はだけていた着物の胸元を合わせてやる。
「藤吾郎さん……?」
『おやおや?やめちまうのか?大丈夫なのか、こんなとこでやめちまって?ん?篠もがっかりして――』
衿を正すと、不意に妖怪の声が聞こえなくなった。
布に覆われてしまえば出て来られないようだ。つまり、お篠の着物を脱がさなければ無害、というわけだが――
「いや、そこが問題なんだろ……」
「え?」
お篠が困ったように首を傾げる。
そんな彼女を見て、藤吾郎はふっと笑った。
「この厄介な兄上のことは何か手立てを考えておく。離縁はしないし、妾も作らないから、お篠は何も心配しなくていい」
優しくお篠の髪を撫でると、藤吾郎は明かりを吹き消した。
そして、お篠とは別の布団に潜り込む。
「疲れただろう、お篠も今晩はゆっくり眠るといい」
お篠は、暗闇の中で小さく「はい」と返事をした。
****
翌朝。
朝餉を済ませ、藤吾郎とお篠は二人の部屋で寛いでいた。
『やっと意中のお篠さんと夫婦になれたんですから今日は水入らずでゆっくり過ごしてくださいよ!』と手代たちが満面の笑みで二人を無理矢理『休業』させたのだった。
ぽつりぽつりとしていた他愛もない話がついに途切れ、藤吾郎は躊躇いながら昨夜のことを話題にした。
「お篠が最初に嫁入りしたとき、アレは既におまえに憑いていたのか?」
「ええ、私の縁談が決まってしばらくして……」
お篠によると、縁談が決まった翌日、見知らぬ男が現れ、突然『一緒に逃げよう』と迫ったという。
もちろんお篠は断った。兄と生き別れた当時はまだ幼く、顔など覚えていなかった彼女は、どこの誰とも知れぬ相手の切羽詰まった懇願を不気味に思っただけであった。
「輿入れの日が迫ってきたある晩、納得していたとはいえ切なくて、私は一人泣いていました。そうしたら……『だから一緒に逃げようと言ったのに』と、男の声が、私の背中から聞こえたのです」
不可思議な声に従って合わせ鏡で背中を確かめると、そこには先日現れた男の顔があった。
あまりのことに腰を抜かし、悲鳴を上げることすらできなかったお篠に、男は自身のことを語ったという。
自分が生き別れの兄であること。
兄でありながら妹に邪な想いを抱いていたこと。
お篠の元へ現れた日、拒絶されてやけ酒をし、橋から転落してあっさりと死んだこと。
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