▼ 藍色
「海老原、この子、養女にしたから」
着物を身に纏った幼い少女は、睨みつけるように俺を見上げていた。
そして、
「しばらくは、この子しか描かないよ」
少女の手を握り、深水は言った。
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深水 東(ふかみ あずま)。
画家。29歳。
年齢のわりにたくさんの作品を次々に生み出し、その絵に魅せられた者も少なくない。
人物画――それも、『女』になる前の『少女』を題材とした作品が主であり、それらが高い評価と人気を得ている。
公の場に姿を見せることはなく、それゆえいらぬ噂も多々ある。彼の描く題材も理由のひとつだろう。
少女をモデルと称して自宅へ連れ込みよからぬことをしているのでは、などという、実にくだらないものであるが。
――なぜ『くだらない』と言えるのか。
それは俺が、事実無根だと知っているからだ。
なぜ知っているのかといえば、俺の仕事は深水のマネジメントだから、である。
海老原 竜樹(えびはら たつき)。
しつこい名前だとよく言われる。名付けた親に責任があるのだから、本人に言われてもどうしようもない。
海老に竜、というしつこい名前を付けたのは父親だ。
その父親は、気に入った芸術家に資金援助をする――いわゆるパトロンとして、もて余した財産を彼らにつぎ込んでいた。
しかしある時、何を思ったかそれを『金儲け』の手段に転換した。
芸術家のマネジメントを行う会社を設立したのだ。
父親が信頼する数人で構成される、ごく小さな会社。
そこに、俺も就職した。
父親は、『お前ならきっとこの男に惚れ込むだろう』と、俺を深水の担当に指名した。五年前のことである。
ふたつ年上の画家、深水は、一見ただのぼんやりした優男だった。
いや、絵を描く姿も同様だ。楽しんでいるのか、苦しんでいるのか、まったくわからない。ひたすらぼんやりと描く。
だが、出来上がった作品は――神掛かっていた。
モデルとなった少女は、ただの『魅力的な少女』でしかない。客観視できる存在だ。
だが、深水の筆が生み出した『少女』に、俺は何度も、恋をしそうになった。
一枚の絵に。大の男が。
こんなものを描く深水という男から、目が離せなくなった。
そうして、俺の生活は、一変した。
俺の主な仕事は、深水の作品を『金にする』こと。売買や、個展の企画、その他の宣伝活動などである。
だが、それだけではない。
俺は、深水の広い屋敷に部屋を借り、この画家を『管理』している。――こちらの方が重要な仕事だと言ってもいい。
食事や洗濯、掃除など、家政婦のようなこともやる。頼まれた画材の買い出しも。
『モデルの調達』も俺に一任されていた。
深水がモデルを必要とする期間は、約一ヶ月。そこから仕上げにさらにひと月かけて、作品が完成することが多い。かなり早い方だろう。
だからモデルの少女には、ひと月の間、深水邸に滞在してもらわなければならない。
学校になど行っている暇は与えられない。代わりに夜の数時間、優秀な家庭教師をつけることで、勉学の遅れを補わせた。
娘を貸し出して金を貰いたい、という親はある程度の割合で存在する。
しかしその中でも、ひと月まるまる、男の屋敷に隔離されることに抵抗を示す親は多い。
だが、深水の目に留まりそうな少女を見つけて、こちらも手ぶらで帰るわけにはいかない。
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