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三ヶ月経っても、セーラは歌わなかった。
もちろん、喋ることもない。
歌えと要求する俺と、筆談でそれを拒むセーラ。
不毛なやりとりは毎日のように繰り返された。
彼女の食事は、この屋敷でただ一人の使用人が世話をしている。
彼女が食事をするところを見たことがないせいか、本当にあれは人形なのではないかと錯覚することがたびたびあった。
愛する者の為にしか歌えない、と言った女。
彼女を愛しているかのように振る舞えば、ころりと騙されて俺を愛しはしないだろうか。
そんなことを考えた日もあったが、彼女の声以外には価値がないと、既に当人にはっきり伝えてしまっている。
あれは失敗だった。
仕事ならばもう少しうまくやっただろうに。相手の懐に入り込み、内側から切り崩すのは、得意なのだ。
だが、それができない今、俺にできるのは、ひたすらに要求することだけだ。
「俺の為に歌えば、声だけじゃなくお前自身を愛してやると言ったら、どうだ」
今日は、交換条件を出してみることにした。
的外れな『条件』であることはわかってはいたが、案の定。
【貴方に愛されたいと願ったことはありませんが】
セーラは表情を変えずにそう答えた。
もちろん文字で。
「だが、父親には愛されていたのだろう?代わりが欲しくはないか」
そう、俺は『俺』にではなく『父親の代わり』に、『誰か』に愛されたくはないかと言ったのだ。
天涯孤独の身で軟禁状態にある彼女が愛される機会など、今はない。
すると、セーラはペンを動かした。
【愛されて】
そこで、筆を止める。
二秒の間があってから、
【いました】
「何故躊躇った?」
豪奢な寝台に腰を下ろし、床に視線を落とした彼女に、俺は問うた。
【そんなことを言われたのは初めてだったので】
彼女の返答に眉を潜める。
「どう考えても愛されていたんじゃないか?」
【父は私を『所有物』で『金づる』だと、公言していましたから】
あの父親がそんなことを言っていたというのは意外だった。
数回しか会話をしたことはないが、そのような印象はない。まあ父娘の間にもいろいろあったのだろう。
だが、『所有物』はともかく『金づる』という程のことを、父親は彼女にさせていない。
父親がどんな人物か詳しくは知らないが、そんなことを言われていてもセーラは『愛していた』と断言したのだ。
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