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そんな昔のことを、よく覚えていたものだ。
そして今更、あのときの言葉はミリアムを傷つけていたのではないかということに思い至った。
だからミリアムはずっとそれを気にしていて、だからこそこんなことを言い出したのだろう。
俺はもうとっくに、ミリアムを『ペット』だなどと、そんな風には思っていなかった。
喋ることもままならない小さな子供だった頃ならまだしも、目の前のミリアムはいつしか――ただのミリアムでしかなくなっていた。
だからこそ、『これから』が全く見えず、どうすればいいのかわからないのだが。
「ミリアム、悪かった。あの時のことは、俺の言い方が良くなかったんだ。だからその……お嫁さんだとかそういうことは、考えなくていいから。ミリアムと一緒にいられる方法を考えるのは、俺の仕事だから。お前は何も気にしなくていいんだ」
そう言って、そっとミリアムの頭を撫でてやる。やわらかい赤毛は、太陽を浴びてあたたかくなっていた。
「アルバートさん、だけどわたし、お嫁さんがいいんです」
しばらく黙っていたミリアムは、まだそんなことを言う。
呆れ顔になった俺が口を挟む前に、彼女は言葉を続けた。
「だって、わたしはアルバートさんがだいすきなんです。だいすきなひとのお嫁さんになることが、いちばんの幸せなんだって、小説に書いてあったんです。――だから、もしもいつかアルバートさんが、わたしをお嫁さんにしてもいいって思ったら、お嫁さんにしてくれますか?」
ミリアムは、必死にこちらを見つめている。
そのまっすぐすぎる視線と言葉に、俺はどう答えるべきか、全くわからなかった。
「――考えておくよ」
そう言ってかわすしか、今の俺にできることはなかった。
ミリアムの読んだ恋愛小説というのが一体どんな話だったのか、僅かに興味がわいたが、甘ったるくて吐き気を催しそうな予感がした。
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特に何をしたわけでもない俺の方が、公園ではしゃぎまわったミリアムより疲れていた。
当然か。12歳と28歳では、体力が違いすぎる。
「きっともう洗濯物乾いてるから取り込んできますね!」
ミリアムはそう言って、そのまま中庭に回った。
いつしか、洗濯はつねにミリアムの仕事になっていた。俺がミリアムの衣類を洗濯することにはさすがにもう抵抗があるからだ。
俺は、先に居間に戻り、ソファに腰を下ろした。
『もしもいつかアルバートさんが、わたしをお嫁さんにしてもいいって思ったら、お嫁さんにしてくれますか?』
じっとしていると、先程のミリアムの言葉が、再び頭に響いてきた。
そんな風に思う日が来るとしたら、それは一体どんな状況なんだろうか。
少なくともあと五年は先の話だろう――などと妙に具体的に考えてしまっている自分に、嫌悪感を覚えた。
そんな日は、来ない。
ミリアムの『だいすき』は、そういう類のものではないのだから。
では俺は――?
俺はミリアムを、どう思っているのだろうか。
ミリアムはミリアム、それは間違いない。だったらそんな彼女を、俺はどうしたくて、いまだにそばに置いているのだろうか。
そこまで考えた時、ミリアムが洗濯物を抱えて戻って来たため、俺はそのことを頭から排除しようと努めた。
――そのせいで、ミリアムがその時、いつもより口数が少なかったことにもその理由にも、気付くことができなかったのだ。
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