「外は気持ち良いし海もとっても綺麗なのに、甲板に出てみようという気にはならなかったの?」
「二等の客は浮きますからね。それに港町の生まれだから海は珍しいものでもない、昼寝でもしていた方がよほど有意義だ」
「お仕事でお疲れなのね。日本の骨董品を売買してらっしゃるんでしょう?素敵だわ」
「誰からそんなことをお聞きになったんだか、プライバシーも何もあったもんじゃないな。――で?できればそろそろ本題に入っていただけるとありがたいのですがね」
無遠慮に寝台に腰掛けた少女は、壁に背中を預けて立っている男を見上げた。
「ごめんなさい、父様からもお前は話が脱線するってよく呆れられるわ。そう、自己紹介がまだだったわね。私はマリー。マリー・ローウェル。18歳よ。貴方のことは何とお呼びすればいいかしら?」
「私は高遠 龍之介と申します」
「龍之介!ドラゴンね!かっこいいわ!」
「……そうですか」
「あっ、敬語は使わなくていいわ。だって私たち、駆け落ちするんですもの」
「……はあ?」
男――高遠は盛大に顔を歪めた。
先程『連れ込んでちょうだい』などとわけのわからないことを言ってはいたが、あまりに話が飛躍しすぎている。
すると、マリーと名乗った少女は、自分の足元に視線を落とし、呟いた。
「この船旅が終わったら、私はたぶん結婚させられるの。父様は何も言わないけど、私は知ってるわ」
そこでマリーはさっと顔を上げた。
「だからって誤解しないでちょうだいね?嫌なわけじゃないのよ。父様が私のためにしてくれることは、いつも間違っていないんだもの。父様が選んだ相手の方のこと、私はきっと好きになれると思う」
今しがた垣間見えた憂いの気配は既にそこにはなく、マリーは微笑みを浮かべていた。
父親への信頼が、その表情から窺い知れる。
「だけどね、最終的に間違っていないからと言って、お人形のように黙って従うのはやっぱりちょっとだけ悔しいわ」
マリーが子供のように頬をふくらませて言うことを、高遠は黙って聞いていた。
「父様は、私が日本に留学したいと言ったときも許してくれなかった。『何をしたいという強い意志もなく漠然とした興味だけで決めることじゃない』と言って」
今度は不満げに唇を噛む。
少女の表情は、くるくるとよく変わり、まるで百面相である。
「ほんとは私、結婚するよりももっと日本のことをいろいろ知りたいの。だって日本ってとっても素敵だわ!」
夢見る瞳に、憧れが滲む。
日本人である高遠は、マリーの言葉に頷くことも否定することもしなかった。
「今回の旅も私を結婚させる罪滅ぼしのつもりなのかもしれないけど、それなら日本に連れて行ってくれればいいのに」
給油のために停泊するのは支那の港で、確かに今回の船旅では日本の土を踏むことは不可能である。
「もちろん全部わがままだってわかっているわ。お友達はもうみんな、親の決めた相手の元へお嫁に行ってしまっているし、これだけ自由に育ててもらって、結婚したくないだなんて、言えないもの」
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