倉田は百原を愛していた。
もはや何がきっかけだったか定かではないほど、以前から。
また、百原も自分を愛していることに、気づいていた。
そして百原は、従順で、我慢強く、感情を表に出すことが苦手な女だった。
倉田はある面ではそのような彼女がいとおしかったが、ある面では物足りなさを感じていた。
従順で我慢強い彼女が、上司であり惚れた相手でもあり倉田の頼みを断らないであろうことは容易に想像がついた。
それをいいことに、倉田は新薬の実験と称してとある薬を百原に断続的に投与した。
彼女の理性という扉をこじ開け、本能を剥き出しにしてしまう、という作用を持った薬だ。
ーーもちろん倉田の前でのみ。
はじめは、倉田の前でだけ弾けるような笑顔を見せるようになった。
それだけでも喜びはあったが、目的地はそんなところではなかった。
次第に百原の欲求は隠しきれなくなっていき、理性が薄皮一枚になったところで倉田は、暗殺部隊への異動を命じた。
『……私は、倉田さんと働きたいんです』
『兼任という形になるから、お別れじゃないんだよ。もちろん人体実験はさせられないし、こちらでの仕事は簡易なものになるけれど』
『嫌です……倉田さんと、』
『困ったな、上からの命令は絶対だとわかってるだろ?そうだ、何か交換条件を呑もう。個人的なことに限るけれど、君が望むことをひとつ、してあげるよ』
『望むこと……』
『ない?俺にしてほしいこと』
『…………それなら、』
百原の交換条件は、百点満点だった。
調教が成功した瞬間も、倉田は薄く微笑みを浮かべただけだった。
「くらたさん、すきっ……」
「俺も好きだよ」
本能に身を委ねた百原にだけ、倉田は想いを口にする。
百原が『身体だけの関係』と考えてーー諦めてというべきかーーいることは、わかっていた。
安心させてやるようなことは言わない。
自宅に招いたこともない。
この第九研究室でしか、百原を抱かない。
ーーそうすることで、百原がもっと自分を渇望することがわかっているからだ。
「くらたさんがほしいっ……」
「もう全部、雪野のものだよ」
「だめっ……もっと、……っ」
心を満たしきれない百原は、ますます貪欲に倉田を求める。
そんな彼女を見て、倉田の心は満たされるのだ。
ーー自分の前でだけ、百原は全てをさらけ出す。
「……だったら、」
『観衆』がいたらどうなのだろう。
例えば、今も戸棚に身を潜めているであろう、親友の三奈木。
例えば、夜な夜な上司のイラストで自分を慰めている、新人の野村。
もしくは、全く別の誰かでもいいかもしれない。
もちろん、彼女には指一本触れさせない。
誰かの『目』を、彼女が意識してしまえば、どうなるのか。
ーー劣情に端を発した好奇心が、倉田の心身を駆け巡る。
試してみたい。
彼女との関係が破綻しないよう、細心の注意を払いながら進めていかなければ。
『原案』を組み立てながら、倉田は百原の身体を貪った。
「雪野、かわいいね、好きだよ」
倉田慎一郎は、愛する女を薬で調教した男である。
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