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「……そうですか」
いつもの表情に戻った甲斐くんは、特に何かコメントすることもなく、再び仕事を始めてしまった。
気を悪くしただろうか、と一瞬不安になる。
でもたぶん、そういうわけじゃない。
甲斐くんが何を考えているのかはわからないけれど、なんとなく、そう確信できた。
「もうすぐ終わりますから」
「あ、うん。ゆっくりでいいよ?」
それから10分ほどで、甲斐くんはパソコンの電源を落とした。本当に『すぐ』だった。
甲斐くんと並んで、自宅までの道を歩く。
こんな風に送ってもらうのは、三度目だ。
「二次会とか行ったんですか」
「え?」
「結婚式」
「あ、ああ!」
唐突に甲斐くんが話を振るから、何のことだか一瞬わからなかった。
甲斐くんはけっこう、そんな話し方をするのだ。
「うん、行ったんだけど……やっぱりああいう賑やかなとこは、向いてないかなぁ」
「苦手そうですね、主任」
「うん、でも友達の花嫁姿は綺麗だったから……行ってよかったよ」
「そうですか」
甲斐くんはしばらく黙ってから、
「主任も綺麗ですよ」
「きっ!!??えええっ!!??」
何でもないことのようにさらりと言われて、私は動揺した。
やっぱり甲斐くんは女の子慣れしているに違いない。こういう場面では、そういうやりとりは普通なのかもしれないけれど、慣れていない私は何と反応していいかわからない。
「あ、あの、ごめんなさい……気の利いた冗談で、返せなくて……」
「主任に冗談は求めてませんが」
「え、でも、今の……」
「俺も冗談は得意じゃないですし」
「あ、う……ええ……?」
何気ない言葉にいちいち引っ掛かって、全くスマートなやりとりができない。
深い意味なんてなかっただろうに、まごついて恥ずかしい。
「そんな難しい顔しなくても、普通にありがとうでいいんじゃないですか」
「あ、そ、そうなのかな……ええと、じゃあ、ありがとう、ございます……光栄です」
「光栄って」
しまいには呆れられてしまった。
いたたまれない。
「他の人間のことは知りませんけど、」
甲斐くんはぽつりと呟いた。
「俺が主任に言うことは、そのままの意味ですから。変な気を回さずにそのまま受け取ってください」
「あ、は、はい……」
気遣い、だとか、優しさ、だとか、先輩をたててるのかも、だとか。
いろんな言葉が頭を巡ったけれど――今まで甲斐くんはずっと、もっとシンプルなことを言っていたのかもしれない。
『そのまま信じていい』
すとん、と心に落ち着いたその言葉に――私は何だかほっとしていた。
初めて、男の人と一緒にいて『居心地がいい』と感じたことに、少しだけ戸惑いながらも。
「残業してラッキーでした」
「え、と……?」
「だからそのままの意味ですって」
「う、うん……?」
「今日のことは会社の人たちには黙っといてください」
「えっ?あ、うん!そっか、そうだよね!わかったよ!」
「たぶんわかってないですね。いいですけど」
「ええっ……?」
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