背中に住み着いた男
貧乏商人・藤吾郎のもとへ嫁に来た、大店の娘・お篠は、儚げな美女であった。
数年前まではよく笑っていたのだが、いつからか、俯きがちになった。それもまた、美しさを引き立てるものではあったが。
お篠は、夫となる藤吾郎よりも、ひとつ年上。
持参金がたっぷりと期待できる大店の娘だというのに、これまでに嫁いだ先で翌日に離縁されること三回。
不可解な離縁の繰り返しに悪い噂が立ち、嫁ぎ先が見つからず、普通であれば有り得ないはずの藤吾郎にまで、お鉢が回ってきたのであった。
とは言え、藤吾郎は思いがけず巡ってきた幸運に浮足立っていた。
何故なら、幼い時分より藤吾郎は、お篠をひそかに想っていたからである。
自分とお篠が結ばれることはないと諦めてはいたが、だからと言って恋心をそう簡単に消してしまえるものでもない。
『藤吾郎さん』と親しく声を掛けてくれるお篠に胸をときめかせ、ここ数年のお篠の様子には、胸を痛めていた。
もちろん噂は聞き及んでいた。
お篠は本当は男なのではないか――初夜を過ごした翌日に必ず離縁されているため、そんな突飛な噂まで飛び出していたが、さすがにそれは有り得ないであろう。
女性として何か欠陥があるのではないか、という説が巷では有力であった。
もしそうだとしても、藤吾郎にとってはそれは些細なことだった。
お篠にどんな秘密があったとしても、愛せる自信はあった。
――そうして、お篠が藤吾郎の家へやって来た。
「よろしくお願い致します、旦那様……」
「あー、その、お篠さん……いや、お篠。そんなに改まらなくても、今まで通りに呼んでくれて構わないよ」
さすがに藤吾郎の方は敬語で話すことをやめていたが、『旦那様』という響きが彼にはあまりにもこそばゆかった。
「ありがとうございます、藤吾郎さん」
藤吾郎の差し向かいで正座をするお篠が身につけているのは、白い着物。
その傍らには、寝床が用意されている。
二人の間に沈黙が落ちた。
これからのことを、どう切り出せばいいかと藤吾郎は迷っていた。
と、ずっと俯いていたお篠が顔を上げ、懇願するように藤吾郎を見た。
「あの、藤吾郎さん……私、藤吾郎さんに離縁をされたくないのです。ですから……私と同衾しないでいただけませんか」
その形の良い唇から発された言葉に、藤吾郎は耳を疑った。
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