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しかし。
「……や」
「……何」
「やです!」
小さく叫んだ妻は、体当たりするように俺に抱き着いた。
「こぼれる!やめろ!」
「……っ」
「待て、泣くな。やめなくていい。悪かった」
水をこぼさないように細心の注意を払いながら、こちらにへばりつく彼女の背中を片手で撫でる。
俺は今、とんでもなく間抜けな格好をしているに違いない。
「あの、殿下……?私、お邪魔のようですから失礼致しますわね……?」
マリカは、しまいには苦笑しながら部屋から出て行ってしまった。
明日には王宮中に俺の間抜けな姿が広まるのだろう。さすがにもう慣れてきた。
しがみついたままの妻に、もう一度グラスを近づけてみる。
「飲まないのか」
「かずまさまがだっこしてくれたらのみます」
「……だ、」
妻はにこにこと無垢な笑顔を浮かべている。
そして彼女の口から発された単語の破壊力は、尋常ではない。
これを無視できる男がいるなら、俺はそいつに王位継承権を譲ってもいい。
俺は、グラスを一旦テーブルに置いた。
そして、彼女の身体を抱え、膝の上に座らせる。
真正面から向かい合う形になって、ますます落ち着かなくなった。
「……これでいいのか」
「はい!」
いつもは、こんな体勢になったら目を逸らすか泣きそうな顔をするかなのに、子供のように嬉しそうに、彼女は笑った。
そして。
「かずまさま、いつもよりしんぞう、どきどきしてます。だいじょうぶですか?」
そんなことを言いながら、俺の胸に触れる彼女。
「……」
「ねつは、ないですね。よかった」
続いて額にも手を当てる。
「……」
「ほっぺたはあったかいです」
その手を頬に滑らせる。
「……」
「でもやっぱり、しんぞう、どきどきしてます」
最後にもう一度、胸に手を当てた。
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