短編そのた | ナノ


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雨で真っ暗な夕方だった。


講義を終えた俺がアパートに戻ると、駐車場に宮下が立っていた。

宮下はいつも車で清香とアパートへやって来るのだ。


「雅史くん」


俺に気付いた宮下が、こちらに近づいてくる。

何のつもりだ。まさか盗み聞きがばれたのか、とヒヤリとする。

俺を待っていた様子だったからだ。



「明日きよちゃんはここを出ていくよ」



宮下の言葉は、思いがけないものだった。


「僕のマンションで一緒に暮らすことにしたんだ」


「……なんでそれを俺に」

「ご両親に反対されているらしくてね。直接ご挨拶に伺ってご理解いただこうと思っていたんだけど、きよちゃんがすでにアパートを解約していたんだ。もちろん後日改めて伺うつもりだけど」

「……清香のおばちゃんを説得しろと?」


物腰はやわらかいが、腹黒そうにしか見えない。

宮下への不信感は更に増した。


「そういうわけじゃないんだけどね。きよちゃん、君に引越しのことを話していないみたいだし、いきなりいなくなったら驚くだろうと思って」

「……まあ、そうなってたらおばちゃんたちには『あんな男とは別れさせた方がいい』って言ってたでしょうね」

「それは正直、困るからね。僕はきよちゃんとの結婚を考えているし」

「……随分と気の早いことで」


動揺を悟られないよう、吐き捨てるように呟く。


だが、微笑みを絶やさない宮下が発した次の言葉に、俺は耳を疑った。


「きよちゃんは今、部屋にいるよ。僕は今から帰って今夜はここに戻らないから、部屋に行ってきよちゃんを好きなようにしたらいい」



頭に血が昇った。

初めて、他人に本気で殴りかかった。



宮下は、傘を持っていない方の手で、事も無げに拳を払う。



「っ、ふざけるな!自分が何言ってるかわかってんのか!?」

肩で息をしながら、叫ぶ。

他人に怒鳴ったのも、初めてだった。


「最低だ、あんた」


宮下は表情を変えなかった。


「お前なんかに清香はやれない」


決意を込めて、静かに宣言する。


「清香をモノみたいに扱うような……そんな奴には、」

言いかけた言葉は、遮られた。


「部外者に僕たちのことを語ってほしくないね」



顔を上げると、嫌悪感を露にした宮下に見下ろされていた。

その眼差しの冷悧さに――怯む。


「僕たちには僕たちの関係があるんだよ。それは僕たちにしかわからない」

「……そんなの、」

「君にどんな風に映っていても、僕たちは必要とし合っているし愛し合っている。愛し合う、なんて言葉は陳腐だけどね」


清香が騙されている、と、もう思えなかった。

短い言葉に、真実を感じ取ってしまった。

それは、敗北を認めることに他ならなかった。


――いや、『敗北』などと表現している時点で、次元が違っていたのだ。


「モノみたいに扱う、なんてとんでもない話だね。君には推し量ることができなくても、これが僕たちの関係だよ」


『幼なじみ』『初恋の相手』――型にはまった関係性。その呼び名に安心しきっていた自分を、嘲笑われた気がした。



そして、その想像を裏付けるように、宮下は口の端を微かに上げて、言った。


「それにどうせ、そんな綺麗事を言いながら、君は清香を抱くだろう?」


返答が、僅かに遅れた。


「……そんなことっ、」

「弁解はいい」

「…………」


「心配しなくていいよ」


宮下は、初めの微笑みを取り戻し、毎晩清香を酔わせていたその声色で、囁いた。


「清香もそれを望んでいる」


「なんで、……」


立ち尽くす俺を一瞥すると、宮下は踵を返した。



「それでも、清香と僕は間違いなく愛し合っているし、これからもそれは変わらないよ」



バン、と車のドアが閉まる音。



宮下の言うことは、――清香の心も、なにひとつわからなかった。

理解することができなかった。

混乱していた。




それでも結局、俺は202号室の前に立っていた。


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