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そんなわけで夜。
トキ兄が一仕事終えて帰って来たのは、夜も深まった頃だった。
長期の仕事で不在のイバラ兄以外は全員家にいて、父さんと母さんは寝室で仲良くオセロをしていた。
ぼくは、少し眠たかったけれど『ちーちゃんにやさしくしろ』と命令されたトキ兄がどうするのか興味津々だったから、こっそり兄夫婦の様子をのぞき見している。
千雪は居間でトキ兄の帰りを待っていた。基本的にいつもそうだ。『一応妻ですから』とすごく不服そうに言っていたことがある。
「お帰りなさい、だんなさま。ごはんにしますか?お風呂にしますか?」
「あー、メシは食ってきたから風呂入る」
「わかりました。あっためなおしてきますね」
さすがの二人も、これくらいの会話は喧嘩せずにできる。
千雪は変なところで素直というか『妻としての仕事』はちゃんとこなそうといつも努力しているから、トキ兄もそこに文句を言うことは一切なかった。
居間を後にしてお風呂場に向かおうとする千雪。
彼女がドアに手をかけたところで、
「あー、おい、待て」
ソファに腰掛けたトキ兄が何だかわざとらしく千雪を呼び止めた。
「千雪、ちょっと来い」
そして手招きをする。
「?何ですか?」
千雪は怪訝そうにトキ兄に近づいた。
おお、これはまさか!
ぼくがラブラブシチュエーションをお膳立てしてやらなきゃろくにデレることもできないヘタレなトキ兄が――自らデレるのか!
カーテンの陰で、ぼくはゴクリと生唾を飲み込んだ。
ついに決定的瞬間が二人に訪れる、かもしれない……!
「ボスの命令だからな、やさしくしてやる」
出た、ツンデレの常套手段!
誰かに言われたからやさしくしてやるぞパターン!
やさしくするって何をするんだ!?ぼくは母さんが見ているいろんな恋愛ドラマのシチュエーションを思い浮かべた。
「だ、だんなさま……?」
千雪は戸惑う瞳でトキ兄を見上げている。
いつもの喧嘩腰はなりを潜め、二人の間にどことなく甘い雰囲気が漂いはじめた。
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