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「しっかりつかまっててよー?」
と言われても、一応女性の腰に腕を回すのは躊躇われた。
僕がもたついていると、少女が僕の腕を取り、自分の腰に巻き付ける。
動揺しなかったと言えば嘘になるし、この姿はなんとなく情けない。抵抗があった。
しかし、
「じゃあ、しゅっぱーつ!」
掛け声とともにバイクが一気に加速して、僕は少女にしがみついているより他になくなってしまった。
チョコレートの香りを撒き散らしながら、バイクが走る。
そして、ふわり、と、体験したことのない感覚が全身を襲った。
自分の身体が、宙に、浮いている。
「……気持ちいい」
思わず漏らした一言に、少女が上機嫌で笑う。
「だよねっ?アンリくんのチョコレート、いい仕事するでしょ?」
「本来の『仕事』ではないのですが……」
「でも私にとってはすっごいことだよ!こんな景色を見せてくれたんだもん」
促されて見下ろすと、そこには僕の暮らす村が、その先の街が、ニセモノの模型のように広がっていた。
ずいぶん高く飛んでいるようだ。
僕の店も、模型の一部になっていて、嬉しいようなどこかせつないような、不思議な気分になる。
頬に当たる風が、春なのに冷たい。
空はそれでもまだ、遠い。
世界の『あいだ』にいる気がした。
「ロッツ社の工場が見える。あそこの上まで行って引き返そうか」
「はあ」
「敵情視察、していく?ついでに」
「ロッツ社からしたら僕の店なんて敵でもなんでもないですよ。もちろん、逆の意味で僕もそうです」
「でもゼロ号はアンリくんのチョコレートがいちばんおいしいって言ってるんだからさ、すごいことだよ」
「基準がひどくわかりづらいほめことばですね」
「ほめことばに基準なんてないよ」
少女は鼻歌を唄いながら空を駆けた。
時折、鳥たちとすれ違う。
少女は片手を離して手を振り、そのたび僕はひやりとした。
ロッツ社の工場が少しずつ大きく見えてくる。
僕のとは違う、チョコレートの香りが、微かに漂ってきた。
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