▼ 天使の鳥籠
『天使の歌声』――そんな陳腐な言葉しか、浮かばなかった。
国中の、他の人間たちと同じように。
初めてあの女の歌声を聴いた時、俺はただ、情けなくその場に跨いたのだ。
天使の歌声。
神に愛された生き物の、声だった。
****
先日、金で買った女の名は、セーラ。
正確には、俺が買ったのは彼女の『声』だ。
国中を虜にした『歌姫』を買うのに、三年の歳月を費やした。
欲しい物のほとんどは、稼いだ金で手に入れてきた。
広すぎる屋敷も、趣味のいい調度品も、身に纏う衣服も――ありとあらゆるものを。そして、かつては幾人かの恋人までも。
だが、『歌姫の声』だけは、手に入らなかった。
彼女の父親が、頑として応じなかったからだ。俺の他にも、天使の歌声を自分だけのものにしたいと願う者はたくさんいたようだが、どれほどの大金を積まれても、父親は娘を手放さなかった。
聴衆の前で一回歌って手に入る金は、たかが知れている。金が欲しいなら娘を成金にくれてやった方がよほど――しかし父親には、父娘二人で慎ましく暮らせるだけの小金があれば十分だったらしい。
その父親が死んだのが、一月前。
新たな後見人は、父親より余程、話が通じる男だった。
ありったけの金をつぎ込んで、ようやく手に入れた『歌姫』は――――
声を失っていた。
【私は貴方の為には歌えません】
小さなノートにさらさらとペンを滑らせ、彼女はそれを俺に見せた。
まるで生気のない顔で。
金の髪、碧い瞳。透けそうに白い肌。華奢だがやわらかそうな身体。――美しさのかたまりのようなこの女は、しかし、抜け殻のようだった。
笑わない、泣かない、表情を変えない。そして、声がない。
「ふざけるなよ。俺が金を払ったのはお前の声を買うためだ。歌わないお前に何の価値があるっていうんだ?」
【でしたらお金をお返しするように伯父に申し上げますから、私をここから出してください】
「他の奴のところに行って『声が出るようになりました』なんてことになるくらいならここに閉じ込めておくさ」
【意味のないことを】
「それを決めるのはお前じゃない。だいたいお前が歌えば全ては解決するんだ」
軽く肩を押しただけで、セーラは床に尻餅をついた。顔をしかめもしないままに。
そして、俺をじっと見上げたまま、何も言わない。
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