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「……」
「かずまさま?」
「……いい加減にしろよ」
「え?」
きょとんとする妻の両手首を掴んで動きを封じる。
「襲われたいのか」
「おそ……え?」
さすがに、酔っ払いの彼女の目にも戸惑いが浮かんだ。
別人のようだが、やはり間違いなく俺の妻だ。少しだけ安心する。
「か、かずまさま、いやなことはしないっていいました」
妻は困ったように、俯いた。
「嫌なのか」
いつものペースを取り戻したくて、わざとからかうように尋ねる。
すると、彼女はふるふると首を振った。
そして再び、まっすぐにこちらを見つめる。
「いやじゃないです。だって、かずまさま、なまえよんでくれるし、やさしくしてくれるし、さいごにぎゅってしてくれ、」
「――もういい、わかった。黙れ」
とんでもないことを言う妻の言葉を、乱暴に遮る。
限界だった。
いや、とっくに限界だったのだが、今度こそ本当に、限界だった。
相手が正気ではないとわかっているのに、衝動をぶつけるように唇を重ねる。
「……んっ」
少し苦しそうな声を漏らす妻に、俺の理性は完全に奪い去られてしまった。
「散々煽りやがって。覚悟はできてるんだろうな?」
「かく、ご……」
「どうなっても知らないからな」
掴んでいた両手は離さないまま、妻をソファに押し倒す。
「優しくなんて、してやるか」
名前は呼ぶかもしれないが。
抱きしめるかも、しれないが。
優しくなんてする余裕などあるわけがない。こんな状況で。
――どう考えてもこいつが悪い。
原因が酒だろうが、こいつが悪い。
俺は、何もかもどうでもよくなって、彼女のドレスの胸元に、手を掛けた。
その瞬間。
「カズマー、やっぱりリンさんにもう一口飲ませてみたら――――あ、ごめん」
「……!!!!」
顔を上げると、片手で目を覆ったその指の間から、こちらを見ている父が立っていた。
もう片方の手には酒の入ったグラス。
「いいよいいよ、続けて」
「…………」
よりによって父親に見られるとは。
誰かこの場にいる全員の記憶を消してくれ。
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