ご主人様が、私の世界のすべて。
ご主人様の愛が、生きる糧で、希望で、幸福。
だけどそれは、私のものではない。
ノワールという猫のもの。
本能が、ご主人様を――ユアン・クロフォードという男を、焦がれるように求める。
それは、飼い慣らされたせいなのか。
けれど、私が欲しいものは『ちがう』と、そう思えてくるのだ。
飼い馴らされるほどに、抗うような疼きが襲う。
それはつまり――
「愛して、ほしいの……」
もう愛されている?
そうではない。
私を私のまま、ご主人様の瞳に映してほしい。
私がご主人様を見つめているのと、同じように。
猫だと信じて私を買った。
そんな『酔狂』な男に、私は恋をしてしまったのだ。
何故、と聞かれても、答えはわからない。
だからいっそ、本物の猫になってしまいたい。
そうすれば、何も考えず、愛されるだけの生き物でいられるのに。
「ねえ、あんたはそれでいいのかい?」
不意に掛けられた声に、心を読まれたのかと振り返る。
そこにいたのは、めったに姿を見ることのない、家政婦だった。
「それで、って……?」
「人間としてすら、扱ってもらえていないことさ、ご主人様に。あんたがここに来た経緯は噂で聞いたよ。この屋敷にはご主人様と、三匹の猫と愛人がいる――周りはそう思っているようだけどね」
「愛人……」
「だけど、本当のところは愛人の方がどれだけましかわからない生活だろう?生きるためとはいえ、他の男に買われていればここまでの目には遭わなかった」
家政婦が、心配をしてくれているのだということは、表情から読み取れた。
たまにしか会うことはないが、使用人たちは皆、とても心が優しい。
「そんなことはないわ。人間でいるよりも、大事にしていただいているもの」
微笑むと、家政婦は苦い顔をした。
「詳しくは知らないが、ご主人様は昔、酷い裏切りに遭ったらしくて、人間がお嫌いなんだ。心を病んでいると言っていいかもしれない。だから確かに……あんたが猫なんかじゃない、人間だと知れば、今よりもっと酷いことになるかもしれないね」
「そう、なの……」
「あんたに他に行く当てがあれば、ご主人様に目を覚ますよう進言くらいするんだけどね……それもできないようだし」
「いいの。私、ご主人様のそばにいられたら、猫でもいいのよ」
言うと、彼女は「半分は嘘だね」と、苦笑して去っていった。
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