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僕の『暇つぶし』は読書だと言ったが、そのために古書店に入り浸ることも『暇つぶし』のひとつだった。

行きつけの古書店は、他人に全く関心のなさそうな中年店主が営んでいて、客も少なく、居心地がよかった。


しかしその日、いつもの椅子に腰掛けていたのは店主ではなかった。

僕と同じ年代の、女性。


店主の娘だろうか。あの店主には妻子がいるイメージなんてなかったから、そうだとしたらすごく意外なことだ。

あるいは新しく雇われたのかもしれない。


どちらにせよ、見慣れない顔――しかも女性がいることに、僕は憂鬱な気分になった。

しかし、今手に持っている本を今日買うことは先週から決めていた。
今更すごすごと帰るのも勿体ない気がして、僕はなるべく顔を上げないように、彼女に本を差し出した。


店主とは違い、彼女は愛想よく会計をしてくれた。僕にとってそれはこの店に求めていることではなかったけれど。


そして、包んだ本を手渡すと同時に、彼女はにこりと笑って僕に尋ねた。

「このシリーズお好きなんですか?」


僕が今日買ったのは、探偵が活躍するミステリ小説シリーズの、第六巻だった。

「い、いや…好きっていうわけでは」

不意を突かれて、僕は言い淀む。


しかしその後、初対面の彼女に何故そんなことを言ったのかいまだにわからないが、無意識に…そして唐突に、僕は自分の思いを零した。

店に誰もいなかったせいかもしれない。


「……自分を好きになれない人間が、他人に好かれるはずがないし、他人を好きにもなれない、って言う人がいますよね。

当たってると思うんです。

僕も自分が好きじゃないから、好きっていう気持ちなんてわからないんですよ。

人じゃなくても物でも、なんでも。だから……ああ、お店の商品に、すみません」


全て言い終えてから、謝るべきはそこではなくて、いきなりこんなことを言ってしまったことだと気付いた。


呆れているだろう、と彼女の方をちらりと見ると、彼女は相変わらず笑っていた。


そして、僕の目を見て言った。


「私はそうは思いませんよ?自分を好きになれない人に、好きっていう感情がわからないなんてことは、ないと思います。

自分を好きになれなくたって、何かを好きになることは間違ったことじゃないはずです。

まずは自分を好きにならなきゃいけない、なんて、『好き』にそんな決まりはないでしょう?

少なくとも私は、自分を好きになれない分、他のものに対する『好き』を大事にしようって、いつも思ってます」


初対面の人間の唐突な、脈絡のない話に、彼女は真摯に答えてくれた。


そして、本の入った包みを僕に手渡しながら、くすくすと笑った。

「それに、好きじゃなかったら、六巻まで読んだりしないですよ、きっと」

「は、はあ……」


僕は、なかば呆然としながら、本を受け取った。

彼女の理論が、僕には眩しすぎた。

だけど、何かが――動いた感覚があった。


それを確かめたい、と思ったのだろうか、僕はまたつい、彼女に話しかけた。


「……君も、自分を好きじゃないの」

「好きだと思ったことはないですね」

「そんな風に、全然見えない」

「自分は好きじゃないけど、好きなものはたくさんあるから、毎日楽しいんです。だからかな?」

「……へえ」



彼女の言うこと全てに頷けるわけではなかったけれど、その日、僕はあっさり、彼女に恋をした。



つまりそういうことなんだろう。



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