▼ きみの知らない恋のうた
「綺麗な声」
隣を歩いていた日夏が、立ち止まった。
夕方、帰り道。
広場に人だかりができていて、その中心で若い女性が歌っている。
「ほんとだ」
日夏の言うとおり、澄んだ美しい声だと思う。
切なげな表情で歌い上げているのは、聴いたことのない歌だった。
「外国の、言葉?なんて言ってるのかなあ?」
日夏はもどかしそうに歌手の方を見つめる。
少し躊躇ってから、俺は呟いた。
「『きみとこうしていられることが幸せすぎて、夢を見ているのかもしれないと不安になる』って。『夢ならどうか醒めないでほしい』って、歌ってる」
「……早瀬、わかるの?」
「昔、習ったから」
祖父の教育も、たまには役に立つ。
とは言え、苦笑いが零れてしまう。
訳してしまえばありきたりなこの詞は、俺の心、そのままだったからだ。
「何でそんな顔、するの」
日夏が俺をじっと見た。
日夏に、見透かされてしまっている。
「夢なんかじゃないから。早瀬がいつまでもそんな風に思ってたら、わたしだって、一人で夢を見てるのと変わらないじゃない」
そうなんだろうか。
それは、すごく嬉しい言葉で、少しだけ自分が情けなくなる言葉だった。
「たぶん早瀬が考えてるより、わたしは早瀬のことがだいすきだから、夢だなんて思わないで」
遠慮がちに、日夏が俺の頬に手をのばす。
「うん、ありがとう。日夏」
だけど。
微かに耳に届く歌声に、俺は小さく笑う。
『きみがぼくをだいすきでいてくれることはわかってる』
『だけど、そんなきみが思ってるよりずっと、ぼくはきみがだいすきでたまらないから、だからやっぱり不安なんだ』
『そんなこと、とてもきみには言えないけれど』
日夏には、わからなくてよかった。
end
prev / next
(2/2)