▼ 少女とバイクとチョコレート
「この国でいちばんおいしいチョコレートを作る職人っていうのは、きみ?」
指先に集中していた視界に、淡い影が射した。
そして、意外な言葉に、手が止まる。
「いらっしゃいませ」
顔を上げ、屈めていた背筋を伸ばし、僕は声の主と向き合った。
僕がいらっしゃいませと言ったのは、ここがチョコレートを売る店だからで、そう、確かに僕はチョコレート職人だ。
けれど、
「昔はそう呼ばれていたかもしれませんが、今は違いますよ」
チョコレートの溶かし方から材料選び、目を楽しませる模様を描くところまで――言葉で言ってしまえば簡単だけれど、とても繊細でやっかいで特別な作業を、僕はゆっくりと丁寧に、毎日毎日、繰り返している。
それが僕の仕事であり、誇りであり、楽しみだからだ。
それがたくさんの人に認められ、数年前まではこの店は大繁盛だった。
確かに、この国でいちばん美味しいチョコレートを作る職人だと、言われていた。
だけど、他と比べてゆっくりと進歩してきたこの国にも、科学の波は押し寄せて、僕が一日に作れるチョコレートの何十倍という数を、機械が簡単に生産してしまうようになった。
緻密に計算された、均一で高水準な味、失敗のない整った造形、手頃な価格。
わざわざ辺鄙な村の丘の上にあるこの店に来なくても、近くの雑貨屋でいくらでも手に入る。
いちばん美味しいチョコレート、なんて言葉に、意味はもうない。
「ロッツ社製のチョコレートが、この国のチョコレートの代名詞でしょう?」
「うーん、ロッツ社のじゃ、だめだったんだよねー」
僕の言葉を聞いて、声の主であるところの少女は、腕組みをして唸った。
「だめ、と言うと?」
来店早々よくわからないことを言う少女を、僕はまじまじと眺めた。
明らかに僕よりも年下のくせにやけに馴れ馴れしい口調で喋るこの少女は、少し変わった身なりをしている。
町の女性たちが着ているような、丈の長いワンピースは着ていない。
紺色の膝丈ほどのワンピース、腰にはピンクのベルト、そして脚の細さがわかるくらいにぴたりとした、ベルトと同じピンク色のズボンを、なぜかスカートの下に履いている。
スカートの下にズボン、という服装は初めて見た。何の意味があってそんなかっこうをしているのだろう。
だが、少女はもうひとつ、特徴的なものを身につけていた。
ピンクの、ヘルメット。
二つに結わえた髪と、人懐こそうなくりくりとした瞳が、そこから覗いている。
「私のバイクがね、ロッツ社のチョコレートじゃ、飛んでくれないの」
「……はい?」
少女は腰に手を当てて、なぜか胸を張り、そう言った。
私のバイク?
チョコレート?
飛ぶ?
何ひとつ、理解できない。
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