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「家訓があるから……だんなさまが私を殺させることはないって、わかってます」
千雪は、トキ兄から目を逸らして呟く。
「か、家訓は関係、……いや、まあな、俺はプロ中のプロだから依頼は完遂するに決まってる」
何でそこで素直にならないかなあ。それがトキ兄なんだけど。
「…………ビアンカさんと結ばれたければ、私と離婚してくれてもいいんですよ。私はだんなさまなんて大嫌いですし、だんなさまもビアンカさんみたいなセクシーな人とイチャイチャしたいでしょうから」
「なっ!?はぁっ!?」
千雪もらしさ全開だ。どう聞いてもやきもちにしか聞こえない。
それに馬鹿正直に動揺するトキ兄も、鈍いというか学習能力がないというか、素直じゃないというか――要はダサイよね。
「ふざけんなよ、クソガキ!離婚なんて情けねーことするわけないだろ!?お前に色気がないのは認めるし俺はセクシーな女がタイプだけどな!ビアンカは論外だろ!」
「っ!セクシーが好きなら論外でもビアンカさんでいいじゃないですか!大嫌いな私とも夫婦になれるんだからそれくらい簡単でしょ、馬鹿だんなさま!」
「おっ……まえ、ほんとにかわいくねーな!」
うんうん。
『タイプとかじゃなくて俺はお前が好きだから離婚したくないんだよ、他の女なんて眼中にないんだから』
って言ってるんだよね、トキ兄。
『私だってだんなさまが大好きだから離婚したくないけど、だんなさまがはっきり好きだって言ってくれないから不安なんです』
だよね、千雪。
ぼくはニコニコしながら二人の夫婦喧嘩を眺める。お菓子が半分になっちゃった。
わざわざ『セクシーな女がタイプ』って言わなくてもいいのに、トキ兄。
確かにトキ兄の部屋にあったエッチな本はセクシーな大人のおねえさんだったけどね。(何かのときに使えるかと思って証拠写真は撮影済だよ)
余談だけどイバラ兄は千雪みたいにちっこくて綺麗な女の子の写真をコレクションしている。(ガチ感が気持ち悪くて写真は撮らなかった)
二人のおバカなやりとりは楽しいけれど、『セクシーな女がタイプ』とかトキ兄がちょいちょい余計なこと言うから千雪が傷つくのはいただけないんだよね。
「あのさ、二人がいつまでもそんなだからあの変人たちにつけこまれるんだよ。あの二人の前ではラブラブしといた方がいいんじゃない?それで諦めるようなタマじゃないけどさ、トキ兄と千雪もちょっとは狙われない努力をするべきだよ」
ぼくはいかにも正論ぶって言った。ラブラブを見たいのと、千雪のために、だ。
「お前……また脚本とか言い出すんじゃ、」
「あれは母さんに止められたからもうしないよ。でもほら、お互い嘘でも『好き』とか言い合ってみたら?身を守るためならそのぐらい軽いでしょ?」
「ばっ!好きとか!無理……じゃねえ、そんなもんで身を守れるわけねーだろ!」
「そうですミオさん!好きでもないのに好きなんて言えません!」
「お前……」
今度はトキ兄がちょっと傷ついた顔をした。ぼくは千雪の味方だからトキ兄は庇わないけど。
「大丈夫だよ千雪、慣れだからさ。やってみよう?ぼくのことは好きだよね?」
「はい、ミオさんは大好きです」
「母さんは?」
「お義母さまも大好きです」
「父さんは?」
「お義父さまも大好きです」
「千雪のおじいちゃんは?」
「もちろん大好きです!」
「じゃあトキ兄も?」
「大…………きらいです」
「うーん!かわいい!」
そうなるとは思ってたよ、かわいいなあ、千雪は。年上とは思えないよね。
「何がしたいんだよお前らは……」
トキ兄はげんなりしている。期待してたくせに。
「まあいいよ、今日のところは。お菓子なくなっちゃったしぼくは母さんの家事を手伝ってくるね。千雪は安全のためにトキ兄とここにいてね」
ひとまず千雪のかわいさに満足したぼくは、二人を残して部屋を出た。
何か進展があるかな、とちょっとだけ期待してしばらくドアに張り付いて聞き耳をたてていたけれど、いつも通りの夫婦喧嘩が延々と繰り広げられているだけだった。
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二時間後、イバラ兄が「飽きちゃった〜」と戻ってきて、ビアンカの脅威はひとまず去った。
次にビアンカが千雪を狙う日も、イバラ兄がいるときだといいな。撃退しなくていいから楽だもん。
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