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「早瀬殿下、お妃様は自室でくつろいでいらっしゃるそうですよ」
「そうか、ありがとう」
俺は早瀬。この国の王子だ。
政治手腕は完璧、魔法も自由自在、ただし性格が少々ヘタレ気味――そんな評判がたっている。
俺は約1年前、北の国の姫君・日夏と結婚した。
王族の結婚は国のため。いわば政略結婚というやつだ。
だが俺は、そんなこと、思ったこともなかった。
忍びで出向いたあの国で、日夏に一目惚れしてからずっと、彼女と結婚したいと思っていたのだ。
――この話、なんだかどこかで聞いたことがあるような気がするけど、気のせいかな。
とにかく、俺は日夏のことが大好きだから、結婚できて幸せでしかたがない。
だけど日夏は、そんなことは全く知らないのだった。
母である女王陛下に、日夏と寝室を同じにしたいと持ち掛けたところ「へんたい」と一蹴された。
初夜に気持ちを打ち明けるつもりだった俺は、その機会を失ってしまった。
だから俺は、いまだ日夏に自分の気持ちを伝えられないまま、宙ぶらりんの『形だけ夫婦』状態にあまんじている。
しかし、そんな状況を打破すべく、俺はひとつの計画を立てた。
妻の部屋をノックする。
「はい、どうぞ」
扉を開けると、日夏が黒い犬とたわむれていた。……犬、じゃまだな。
「早瀬さま。どうなさったんですか?めずらしいですね」
「あー、えっと、その、ちょっと言いたいことがあって」
日夏は首を傾げる。
普段は当たり障りのない会話しかしていないから、改まった俺を不思議に思っているのだろう。
「その、もうすぐ結婚して一年だし、新婚旅行とか、行かないか?」
勇気を振り絞った言葉に、日夏はますます首を傾げた。
「……新婚旅行って、一年後に行くものなんですか?」
しまった…!緊張しすぎて言葉足らずだった……!
「い、いや。ずっと忙しくて新婚旅行も行けなかったから、その、せっかく一年経つわけだし、記念に…」
俺はやっぱりうまく伝えられなかった。
つまり俺は日夏と旅行に行きたいだけなんだ。邪魔者がいない場所で、日夏にちゃんと気持ちを言いたくて。
「早瀬さま、気をつかわないでください」
日夏の返答に俺は目を見開いた。
「気をつかう!?えっ!?なんでそんな、」
「政略結婚なのに、早瀬さまはじゅうぶんすぎるくらいわたしに優しくしてくれてます。だから、そんなことにまで気をつかわないでください。わたし、今のままでも幸せですよ?」
『今のままでも幸せ』――その言葉ににやけかけて、ハッとする。
違うんだ。優しさとか気遣いとかじゃなくて、俺はただ、日夏が好きだから…
だけどそんなことはとても言えなかった。
「あ、いや。俺もせっかくだから息抜きしたいなーなんて思ってて」
嘘八百だ。
が、日夏は納得したらしい。
「ああ、そうですよね!ごめんなさい、気がきかなくてっ…!新婚旅行っていう名目なら、堂々と息抜きできますね。――じゃあ早瀬さま、新婚旅行、わたし行きたいです」
日夏はそう言って、やわらかく微笑んだ。
違うんだ、とは結局言えないまま、一年ごしの新婚旅行が、幕を開けた。
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(8/14)