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妻が置いて行ったサンドイッチを、片手で口に運ぶ。
これを、他でもない俺のためだけに作ってくれたのだという事実に、頬が緩みそうになる。
しかし、仕事の手を止めるわけにはいかなかった。
珍しく怒らせてしまったのは、それほどに心配させてしまったということで、そのことを申し訳なく感じる。
だが、今のこの状況は、自分のためでもあるのだ。
確かに、彼女の言ったとおり、父にあまり負担をかけたくないというのもある。自分が父の立場だとして、帰ってきたとたんこれだけの書類の山を見せられてはたまらないだろう。
しかし、理由はそれだけではない。
昼間のうちに仕事が片付かなければ、必然的に今日も深夜まで仕事をするはめになる。
そうすれば、妻まで寝不足にしてしまうことになるのだ。
俺を待っていようとしたのだろう、ソファで寝入ってしまっていた昨夜の彼女を思い出す。
そんなことだろうと思って一旦部屋に帰ってみたのだが、そんな彼女をベッドに寝かせてから、俺は再び仕事に戻った。
今日は尚更、起きていようとするだろう。自分一人が呑気に寝てしまうわけにはいかない、と。
だから、少しでも早く終わらせるために、今は休憩などしている時間はない。
それくらいなら明日に持ち越せばいい話ではあるのだが、そんなことはプライドが許さなかった。
我ながら子供のようだと思う。
意地っ張り、という彼女の言葉は図星だった。
そういう意味でも本当に自業自得だと思うのだが、わざわざそんなことを妻に説明するのも情けない。
改めて、自分は小さい男だと自覚して、自己嫌悪に顔を歪めた。
「……うまい」
一口食べたことで空腹を思い出し、上品とは言えないスピードで、サンドイッチを平らげていく。
本当は、彼女の言うとおりにしてしまいたかった。
あたたかい中庭で、微笑む彼女の隣で昼食を摂る――誰の入れ知恵だろうと、魅力的な誘いだったことは間違いない。
動かし続けていた右手を止めて、ふと窓の外の青空を眺める。
今頃彼女は、白い犬を連れて中庭を散歩でもしているのだろうか。それとも犬をまくらにしてうたた寝でもしているかもしれない。
「……」
片手で軽く自分の頬を叩き、再び書類に視線を戻す。
このままいけば、最低限仕上げておきたい仕事は夕方にはめどがつくだろう。そうすれば、夕食には間に合う。
せめてそこまでは、投げるわけにはいかない。
しかし。
書類に署名をするだけの単純な仕事がしばらく続いた頃。
「……」
頭にぼんやりと霞がかかったような感覚に、嫌な予感がした。
だんだん文字が乱れていくのがわかる。
何を書いているのかも朧げになり、惰性でペンを走らせている自分がいた。
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