ハジャルが案内してくれた夜の宮殿は、まるで夢の世界だった。
『神の宮殿の中では地味な方だぞ』と言われたけれど、あたしには十分すぎるくらいに華やかだった。
真ん中にでっかい噴水が湧いている広間があったり(しかもその水は何故か星みたいにきらきらしていた)、四方の壁一面がびっしりと本で埋まった書庫があったり(高い所の本を取ってくるのは天使たちの役目らしい)、見たこともないくらい大きな時計がこちらを見下ろすように飾られていたり(近寄ると歯車の軋む音がした)。
華やかで、人がたくさんいて、賑やかだけれど、嫌味な派手さがないのは――ここが『夜の宮殿』だからだろうか。
「暗闇が隠してくれるからこそ本当の自分になれる。ここがそんな場所であればいいのだが」
ハジャルが穏やかに言った言葉は、あたしがずっと夜空を見上げながら感じていたことだったから、少しだけ驚いた。
「神様って心が読めるの?」
「まさか!何故だ?」
「ううん、なんでもない」
宮殿の中からわずかに垣間見た庭は、とても広かった。
ぽつりぽつりと、光の玉のようなものが浮いていて、微かに明るい。
広がる空は、もちろん果てしないほどに真っ暗だった。
「あと一月もすれば庭いっぱいの月見草が花を咲かせる」
ハジャルは微笑んだ。
「旅の者が植えていった珍しい花もたくさんあるから、またゆっくりと庭は案内しよう」
あたしは少しだけ、楽しみだ、と思った。
ハジャルの後に着いて広い廊下を歩いていると、女性の集団に出くわした。
「ハジャルさま、そちらが花嫁になる方?」
「まあ、かわいらしい」
「だけどこどもみたいな娘さんね」
「私たちの教えたこと、実践できる日はいつ来るのかしら」
女性たちは、ハジャルに纏わり付いてクスクスと笑った。
少し前に紹介された天使長たちと似たような優美な姿をしているけれど、彼女たちには翼がない。
「生まれ変わることをやめた天使たちだ」
あたしの頭上に浮かぶ疑問符に気付いたらしいハジャルが、巻き付く女性たちの腕を丁寧に外しながら言った。
「自らの意志で翼を折ったものは、永久に天界に留まる。生まれた時から天使だった天使長たちとも異なる存在だ」
「ハジャルさま、私たちの役目は終わりましたけど、私たちハジャルさまが大好きなの」
「だからもう少しだけここにいさせてね?」
「天使長たちも許してくれたのよ」
「もちろんもう『授業』はしないわ」
「ハジャルさまのご結婚をいっしょに祝福したいだけなのよ」
ひらひらと、まるで蝶が舞うように、女性たちは笑いながら廊下のむこうへ去って行った。
「ハジャル、役目って何?」
あたしが聞くと、ハジャルはぎくりと肩を竦めた。
「そ、それはだな」
「授業って、何かの先生なの?」
ハジャルは、あたしから目を逸らし、言いにくそうに口を開いた。
「……先生は、別にいるのだ。教育係のミトという老人が私にいろいろなことを教えてくれた。彼女たちはその、実地練習のためにミトが連れて来たのだ」
「実地練習?」
「つまりこの場合は……女性にどのように接すればいいのか、についてだ」
「え……」
それって、まさか。
「そなたと結婚してからどんなことをすればいいかという予行演習をしぎゃああああっ!!!」
あたしに足を踏み付けられたハジャルは、悲鳴を上げた。
「さいっっっっってい!!!!!!」
前言撤回だ。
花を見せてもらえる日が楽しみだなんて、そんなわけがない。
ちょっと、いい奴かもなんて思ったのは大間違いだった。
ちょっとしたことで一喜一憂する人間くさいところがかわいいなんて、全然勘違いだった。
こんな男となんて、絶っっっ対に結婚しないんだから――!!!
****
prev / next
(11/20)