつくられた、人間そっくりのロボットだ。
『世の中を豊かにするため』という胡散臭い目的を掲げ、研究所では次々と精巧な人型ロボットが生み出されている。
最新のものは、一日一緒にいたってロボットだとわからないくらいらしい。
この研究の画期的なところは、ロボットに『感情』をプログラミングしていることで、そのプロトタイプとなるのがルノのようなロボットだという。
ルノは、喋り方も不自然に丁寧だったり固かったりとぎこちないし、笑顔も苦手らしくめったに見せない。
だけど間違いなく『感情』は持っている。
彼女は研究所を逃げ出し、成り行きからぼくの家でかくまうことになった。
研究所のやつらも、まさかロボットがこんなに離れた貧乏な村にいるとは思ってもいないだろうし、それ以前に、古い型のルノはもはや研究所には不要だという。
『迎えが来るとしたら、スクラップにするためです』とルノは言っていた。
ぼくはいつからか、ルノがずっとここにいてほしいと――つまり『かくまう』んじゃなくて『家族』になってほしいと、願うようになった。
だって、何度か触れたルノはとてもやわらかくてあったかくて、彼女の言葉や表情に幾度も心を動かされたから。
『きみを見ていると胸がいたくなるんだ』と正直に伝えると、ルノは『わたしもこのへんがきゅっとなります』と、胸元を指差した。
その日はうれしくてうれしくてなかなか眠れなかった。
だけど、眠れない夜にいろんなことを考えていたら、気付いてしまったことがあった。
『ぼくはルノが好きだけど、ルノのその感情は、プログラミングされたものだ。例えば、きみに好きだと言った人間がいちばん喜ぶだろう答えが登録されていて、きみはそれを答えただけかもしれない』
『ぼくだけが好きでいて、きみはただプログラミングされた答えをくれているだけかもしれない。それって、いつかぼくがひどく辛くなるかもしれない』
そう言うと、ルノは少しの間首を傾げてから、顔をまっすぐ向けてぼくの目を見た。
こういうときの動きはちょっとだけロボットっぽい気がする。
『研究所の目的を考えると、わたしたちに感情をプログラミングするべきではなかったでしょう。わたし自身、この機能を取り除いてほしいと何度も思いました』
研究所の目的――それは表に出ているものとは違うのだというようなニュアンスで少し気になったけれど、今はルノの話を黙って聞くことにした。
『わたしは自分についている機能が、体のどこにあるかを把握しています。例えば人感センサーは後ろ頭についている。だけど感情がどこにあるのかだけが、自分でもわからないのです。それほど精巧にプログラミングされているのでしょう』
ルノに人感センサーがついてることも初めて知って、後ろからおどかしたりできないんだなと余計なことを考えていると、ルノは小さく息を吸って、言葉を続けた。
『だから確かに、わたしの感情は研究者たちに――人間にプログラミングされたものです。 だけど、人間の感情も、プログラミングされたものではないですか?かみさま、という存在に』
かみさま。
この世界の全てを創造したのは、見えない『神』という存在だと、大人たちは言っている。
自分たちは『自然』でロボットは『人工』だと、そう言うけれど、ぼくたちだって神様に『作られた』ものなのだろうか。
ぼくが難しい顔をしていると、ルノはにこりと笑った。めずらしいことだ。
『わたしたちは同じだと思いませんか?感情をプログラミングしたのが、かみさまなのか人間なのか、それが違うだけだと。それが、わたしの――あるとすれば心を、信じる理由には、なりませんか?』
ああ、そうか。
ぼくはルノを見ているだけで胸がいたくなって、それだって神様にプログラミングされたものかもしれなくて――だけど、ぼくに感じられるのはそんな難しいことなんかじゃなくて『ルノを見ているだけで胸がいたくなる』っていうこと、それだけで。
ルノも、同じだったら。
きっと同じだから。
ぼくは黙ってルノの手を握り、なんだか泣きそうな気分で、笑った。
『つながっている手と手の間、たとえばここに、感情は――心はあるのかもしれないね』
恥ずかしくて言えなかったけれど、そのときのぼくは確かに、そう感じていた。
だから、目の前でルノが黙々とベーコンエッグを食べているこの風景が、一日でも長く続くように――叶うものなら永遠に続くように、ぼくにできることはないかと、毎日考えている。
これがプログラミングされたものだとしたって、この気持ちは神様のものではなくて、ぼくのものだと、胸を張って言えるだろう。
end
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