▼
「だんなさまなんか大嫌いですっっっ!」
「俺もお前なんか好きじゃねえって言ってんだろー!」
只今、千雪が絶賛狙われ中である。
千雪の祖父宅から帰る途中、不穏な目付きの集団に襲われたのだ。
確かに、日常茶飯事ではある。
あるけれど。
「逃げるのか喧嘩するのかイチャつくのか、どれかひとつにしてよね!?気が散るから!」
次々飛んでくるナイフを捌きながら、兄夫婦に叫ぶ。
トキ兄は千雪を護っているから、敵を撃退するのは僕の役目だ。
加賀美邸に戻れば千雪の安全は保証される。
無駄に殺しをやる必要はないから、僕たちはひとまず逃げ切るために走っているのだ。
「イチャついてねーよ!千雪を護るっていう任務を果たしてるだけだろ!」
「……イチャついてるってば」
トキ兄は千雪をお姫様だっこしながら、千雪はそんなトキ兄にひしと掴まりながら、犬も喰わない夫婦喧嘩をしている。
十人近い襲撃者達に一人で応戦しながら逃げる、というのはなかなか面倒だというのに。
こんなときくらいおとなしく逃げることに集中してほしいものだ。
「ミオさん、うるさくしてごめんなさい……」
察したらしい千雪がトキ兄の肩越しに顔を覗かせる。
「千雪はいいんだよ、トキ兄にいらっとしてるんだから」
「でも、」
「怖いでしょ?目つぶってトキ兄にしがみついてて」
「は、はい!」
トキ兄以外には素直な千雪は、ぼくの指示通りぎゅっと目を閉じて、トキ兄の胸に顔を埋めた。
掴まる腕にも力が入る。
「おっ、おおっ!?」
一方のトキ兄は、動揺して走るスピードが緩んだ。
トキ兄……千雪が絡んでないときの仕事ぶりはほんとに尊敬してるんだけどな。
「童貞じゃないんだからしっかりして!むしろぼくのお膳立てだからそれ!ここぞとばかりにいいとこ見せてくれない!?」
折よくというか、新たな襲撃者達が合流してきて、敵の数が倍になってしまった。
さすがにまだぼくの腕では対応しきれない。
(こちらから出向いて殺す分には問題ない人数なんだけど、と言い訳をしておく)
「しかたないか……千雪、絶対目開けるなよ?そんで絶対離すなよ?」
状況を把握したトキ兄は、ふっとクールダウンした。
スイッチが入ったトキ兄は、いつものバカみたいな騒がしさは消え失せてしまう。
この瞬間が、ぼくは好きだった。わりとずるいギャップだと思う。
「ここで殺すと面倒だ。後始末係一人残してあとは落とすぞ」
「わかってるよ」
言うが早いか、トキ兄は片手で千雪を抱え直すと、襲撃者達の方へ跳躍した。
空いた手で、次々と敵を気絶させていく。
素人が見れば『目にもとまらぬ速さ』と表現するんだろう。
情けないけど、ぼくが手を下したのは三分の一程度だった。
「……だんなさま、怪我は、」
周囲が静まったことに気づいた千雪が、恐る恐る顔を上げた。
「ねえよ。余計なもん見んな。ミオ、ずらかるぞ」
トキ兄は、千雪の頭を自分の肩に押しつける。
千雪に怪我人を見せたくないのだ。
千雪の前で極力殺しをしないのも、そのため。
――いつもこういうテイストなら、いろいろスムーズにいくんだろうけど。
それだと、まあ、つまんないか。
prev / next