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「ね、海老原、人生は長いんだからさ。たまにはこんなこともあるよ」
今回のことを『気まぐれ』かのように表現する深水。
その深水に手懐けられた少女は、自分への好意を『気まぐれ』と言われたにも関わらず、画家の肩を持つように何度も頷いている。
黙ってそうしていると、健気な子供にしか見えない。年齢より幼く見えるせいもある。
「子どもの成長は早い。ほんの数年のことだから」
「……それで最高の作品がいくつも出来るというのなら、俺に止める権利はないさ」
「ありがとう、海老原。きみをがっかりさせることは絶対にないよ」
もちろん、深水が描きたいものを描かせることが最良だと思っている。
だが、深水が、何かひとつのものに執着するのは、果たして良いことなのだろうか。
俺の直感が『それは危険だ』と訴えていたから、これまで深水を俺以外とは深く関わらせないようにしてきたのだ。
まして、遠嶋 千種は俺の預かり知らぬところからわいて出た『異分子』である。
この子供をモデルに、深水は素晴らしい絵を描くだろう。これまでよりも。
だが、その先に待っているものに――それが何かもわからないまま、俺は不安を感じていた。
「それなら、数年後に用済みになったこの娘は、俺が責任をもって引きとり手を世話しよう」
「……ありがとうございます、海老原さん」
少女の感謝は、棒読みだった。
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遠嶋 千種のことを知らなければならない。
出生や経歴はどうでもいい。深水についてきた時点でリセットされていることだ。
深水にとっての遠嶋、遠嶋にとっての深水。それが何を内包しているのかを知りたいのだ。
アトリエに、カメラを設置した。
深水には気づかれないように。気づかれて、作品に影響してはいけないからだ。
リアルタイムで、映像を確認する。盗聴器だけの頃と、そこは変わらない。
『東先生、好きな色はありますか?』
『そうだな、藍色が好きかな』
『私の着物みたいな色?』
『そうだね。千種によく似合ってる。ご両親にはわかっていたんだろうね』
『……この着物といっしょに、私を捨てたのに?』
『千種に似合う色を選びながら、千種を捨てることを考える。人間はそんなことが簡単にできる生き物なんだよ』
『東先生もできる?』
『できるよ。千種だってできるようになる』
『……東先生は、きれいなこと言わないから、好き』
『嬉しいね』
『だけど東先生は、とってもきれいなかんじがする。だから好き』
『そんなこと初めて言われたよ』
少し驚いた。
いつも深水は無言で絵を描く。
だから、モデルの娘たちにはあらかじめ『深水に話し掛けないように』と注意していた。
だが、この娘とは、会話をしている。
そうしながらも、筆の動きはいつもと変わらない。――もっとも、これまでは盗聴器のみだったため実際の筆の動きを見ていたわけではないが、平均的な深水のペース、というものは当然把握していた。
創作に支障を来していないのならば、この会話を疎ましく思う理由はない。俺個人の感情を除いて。
一方、娘の方は、俺と対峙していたときとはまったく違っていた。
相変わらず表情は乏しいが、喜怒哀楽が非常にわかりやすい。
俺が向けられたのはそのうち『怒』の感情だけだったが。他には嫌悪、不快、苛立ち、軽蔑――そういうものはひしひしと伝わってきた。
深水が俺を悪く言うとは考えにくい。顔を合わせた瞬間からあんな風だったのは、本能的な敵意のためだろう。
もちろんそれはお互い様だった。
しかし、自分を拾ってくれた『東先生』には、阿呆のようになついている。
どうやら、死別ではなく両親に捨てられたらしい。深水に父親でも重ねているのだろうか。
鬱陶しい限りだが、深水はそんな視線を向けられて満足そうにしている。
『今日はここまでにしよう』
『はい。東先生、じょうずに描けた?』
『ああ、千種のおかげでね』
深水は少女の頭を撫でた。
少女は少しくすぐったそうに、はにかむ。
不可解なものばかり見せられて――不愉快だった。
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