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「名前は」
「遠嶋 千種(とおしま ちぐさ)」
「歳は」
「12歳」
「……もっと幼く見えるな。なぜ深水についてきた」
「東先生が、来てって言ったから」
「……バカガキが」
『散歩』から深水が持ち帰ったのは、小柄な黒髪の少女。
将来は美しく育つだろう。深水が気に入ったのも頷ける。
だが『養女にした』?
『しばらくこの子しか描かない』?
俺の『管理』の埒外にいるこの子供に、思わず舌打ちをした。
知り合ったばかりの子供が深水を『東先生』などと馴れ馴れしく呼んでいることも、こちらに不快と嫌悪が剥き出しの眼差しを向けてくることも、俺を苛立たせた。
「海老原、僕から説明するよ。玄関じゃ寒いから、奥でお茶でも飲みながら話そう」
「その茶を淹れるのは俺だがな」
「いつも助かっているよ」
おいで、と深水に手を引かれた少女は、乏しい表情ながら嬉しそうに画家を見上げた。
好き嫌いがあまりにもわかりやすい。深水はどうやってこの子供を手懐けたのだろう。
「孤児院の前を通ってね」
濃い緑茶を一口飲んで、深水は話し始めた。
遠嶋とかいう娘にも同じものを出してやると、僅かに舌をつけて渋い顔になった。
「なんとなく庭を覗いたら、この子がベンチに横たわって眠っていたんだ」
起きるまでベンチの空いたところに座って待っていたんだ、と深水は言ったが、不法侵入だろう。
気づかなかった孤児院の防犯体制に疑問を抱かざるを得ない。
「理由はないけど、気になってね。この子が目を覚ましたら、どんな顔をしているんだろうって」
「で、起きたら案の定気に入ったわけか」
「そうだね。びっくりしたよ、今までこんなに『描きたい』と思ったモデルはいなかったから」
「……」
自分が無能と言われている気がした。だが、深水が言いたいのは『遠嶋 千種が特別だった』ということだろう。
「きみを描いていいかい?って聞いたんだ。起きたばかりのこの子に。そうしたら、なんで?って訊かれた」
「何と答えたんだ」
「僕は、好きなものを絵の中に閉じ込めたいと思うからだよ、って」
「それで、このガキは何と、」
「あなたに言う必要がある?」
俺の言葉を遮り、少女が挑むように言った。
「ないな。一応聞いておこうと思っただけで別段興味はない」
「ならいいけど」
可愛くない子供だ。容姿はいいが、口を開けば俺の気分を悪くすることしか言わない。
「千種がそう言うならこのあたりのことは省こう。簡単に言えば、僕たちは互いに自己紹介をして、千種を養女にすることを決めたんだ」
俺は後悔した。その経緯こそ聞いておくべきだった。だが、やはり話せと言っても生意気な少女につっぱねられるだけだろう。
「いつものようにひと月借りるんじゃ駄目だったのか」
「うん。この子が『女』になるまでを、その変化を、絵に閉じ込めていきたいと思ったから。不特定多数の『少女』という生き物ではなくて、目の前のこの子が描きたい、と思ったから」
「…………で、何故俺にすぐ連絡を寄越さなかった。養女にしたといっても、手続きが必要だろう」
「うん、だから海老原社長に電話したよ」
「……親父だって?」
思わず声が大きくなる。
担当する画家が、自分ではなく会社のトップに連絡を取る。それは俺が画家と信頼関係を築けていないことを露呈するようなものだ。
そして、俺の父親――いや、社長はそんな部下に容赦がない。背筋が寒くなった。
だが、
「面白がって手続きは全部やってくれたよ。孤児院の人の説得も。竜樹はそりゃ反対するだろうからな、俺に掛けてきたのは正解だった、って笑ってた」
「それはそうだな」
なるほど、『そっち』に転んだか、とある意味安堵したが、ある意味ではなおさら頭が痛い。
父親は、順調なものごとに波風を立てるのが趣味なのだ。それは、波風を立てても会社が損をすることがない――つまり俺と深水を信頼している証拠でもあるが、こちらにとっては迷惑でしかない。
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