短編そのた | ナノ


▼ 

と、セーラがいつもの寝台から立ち上がり、こちらに歩み寄った。


【もうひとつ、きいてもいいですか】


「何だ」

たまにはくだらない会話に付き合ってやってもいい。そう思った。

彼女から話し掛けてくることなどめったにないし、何がきっかけで声が出るようになるかもわからない。


セーラは、流れるようにペンを動かし、問い掛けを記したノートをこちらに見せた。


【なぜ、私の声が欲しいのですか?】


国中のありとあらゆる人間を魅了した歌姫だ。欲しがる者はごまんといる。俺だけではない。

奪われるのを恐れて極秘で買い上げたくらいだ。


だが、彼女の疑問はそういうことではないのだろう。



俺は、天井のシャンデリアを見つめ、『あの瞬間』のことを、静かに思い返した。



「初めてお前の声を聴いたとき、絶望、とはこういうものなのかもしれない、と感じたからだ」


何の含みも裏もなく、ただ、記憶をそのまま、言葉にした。


【絶望?】


セーラは、意味を噛み締めるように、しかし不可解だと訝しむように、ゆっくりと、それを文字にした。


そんな彼女を、俺は見つめる。


「俺は絶望なんてしたことがないからよくわからない。ましてお前の声は『天使の歌声』とやらで、絶望とは程遠いはずだ。――だが、俺は確かにあの時、そう思った」


確かに『天使の歌声』だった。

そうとしか表現できなかった。

だが。


「何故かは知らない。だからもう一度、聴きたいと願った。永遠に聴いていたいと渇望した」


掛値なしの本音だった。

利害などそこにはなく、ただ、俺自身の欲望のままに、彼女を買ったのだ。



【貴方は絶望したいの?】


そう尋ねた彼女は、酷く歪んだ顔をしていた。



「…………」


まるで、痛みを感じているような。


ああ、この女でも、『痛み』は痛いのか。


――不意に、それを確かめたくなった。



腕をのばし、彼女の細い手首を強く掴んだ。

そして、骨が軋むほどに、握る。


「……っ」


声を出さずに、彼女は息を乱した。


その吐息だけで――この身体は、ぞくりと震えた。




****




prev / next
(5/14)

bookmark/back/top




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -