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危ない、これで名前を呼ばれていたらまずかったぞ、と内心焦りながら、俺は必死で笑顔を作った。
「いえ!そんな殿下をみんな尊敬してますから!」
これは正真正銘、本当のことだった。
なんかもう恋に近いよな、なんて友人とふざけて話したこともある。
どんなに厳しくしごかれようと、お妃様に話しかけて剣を向けられようと、『馬鹿か』と冷たくあしらわれようと、――みんなカズマ殿下が大好きなのだった。
なんだかもうそれは、生まれつき遺伝子に刻まれていたことのようで、無条件の敬愛みたいなものなのだと思う。
もちろん生まれた時から兵士だったわけではないけれど。
俺の口調にそういうものを感じとったのか、リン様は嬉しそうに笑った。
『お妃様の笑顔は癒しだ』なんて兵士たちは陰でよく言っているけれど、カズマ殿下のことを想って笑顔になるリン様は、可愛らしくて綺麗で……つまりカズマ殿下が羨ましくなってしまうほどだった。
その笑顔がもっと見たくて、俺は話を続ける。
「例の協定を結んだ時の話なんですけど、」
あれは、リン様の兄君が盗賊に襲われた事件がきっかけだった。
盗賊行為を容認している危険な部族の首長の元へカズマ殿下が乗り込み、一滴の血も流さず、お互いの安全を保障する協定を結んだのだ。
過去にそれを成し遂げようとして殺された者もいたくらいで、そんな相手との交渉をあっさりやってのけたカズマ殿下は、国内外からさらに一目置かれる存在になった。
その時のリン様は、カズマ殿下の身を案じてとても辛そうだったと、女官たちが胸を痛めていた。
「あの時が、俺、初めての大きな任務でした」
必要最小限の兵しか連れて行かないと言われていたこの任務に、入隊したばかりの俺が選ばれるとは思ってもいなかった。
戦いが目的ではないが、いざとなれば器用に立ち回れるような兵士がいる、とカズマ殿下は考えていたらしい。
俺には『お前くらいなら相手に威圧感を与えないからちょうどいい』なんて言っていたけれど、自分を戦力として見てくれているんだとわかって、身が引き締まる思いだった。
「カズマ殿下に『ドジを踏むなよ』なんて言われたりして、道中は割と和気あいあいとしていました。だけど、いざ到着すると、一気に空気が張り詰めました」
あらかじめ書状を送っていたにも関わらず、首長の館に入るまでにさんざん足止めされた。
歓迎する気が向こうにないのは明らかだった。
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