短編そのた | ナノ


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遠嶋 千種を描いた二枚目の絵が完成した翌日。

深水はソファに寝転がり、だらだらと過ごしていた。

本を読んだり、眠ったり。


モデルの少女は家庭教師とともに自室に籠っている。



「次あたり違う娘を描きたくならないか?」

パソコンで仕事を片付けながら、何気ないトーンで深水に問うた。


「ごめん、ならないな」

即答だった。


「作品の出来は申し分ないから問題ない。飽きないのかと思っただけだ」

「海老原には悪いと思ってるよ、でも、飽きない。なんでだろう」

「何故かは知らないが……俺に悪いと思う必要はないはずだが?」

「だって、今の状態は嫌だろう?海老原は」

「……俺の個人的な感情は関係ない。これは仕事だ」

「仕事じゃないだろう?海老原にとって僕のことは」


ふっと笑った深水に何も答えずにいると、背後で起き上がる気配がした。


「そんな海老原がもっと嫌がりそうなお願いがあるんだけど、いいかな?」


「いいも悪いもない。俺はお前の希望を叶える義務があるんだ。『いいかな?』なんてまわりくどい言い方はやめろ」

「義務はないよ。僕がおかしなことを言い出したら止めるくらいじゃないと」


まあいいか、と呟いて、深水は切り出した。

「次からは、これまでのペースで作品が完成しないと思うんだ」

「……まさかスランプ、」

「違うよ」

焦って振り返ると、深水は首を振った。


「今まで手を抜いていたわけじゃない。でも、もっと丁寧に、深くまで、大事に、描けると思うんだ――千種なら」


「……それは、今まで以上の作品が完成するということか?」

「ああ。保証するよ」

「どれくらいかかる?」

「一枚描くのに……一年くらいかな。急がないと千種はどんどん大人になっていくから、それくらいでないと『その次』が描けないだろうし」

「そんなに目くじらをたてるような遅さじゃないな。好きなようにしたらいい」


『その次』の構想も浮かんでいるということか。今以上の作品が、少なくともふたつ。――待たされて損をすることはないだろう。

『千種なら』そんな風に描ける、というところがどうしても気になったが――『執着』は吉と出た、ということだろうか。客観的に見れば。


元々、筆が速く次々に新しい作品を生み出すところも深水の『売り』のひとつだった。

そんな画家が『初めて時間を掛けて描いた、運命の少女』。

陳腐な言い回しだが、見るものの興味をひく変化だろう。

『だから、しばらく深水 東は作品を発表しないのだ』――そう言って、ファンを待たせておけばいい。

それをする気にはなれなかったが。


「ありがとう、海老原」

「首を長くして、完成を待つさ」

「はは、いや、居眠りでもしながら待っててくれたらいいよ」



遠嶋 千種は13歳になっていた。



****



『千種、どうして黙ってるんだ?』

『……だって、この絵は今までとちがうんでしょう?今までよりもっと、東先生にとって大事な絵なんでしょう?』

『完成してしまえば執着はないから大事、といえるかはわからないけど、まあそうだね』

『だから、集中しないと』

『って、海老原に言われた?』

『言われはしたけど、あんな人に言われなくたって私もそう思っていました』


例によって、アトリエを『監視』していると、自分の名前が出た。

確かに、そのやりとりは先日した。言われなくたってわかる、と少女は俺を睨み付けた。


今、遠嶋 千種は、深水の真横に置かれた椅子に、膝を抱えて座っている。白いワンピースを着て。

顔は深水の方に向けるよう指示されているから、少しきつい体勢だろうが、少女は気にもしていない。

絵を描くたびにモデルと画家の距離が小さくなっている気がする。今は、手を伸ばせばいつでも触れられる近さだ。



少女の言葉に、深水はくすくすと笑った。

『千種はほんとに海老原が嫌いだね。でも、僕は千種の声を聞いてる方が、集中できるんだ』

『そんなこと、あるの?』


『千種は特別。――なんでもいいよ、僕に、何か言って?』


『ん……と、じゃあ……私、東先生が好き』

『ありがとう』

『東先生とお別れしても、ずっと好き』

『……ありがとう』

『東先生以外のひとを、好きにならない』

『千種』

『はい?』

『千種はほんとに、いい子だね』

『……うん』


このやりとりの、意味がわからなかった。

だが二人は、同じように微笑んでいた。

いつものことだが、不快だった。



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