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僕は本を閉じた。
死にたくない、とは思わなかった。
この本の『死』の描写は淡々としていて、だからこそ恐ろしいものがあった。
だから相変わらず、死ぬことへの臆病さは消えなかったけれど、だからといって『生』に強く執着したくなることもなかった。
ただ、死にたくなったら死ねるとも思えなくなった。
なりたい、なんて思っているうちは『死』なんて遠くにあるものだと。
今までの僕は、死にたくなれば死ぬ勇気がわいて死ぬことができて、死ぬことができれば僕にも世界にもいいことになると考えていた。
世の中のたくさんの人があっさりやってのけているように、『死にたい』気持ちがあれは、息が止まる怖さなんて軽々と飛び越せると。
だけど、そんなものと現実の『死』は全く別次元のところにあった。
怖いとか、克服とか、そんな言葉で語る類のものではなかった。
そう、今まで『死』は今の場所からあと一歩のところにあると思っていたけど、気持ち次第でたどり着ける場所だと思っていたけれど――実はすごく遠いところにあるとわかったのだ。
本来『死』は、――『生』も、人間が自由に選べるような代物じゃない。
そのことを知って、それでも『死』を『選ぶ』というのなら、その途方もない距離を、大きく大きく、ジャンプしなければならない。渾身の力で。
『死を選んだ』人のうちどのくらいが、そんなジャンプができるほど必要に迫られていたのかは、知りようがない。
――ただ僕には、そこまでして死のうとする気力はなかった。
積極的に人生を送りたいわけじゃないけど、大きな大きなジャンプなんてする力は、僕には絶対にしぼり出せない。
一番タチが悪い結論かもしれないけれど僕は、面倒だから死なない、という選択をした。
生きる意味がないことを苦しまない……いや、苦しくないと思いこんでぼんやり生きているほうが楽だと。
もしかしたらいつか、何か『生きる意味』が見つかるかもしれない、と思ってみることにして。期待はしないけれど。
まあつまりは、僕の『苦しみ』なんてきっと、それくらいのものだったということだろう。
この本は強いていうなら、死ぬことが面倒だと、教えてくれた。
僕は、苦しむことが面倒だから死んだ方が楽だろうと思うくらいにめんどくさがりだったのだから、死ぬのはもっと面倒だとわかれば、死ぬ理由はなかった。
生きる理由も何もなくても、理由もなく生きる方が、理由もなく死ぬより楽だった。
本を読む前と後で、僕の人生は全く変わらなかった。
僕という人間が『意味のある』存在になったわけでもないし、生きていてもしかたがないとは、相変わらず思っていた。
ただ『死にたくなりたい』と思うことをやめただけだ。
そのまま、周りに流されるように何となく大人になっていった。
あの本はたまに読むことはあったけれど、感じることは一度目と変わらなかった。
それでも何度か読んだのは、単に僕の趣味が読書だったからだ。
趣味というか、生きていく暇つぶしに最適なのが読書…というだけだったのだけれど。
『暇つぶし』――そう、それが僕の人生を最も適切に表す言葉だった。
生きる意味はない、でも死ねはしない。ならばやり過ごすしかなかった。
しかし、そんな毎日が、唐突に終わりを告げた。
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