▼ 60:少しの抵抗
「あれ、久しぶりだねお妃様。カズマがずっと隠してたもんね」
見なくても表情が目に浮かぶ、聞き覚えのある声。
微かに眉を潜めたマリカさんの視線の先を振り返ると、想像通りニヤニヤと笑みを浮かべたイリヤ王子が立っていた。
「イリヤ殿下、何かご用がございましたらわたくしがお伺いいたしますが……、」
素早く私とイリヤ王子の間に進み出て、マリカさんが頭を低くする。
「大丈夫です、マリカさん。イリヤ殿下、わざわざ私の執務室までお越しのご用件は何でしょうか」
今日は西の国を含めた諸国が集まる会議があり、イリヤ王子が来ていることは知っていた。
西の国から協力の申し出があって以来、何度も重ねられている例の会議だ。
お前は執務室から出るな、と彼に釘を刺された私は、朝から仕事に励んでいたのだった。
彼と年齢も近くくだけた間柄の顔ぶれがほとんどのため、私への挨拶は省略するという暗黙の了解があった。彼がそのように仕向けたのだろうけれど。
イリヤ王子はわざわざ私の居場所を調べた上で、ここまで一人でやってきたのだ。
「帰りの馬車の車輪が壊れたみたいでね。今うちの従者に直させてるんだ。暇だからお妃様と話でもしようかなって」
私は、意を決して目を細めた。
「お仕事のお話でしたら、私にはわかりかねますので、他をあたってください」
きちんと彼から説明は受けていて、ある程度は把握しているけれど、そんなことをわざわざイリヤ王子に知らせる必要はない。
他人にこんな態度を取ることは、これまでの人生でなかったから、わざとらしい口調になってしまう。
北国の温室育ち、という自覚はある。けれど私は、それでも彼を守らなければならない。
「お妃様があんまり頭がよくないのは知ってるよ。だから雑談でもしようよ。おシゴトのおハナシなんてつまらないでしょ?」
「……」
「あれ?何その顔。失礼なんじゃな、」
「公人同士ということではなく、個人的にお話をしよう、という意味ですか」
「そうだよ」
「個人的に、ということでしたら、私はあなたが大嫌いなのでお話したくはありません。まして私は執務中ですから」
「……へえ」
イリヤ王子はますますニヤニヤ笑いを深めた。
私にできる精一杯の、わずかな抵抗は、イリヤ王子にどんな効果をもたらしたのかわからない。
マリカさんの指示で、女官の一人が静かに退室していくのを、私は目の端に捉えていた。
助け、というのも情けないけれど、恐らく彼を呼びに走ってくれているのだろう。
イリヤ王子もそれはわかっているようだった。
非常識と批難されてもおかしくない行動を取ってまで、いつかのように私に悪意をぶつけて『遊びたい』と思っているのだ。
『あの王子ならやりかねない』と思われているからこそ、なんの抵抗もなく。暇潰しのように。
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