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(3)
部屋のドアを開けると、彼がソファで本を読んでいた。
隅の方でユキがまるくなって寝ている。
足を踏み入れて、私は、部屋がいつもよりあたたまっていることに気付く。
彼は私を見ると立ち上がり、一旦寝室に消えた。
戻ってきた彼は、私をソファに座らせ、手に持っていた毛布でぐるぐる巻きにする。
「え、ちょ…カズマ様、これじゃ動けな……」
そして、用意していたらしいホットミルクをこちらに差し出した。
なんとか毛布から手を出し、受け取る。
一口飲むと、ほんのり甘くておいしい―――のだけど、
「カズマ様!これじゃ、あついです!」
私は眉を下げて抗議した。
しかし彼は無表情でこちらを見下ろした。
「湯冷めするだろうが」
それにしたって、彼の言いつけ通り1時間しっかりお湯に浸かってきた私には、暑すぎる。
私が憮然とした表情をしていると、彼がブランケットを手に取った。
しかたない奴とでも言いたげに、毛布を剥がし、肩にふわりとブランケットをかける。
これくらいなら、我慢できる。
「あの、カズマ様?私、風邪なんてひきませんから」
この状況が、まるでこどもにでもなったようで、私は苦笑しながら言った。
「くしゃみしてたのは誰だ」
「くしゃみなんて!たまたまです!……ていうかカズマ様、会議じゃないんですか?」
私の隣に座り直した彼に尋ねると、
「会議は中止になった」
そう答えた彼は、体温を確かめるように私の頬を撫でた。
そういうことをされると、体温が上がってしまう。風邪だと勘違いされてしまうかもしれない。
「今日は休日のようなものだ。――だから今日は、お前を甘やかしたい気分になった」
「ええっ!」
『だから』の意味がわからない。
だけどやっぱり、顔が熱い。
彼は、空になったカップを私の手から奪い、そばのテーブルに置く。
「今日は、お前は何もしなくていい。俺の横にいろ」
そう言って彼は、私の頭を自分の肩に軽く引き寄せた。
そしてやさしく髪を撫でる。
いつもは少し強引なくらいだから、こんな風にされると逆に恥ずかしい。
それでも、なんとなくあたたかさがじんわり染み込んでくるみたいで、安心する。
心配してくれたこと、甘やかすなんて言いながら甘えられているような気もすること――でもやっぱり、それさえもきっと優しさで、そんなことを思うと心がほぐれて勝手に頬が緩んだ。
だから、力を抜いて彼の肩に寄り掛かる。
私も、今日は何もせずにただ、彼の隣にいたい。
「カズマ様、さっきユキの鼻にちょうちょがとまってたんです」
「そうか」
「いつもはしゃぎ回ってるユキが、石みたいに動かなくなって、じっとちょうちょを見てて…」
「……」
「なんだかそのときの顔がおもしろくて、笑ってしまいました」
「それは少し、見たかった」
「ふふっ……カズマ様も今度、一緒にユキの散歩に行きましょう」
「ああ」
「天気のいい日に……草むらでユキと寝転がって……すごく、気持ちいい……ですよ……」
「そうか」
「……はい………」
私は彼と、何の意味もない会話をしながら、だんだん瞼が重くなっていくことを、もやのかかった意識の中で感じていた。
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ゆっくりと目を覚ますと、窓の外は夕焼け空だった。
「………寝過ぎちゃった」
まだ少しぼんやりしたまま、隣の彼を見る。
「あ…」
彼は、本を手に持ったまま、俯いて目を閉じている。どうやら彼も眠ってしまっていたらしい。
片手は器用に私の頭に触れたままだけれど、いつもよりも無防備に見える。
いつも彼の方が遅く寝て早く起きるから、彼の寝顔は新鮮だった。
思わず、口元が緩む。
私は、慎重に彼の右手を頭から外し、左手にあった読みかけの本を抜き取った。
開いていたページにしおりを挟み、テーブルに置く。
そして、私の肩にかかっていたブランケットをふわりとかけた。
私は軽く屈み込んで、控え目に彼の髪を撫でてみる。いつもはできないから、今だけ少し、立場逆転だ。
目を覚ます気配のない彼に、私は小さく囁いた。
「カズマ様、ありがとうございます」
雨に濡れたなんてそんなことで、本気で心配してくれるのは世界中で彼だけだ。
そのことが、本当はすごく嬉しかった。
コーヒーを作るために部屋を出ようかと思ったけれど、昼間の言葉を思い出し、私は再び彼の隣に腰を下ろした。
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